第48話 "主人公"
◆
机の上にマシュマロが落ちる。
早朝5時の大手タレント事務所『キングス・エンターテインメント』。
眼鏡をかけた社長秘書は、PCでデータを閲覧しながら、愕然とした。
──あり得ない。こんな……
──こんな、数字の上昇の仕方が、あるのか……──?
秘書が目を疑ったのは、数名のVTuberたちの圧倒的な成長率だった。
たった1ヶ月で異常に成長しているVTuberたちがいたのだ。
──まず一人。
──"不老不死"系VTuber「メイベル・レイ=ノスフェラス」。
企業に属さない、いわゆる『個人勢』のなかでは世界最大のチャンネル登録者数を誇るVTuberであり、彼女の側近たちから成るグループ『庭園組』を率いるリーダーだ。
真紅のゴシック衣装を身に纏った吸血鬼の幼女……という設定であるらしい。
もとより60万人超の登録者数を誇っていたが、この1ヶ月でさらに5万人もファン数を伸ばし、現在、チャンネル登録者687,899名。
──そして、もう一人。
──謎のVTuber「
少し前まで登録者数は1万人に満たず、ノーマークであった配信者だ。
不思議の国のアリスをモチーフとした可愛らしくも勇ましいデザインをしている。
数いる一般の活動者でしかなかった筈が、どうしたことか急激に市場に見い出され、この1ヶ月で10万人ものファンを獲得している。
ほぼ無名から──、現在、チャンネル登録者100,321名。
「……いったい、配信者業界になにが起きているのだ……?」
さらに、それだけではなかった。
最も恐ろしく、かつ現実的でない成長を遂げた者がいたのだ。
「──あら、こんな早朝からお疲れ様です」
「……!」
背後からの声に、驚いた秘書は眼鏡を押し上げながら振り返った。
「業界の分析ですか? 私たちのためにありがとうございます」
声をかけてきたのは、艶やかな黒髪を背中に流した美少女だった。
成人まもない若さながら、凛とした表情と、確固たる魅力を讃えた存在。
「……ん、それは朝食ですか……? もっと栄養のあるものを食べなくてはだめですよ」
オーロラ・プロダクション所属、
「……君こそ、こんな時間から何をしているんだ?」
眼鏡の秘書は取り落としたマシュマロを袋に戻しながら言った。
「スタジオをお借りして動画の収録をしていました。ご存じの通り、この業界には強力なライバルが多いので、立ち止まる暇なんてありませんからね」
その少女は、まるで作りもののような微笑みを浮かべていた。
美しすぎる歩みで、黒髪を翻して出口へと歩いていく。
「いちどシャワーを浴びたいので、これで失礼いたします。またお昼頃に参りますね」
時間帯はともかく、一人の少女が帰路につく日常的な動作のはずだ。
おかしなところは何もない。
それなのに、眼鏡の秘書は、そこに現実離れした雰囲気を感じていた──
「ああ。そうだ。これは雑談なのですが」
色白な手でドアノブを掴んで彼女は振り返った。
「たまに、こう思うときがありませんか?」
その口が笑って囁いた。
「──この世界は、もしかしてフィクションなんじゃないか、って?」
「な……」
眼鏡をかけた秘書は愕然と目を見開いた。
なぜなら秘書は、まさに、そう妄想していたところだから。
「この世界には、誰かのために書かれた筋書きがあって、いまこの瞬間も、あらゆる出来事は全て、誰かの幸せのために起きているんじゃないかって」
少女の口が笑いながら続ける。
「シナリオは既に定められていて、結末にむかってご都合主義のように収束しているんじゃないかって。全ては演出で、誰もが演者で、何もかもはコーディネートされているんじゃないか……そして、その主役は、最初から決まっているんじゃないか──」
眼鏡の秘書は目に滲む涙を感じていた。
この子は……この存在は……いったいなんなのだ……?
彼女の言葉は、どうしてこうも、私の心を捉えてくる……?
──たった1ヶ月で、異常に成長しているVTuberたちがいた。
──その中で最も恐ろしく、かつ現実的でない成長を遂げたVTuberがいた。
彼女の登録者数は昨月時点で80万人を越えていた。
事務所は何もしていない。
彼女は一人で、ただ活動をしていただけだ。
にもかかわらず、彼女は1ヶ月で、新たに20万人もの人心を掌握してみせた。
チャンネル登録者数は現時点で100万人を越えている──
「もしこの世界に物語があるのなら、その主人公はいったい誰なのでしょう?」
「……ッ……」
眼鏡の秘書は息を呑んだ。
”誰なのでしょう”?
その問いだけで秘書は、彼女を肯定しそうになっていた。
黒髪の少女──、
かつて天使でありながら堕天した
その存在は綺麗すぎる声で囁いた。
「安心してください、如水二郎さん。私は、佐々木プロデューサーがいなくとも、誰にも負けませんから」
◆
その男は、かつて芸能界で戦い敗れ、より上を目指してキングスの門を叩いた。
男の名は
アイリス・アイリッシュのマネージャーだった男。
今はその知識を活かし、若き芸能界の帝王である王社長の秘書を務める眼鏡の男である。
彼は今でも、たまに思うことがある。
この世界には、きっと輝きに満ちた物語があって、どこかにその主人公がいるのだと。
才能を支える職に就く者の使命は、その主人公を見つけることなのだと。
そして今、彼は、確かにこう思っている。
もしも、この世界に物語があるのなら。
宵駆ソラこそが、きっと────
◆
そのVTuberは、
その静かに開かれた夜色の瞳は、目の前に広がる世界に常に狙いを定めている。
首を彩る紫水晶色のチョーカー。
肢体を包み込むセーラー制服型のドレス。
鴉の翼のように威風を帯びて広がるスカート。
腰部を護っているのは戦の残滓であるプレート・アーマーだ。
両腕を覆う手袋。
両足を覆う長靴。
腰には長剣。
背中から揺蕩うリボンにも見えたそれは、彼女の故郷の名残りである天使の翼だった。
モチーフは『神話』。
テーマは『戦争と憧れ』。
「
チャンネル登録者数、1,000,000人。
オーロラ・プロダクションの
主人公系Vライバー・
──────────────────────
今回もお読みいただきありがとうございます。
残り2話の更新で「開闢アリス編」は完結です。
秘書=如水二郎である伏線として、アイリスもソラも彼の朝ごはんを心配していたりしました。お気づきになった読者さまはいらっしゃいましたでしょうか……。
私はミステリー好きなので、今後も小ネタを仕込んでいければと思います。
執筆の励みになりますので、
引き続きフォローや★★★や❤︎で応援いただけますと嬉しいです!!
【追記】
2023.09.01現在
2度目の「おすすめレビュー」を頂戴いたしました…!
感激しています。。ありがとうございます。。。
お医者さんが書く医療ミステリのように、V業界人にしか書けないV小説に挑戦していけたらと思います……!
今後ともご声援のほど宜しくお願いいたします。
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