第33話 メンタル・ブレイク②



「……いま、何と言った?」

 しん、と静まり返った役員会議室で王社長が問うた。

 その声色は珍しく唖然としている。

阿僧田あそだ……?」


「──もうむりです……っ」

 鉄の男、阿僧田あそだ五蘊ごうんが、しとしとと泣き出した。

「──毎晩毎晩……、来る日も来る日も来る日も来る日も……っ、Vたちが夜に電話してきて……ぜんぜん眠れないんです……! もう……私は、頭がおかしくなりそうだ……!!」


 様子がおかしかった。

 冷酷無比にして凶悪な人相の男が、禿頭とくとうをかかえて喚いていた。


「あ、阿僧田さんっ!」

「気を確かにっ!」


 声をあげて飛び出したのは、黎明期からオーロラ・プロダクションを支えてきた古株の社員二人だった。


「やっぱり病んだVたちの相手を一人でするなんて無茶だったんだ……!」

「ああっ、泣かないでください……! 阿僧田さんは悪くありませんからっ!」


「だってぇ……! Vたちみんな、すぐ私のこと悪者にするからぁ……っ!」

 阿僧田、もう号泣しだしちゃった。

「やれ案件を早く持ってこいとか、やれあの子を贔屓するなとかぁ……っ! 返信に少し悩んだだけなのに、すぐに『既読無視ですか? 阿僧田さんってホントはアタシのことどうでもいいんですね』とか、『あはは……。やっぱりわたしって一人ぼっちなんだなぁ。よくわかりました。もう阿僧田さんには頼りません。さようなら』とかぁ! すぐ病むんだもん!」


「うんうん、わかります。つらいですよね!」

「阿僧田さんの体はひとつしかないのに、対応しきるのは無理ですよねっ!」


「私、これでも返信がんばってるもん! けどさぁ……? 返信したらしたで、Vだってすぐに既読無視するしぃ……? こっちに返信よこさないで気づいたら病みツイートしてるしぃ……? 『わたしって、なんでいつも誰にも分かってもらえないんだろう。わたしはリスナーさんたちのことを一番に考えてるだけなのにね』とか『今日、とってもいやなことがありました。今晩は配信できないかも。あはは。心配かけちゃってごめんね』とかさぁ! なんで被害者面するわけっ!? 泣きたいのはこっちだよぉ! いっつも生放送で運営の悪口言ってリスナー味方につけてるけどさぁ……っ、あんなの、名前出してないだけでぜったい私のことだって分かるじゃん! 運営だって頑張ってるもん!」


「うんうん、阿僧田さん頑張ってる! 前任の佐々木さんが異常なだけっ! わかるわかる!」

「ちょっと休みましょう? 一昨日の夜からずっと対応しっぱなしですもんね! さ、出ましょう! ね!」


 うぉおおおおおんッ、と魔人の如き鳴き声をあげながら、阿僧田あそだ五蘊ごうんは古株オーロラスタッフの片方に連れられ会議室を出ていった。

 残されたのは幹部たちと、古株スタッフの片割れと、気不味い沈黙だけだ。


「……今のは何事だ」

 と王社長。


「……ご説明しましょう」

 ゆらりと胡乱な動きで王社長の方を向き、オーロラ・プロダクションの古株スタッフが口を開いた。

「阿僧田さんがどうしてああなったのか……? それは彼が『VTuberに触れすぎたから』です。非凡なVTuberであればあるほど、その人気や才能と比例して、必ずと言っていいほど持っている性質があります……」


 そう。それは。


精神的に不安定メンヘラなのです……! あまりにもッ!!」

 古株スタッフが鬼気迫る口調で叫んだ。

「躁鬱! 依存症! ネガティブ思考……! 虚言癖、トラウマ、自己嫌悪、かまってちゃん、承認欲求、情緒不安定、重い女、エゴサ中毒、ネット依存、愛への飢え、被害妄想……!! 大食嫉妬憤怒強欲色欲怠惰!! その坩堝るつぼこそ彼女たちの才能の正体なのですッ!! そりゃあそうですよね! 不特定多数の人間に自らを配信して生きていこうなんて、そもそも真っ当な人生で思わなくないですかっ!?」


「それは偏見が過ぎるのでは」

 見かねて秘書が眼鏡を押し上げながら言った。

「貴方、少し落ち着くべきかと……」


「これが落ち着いていられますかっ! Vライバーのマネージメントとは、そんな彼女たちを相手取り、急な鬼電おにでんと、常習的な案件への遅刻、そして23時になると途端に活発になるLINE連絡とSNSに心をさいなまれながら向き合っていく仕事なのです! そこを阿僧田さんは……ッ、『こんなもの私一人で十分だ』と言い放ち、一手に引き受けられて……彼女らの『病み』に呑まれてしまいました……っ!」


「はぁ……」

 と秘書が眼鏡を上げながら呆れる。

「確かにメンタル・ブレイクされていましたね。心療内科にかかるべきかと」


「ははっ!! ははははっ!!」

 金城かなしろ直美なおみも大声で笑い声を上げた。

 表情はギョロ目の笑顔のままだが、眼球に感情は無い。


「ふむ。阿僧田くんでは御しきれなかったようですな」

 一人の老年の役員が口を開いた。

 創業者・おう伀将ひろまさ時代からの腹心であった古参の経営陣だ。

「あの鉄鬼ですら若者たちのエネルギーには敵わなかったということ。それを一人で制御していたとは、いやはや、つくづく佐々木蒼という男は傑物であったようですな」


「どいつもこいつも……!」

 王社長が、ぎり、と椅子を硬く握りしめた。

「いつからキングスは無能ばかりになった? 多少まともに仕事をしているのはいなごだけじゃないか」


 いなごと呼ばれたのは件の老年の役員だった。

 VTuber事業部以外の、あらゆるタレント事業の統括者は彼である。

 リストラ以降、下落していた会社全体の利益を昨年水準まで迅速に回復させた立役者であった。


「恐縮です」

 いなごまさし役員は上品な老顔に笑みを作った。

「さて、しかし困ったのはオーロラですな。もはや株主にとっても期待の事業、取り崩すわけにもいきますまい。ここはひとつ、本当に和寺部長や佐々木くんを呼び戻しますか?」


「王者がそんなことができるか。節操なく朝令暮改を繰り返していた親父と俺は違うんだ」

 王社長は切長の眉をなぞりながら苛立つ。


「なるほど。ふむ……」

 蝗役員が顎を揉みながら唸る。

「何を差し置いても、肝要なのは利益を上げることですな。配信者たちのやる気を高めて投げ銭を上げにかかるか、それとも実直にコマーシャルをとりに営業に注力するか、さてさて……」


「僭越ながら私も、いくつか有力な振興VTuberグループに声をかけてみています」

 秘書が眼鏡を上げながら言った。

「ボードゲーム実況グループ『だいすろーる!』。情報は乏しいながら着実に登録者数を増やしているインディー事務所『V-DREAMERSブイ・ドリーマーズ』。そして、個人勢で最多の登録者数を誇るユニット『庭園組ていえんぐみ』。彼らとの戦略的同盟アライアンスが成れば、オーロラのメンバーの登録者をブーストできるのではと──」


「呆れるほど悠長だな。もういい」

 王社長がしびれを切らして言った。

「金城! お前だ。お前にオーロラを任せる。なんとしても短期間で結果をあげろ」


 ぎらり、と。

 金城直美の目玉と白い歯が光った。

「ははっ!! いいですなあ!! !! それは、ははっ!! 私が、使ということですかな!?」


「さあな。俺は何も言わん。数字を楽しみにしているぞ」


 こうして経営会議は幕を閉じる。

 嗤う「闇」。

 オーロラ・プロダクションに撒かれた、新たな不穏の芽を残して。




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 今回もお読みいただきありがとうございます。


 この物語はフィクションです。

 登場する愚痴・わるぐち・運営の苦悩等は架空であり、実在のアレとは関係ありません。


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