第十三章

第49話

 驚くほど何も起こらないまま、13日を迎えた。昨日も彼女と話したが、何も様子は変わっていなかった。相変わらず元気そうで、未来に対して希望を持っているとしか思えなかった。

 だが、なんだか胸騒ぎがする。念のため今日も電話をしておくとしよう。場合によっては家まで行くつもりだ。

 ホテルの電話を取り、彼女の携帯にかける。1、2、3。コールが鳴る。受話器は取られない。4、5、6。取られない。まだ寝ているのだろうと、一度切る。5分ほど待ってからもう一度かけよう。

 そう考えたものの、胸騒ぎが収まらない。この10月13日という日付のせいだ。あまりにも敏感になっている。ダメだ。やはりもう一度……。


プルルルル


 そうやって電話機に手を伸ばしかけた時、呼び出し音が響いた。驚きから一瞬手を引いてしまったが、すぐにまた伸ばして受話器を取る。

「湯川様。お電話が」

「すぐにつないでください」

 ホテルの職員が相手の名を伝える前に、僕はそれを遮って言った。酒井であることは間違いがないし、そうならば一瞬でも早く話したかったからだ。

「……かしこまりました」

 職員は驚いたようにしつつも、そう答えて電話をつないだ。


「あきら……?」

 1秒ほどの間が空き、声が聞こえた。いつもよりほんの少し声が低い気がするが、間違いなく酒井だ。きっと今起きたのだろう。

「そうだよ。ごめん、こんな時間に電話しちゃって」

「ううん、気にしないで。こっちこそ電話無視してごめんね」

「無視……?」

 その言葉に引っ掛かり、僕は訊ねる。寝ていて出られなかったのなら、無視とは違うのではないか。


「…………。実は、私さ」質問から数秒間が開き、彼女が答える。「飛び降りようと思うんだ。屋上から」


 何を言われたのかわからなかった。『飛び降りる』と聞こえた気がするが、そんなはずはない。彼女はつい昨日まで……


「あきら?」


 混乱する頭に、彼女の声が響く。

「ああ、ごめん。よく聞こえなかったんだ。もう一度……」

「死ぬ、って言ったの。私は屋上から飛び降りて、自殺するの」

 今度はハッキリと聞き取れた。聞き間違いはない。しかし、僕はその言葉を飲み込めなかった。とても苦い抗生物質の粉末を舌に載せた時の様に、反射的に吐き出そうとする。だがその味は容赦なく味蕾に浸透した。


「待ってくれ、意味がわからない。説明を……」

「ごめんね」

 僕が説明を求めたのを遮って、彼女は電話を切った。プツリと言う切れる音と、ツーツーという不通音が鳴っている。何が起こったのか理解しきれず、思考が脳を遠ざかる。身体は重みを失って宙に浮き、部屋は一回り大きくなる。


 酒井が、自殺?昨日はあんなに元気だったのにどうして、なぜ。五十嶺のことを相談されてからは後をつけるのを控えていたが、その時に何かがあったのか。いや、あるいは……。

 無数の疑問が湧き出て、積みあがる。だが積みあがるばかりで、答えは見つからない。それを考えるだけの能力は、今の僕にない。


 カタン


 しばしが経った時、そう軽い音がした。プラスチックの受話器が木製の台にぶつかる音だ。どうやら僕が手を離してしまったらしい。コードに引っ張られて、振り子のように台側面にぶつかったのだろう。

 瞬間、僕の身体は重力に引っ張られ、思考は頭部へと帰還する。音の衝撃で正気に戻ったのだ。

 こんなことをしている場合ではない。すぐにでも出かけなくては。

 僕は大急ぎでホテルを飛び出し、6時50分に彼女の家に到着した。普段彼女が家を出るのより早いの時間だ。


「酒井!!」

 最後の角を曲がってすぐ、僕は家に向かってそう叫んだ。角の向こうに誰がいるのかも確認せずに。

 見ると、角から10mほど離れた位置に千紗さんが立っていた。前会った時とは違う制服を着ていて、背も若干小さいような気がする。どうやら、学校に行くために家を出た直後らしかった。

 彼女はこちらを振り向いていて、僕と眼を合わせて一瞬身体を硬直させたかと思うと、小走りに去っていった。当然だ。家を出てすぐ、見知らぬ男に大きな声で名前を呼ばれたのだ。逃げたくも…………


 ダメだ。そんなはずはない。そんなこと、あっていいはずがない。ダメだ。それはない。良くない。あまりにもひどい話だ。救いがない。もしそんなことになったら、僕は……。


 そこまで考えた時、突然僕の頭の中にとある仮説が降って湧いてきた。僕はそれを振り払うように、必死に考える。でも、無理そうだ。その仮説はこれまで僕が歩んできた道の隙間をピッタリと埋め、引き抜くことができない。


 話は二年後に遡る。大学二年生の夏、僕は酒井のことを聞くためにここを訪れた。その際、どういうわけか彼女に激昂された。今まで、その理由は僕が嘘を吐いて彼女をバカにしたと勘違いされたからだと思っていた。

 だが、実際は違った。彼女は今ここで僕と顔を合わせた。きっとハッキリとは覚えていないだろう。僕と会ったことを思い出すのは、二年後にタイムマシンの話をされる時だ。

 そしてその時、彼女は悟ったのだ。『未来からやってきた姉の彼氏が姉の死の原因を作った』と。

 この仮説ならば、彼女が怒った理由も、あの時の発言も説明することができる。彼女は姉の命を助けるために、僕が姉を自殺に追い込むのを防ぐために、あの一連の行動をしたんだ。


 いずれにしても、ひどすぎる話だ。具体的なことはわからないが、僕が酒井の死に関わっているのは間違いない。僕の発言や行動が、彼女を追いこんだ。

 ずっと努力をしてきたのに、すべて裏目に出た。彼女の死を受けても何も行動せず、おとなしく自分のことだけを考えていれば彼女が死ぬことはなかったんだ。僕が、僕自身が彼女を死に導いたんだ。

 どうしてだ。一体これまで、なんのために……。


 タイムマシンを作って来たんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る