第51話

 30分ほどが経過した。10分ほど前に鐘が鳴ったので、もう授業は始まっている。なのに、彼女は何故かまだここに顔を見せていない。まさかとは思うが、彼女はまだ学校に来ていないか、授業に参加しているとでもいうのか。

 その場合、ここに来るのは飛び降りる直前と言うことになる。僕はもう少しここにいるべきだろうか。


 思考を巡らせる。そして、ひとつの疑問にたどり着く。まず、彼女が飛んだのは本当にここからなのか?ということだ。

 確か彼女はさっき、『屋上』から飛ぶと言っていた。だがよくよく考えてみると、それは嘘の可能性も十分にあった。彼女は頭が良い。死ぬという目的を果たすために、僕を欺くこともあるだろう。

 だがその場合、彼女は一体どうやって死ぬというのか。まさか、学校外で首でも……


 そんな発想に至り、僕は屋上から学校の外に眼を向ける。が、すぐにもっと恐ろしい可能性に気付く。それは同じく、飛び降り自殺をするというものだ。違うのは、それをする場所だ。

 屋上ではなく、五階の窓から。それは決しておかしくない発想だ。飛び降り自殺というと屋根のない屋上やバルコニーから飛ぶのを想像するが、理論的に考えてみれば高い所でさえあればどこでもいい。

 そしてこのことが恐ろしいのは、過去に整合性を持たせてしまうところだ。今から30分後、僕は落下する彼女の姿を見た。もしその事実が教授の言うように変えられないというのなら、過去の僕はこれからそれを見ることになる。

 5階から飛んだとしても、その出来事に影響はない。


 今から5階の確認にいこうかと悩むが、難しい所だ。調べている間に彼女がここへきて、反対に僕が入ってこれない様塞がれる可能性がある。そうなれば僕は、いよいよ彼女を止めることが出来なくなる。

 考えた結果、残り10分になるまで留まることにした。時間がそれだけ近くなれば、仮に屋上への侵入を許したとしてもバリケードを作る時間はないからだ。


 予想通りと言うべきか、彼女はその時刻になっても現れなかった。仕方がない。移動するとしよう。

 すでにロッカーひとつを置くまでに減らしていたバリケードを撤去し、僕は塔屋内に戻る。ドアを開けた瞬間に彼女が飛びこんでくるのではないかと警戒していたが、杞憂に終わった。

 間違っても彼女を見逃すことがない様警戒しながら、階段を降りて5階に入る。先ほど見た廊下が眼に映る。相変わらず電気はついておらず、薄暗い。

 まず初めに一番手前、美術準備室のドアに手をかける。それは普通に開くことが出来、中に人影はなかった。続いて隣の美術室も確認するが、そこにもいない。

 背中の階段に足音がないか警戒しつつ、さらに隣に移動する。この部屋が何の役割をしているのかは知らないが、ここは僕の教室の真上に位置する。もし彼女がいるとすれば……。


 そんなことを思いつつ、ドアノブを掴む。が、回らない。この錠前には鍵穴がない。つまり、内側から鍵がかかっている。間違いない、彼女はここにいる。

「酒井!いるなら出て来てくれ!!」


 ドアを叩きながら、呼びかける。しかし、返事はない。出てこないつもりだ。ならば、当初の予定通り……。

 僕はノブの横に立ち、右足の裏を力の限りノブに打ち付けた。ガンッという鈍い音が鳴り、金属のひしゃげる感覚がする。見ると、ノブがわずかに向かって左に傾いていた。古臭く黒ずんだ薄いアルミ板の開き戸なので一撃で壊せるものと思っていたが、そう簡単ではなかった。

 残り時間は恐らく、5分もない。焦りに任せ、二撃三撃を放つ。だが無情にも、ノブはそれ以上動かない。

「クソ!!」

 僕はそう叫び、急いで隣の美術室に入る。確かここには金槌があったはずだ。眼に着いた道具箱を次々と棚の上から床に引き倒す。

 ジャラジャラという金属音と共に、研磨剤の缶、グルーガン、筆などの美術道具が散らばる。そして3つ目の箱を倒した時、釘抜の付いた金槌が床に転げた。

 すぐに拾いあげて引き返し、先ほどの蹴りで傾いたノブとアルミ板の間に釘抜を挟み、テコの原理を使って手前に引いた。

 するとノブはガキリという音を立てて外れ、床に落ちた。これでシャックルが外れたから、開けられるはずだ。

 しかしそのドアは押しても、ノブがあった場所の穴に釘抜をひっかけて引いても、全く開かない。

 どういうわけだと、僕は曇ガラスののぞき窓を叩き割る。すると姿を現したのは、一面を覆い尽す段ボールの山だった。

 バリケードだ。彼女もまた、僕と同じことを考えていた。こんなことになるのだったらもう少し早く来るべきだった、と僕は後悔する。

 だが、もう仕方がない。今から4分以内にこれを破壊し、押し入る。


 初めに、のぞき窓から段ボールに手を伸ばし、奥に押してみた。だが奥にも何かあるようで、動かない。ドアを外して段ボールを廊下に出すしかない。

 だがこのドアは内開きだ。僕から向かって奥に開く。手前に外そうとすると、サッシが邪魔になる。この際だ。サッシごと破壊してしまおう。

 釘抜をサッシと壁の間に打ち付ける。すると壁のモルタルは簡単に崩れ、隙間に挟みこむことに成功した。

 さらにそれを引くと、サッシを壁に固定するネジが周囲のモルタルを崩して外れた。かなり老朽化しているらしい。この分ならすぐに外すことができそうだ。

 実際2分とかからずに完了し、積まれた段ボールをかき分けて中に入る。箱の中には何か冊子が入っていたようで、後ろでバサバサと散らばる音が聞こえる。

 大方退け終えた頃、その裏にあったものが姿を現した。ドア一枚の幅しかない部屋を仕切る様に置かれた、大きなベニヤ板だった。

 あまり分厚くはないことが伺え、蹴りつけると簡単に2つに割れた。部屋の様子が露わになる。だが、そこには……。

 酒井の姿がなかった。


 開かれていた窓からは絶望を湛えた風が吹き込み、僕の横を通過する。カーテンがバサバサと音を立て、僕の眼には、二年半前に見たのとまったく同じ景色が映る。眼下を埋める住宅の屋根、遠くに並ぶ高層ビル。

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