第40話
資金を得た僕は、まずいくつかの店をまわって一月を過ごすうえで必要なものを揃えた。衣服やそれを洗うための洗剤、整髪剤などだ。そしてそのような生活必需品に加え、ノートパソコンも購入した。この年代にもう一台存在する僕のスマホとの干渉を防ぐため、これからはこっちを使っていく。
次に、ビジネスホテルに赴く。滞在期間は酒井が死亡した日である10月13日までだ。
あまりお金を使うのも良くないかとネットカフェに泊まることを考えたが、彼女の過去を調査する拠点としてはこちらの方がふさわしいだろう。大体、受け取った額は現在のレートで109万円もあるのだから、それと比べれば連泊費はそう大きくない。
問題なのは調査だ。本当なら、斎藤から詳しい話が聞けるはずだった。だが、聞く前に彼女は……いなくなってしまった。
考えても仕方がない。これから一か月かけて、慎重に彼女の周りで何があったのかを調べるしかないのだから。
時計を見ると、時刻は14時30分を指している。あと1時間ほどで酒井が下校する時間だ。調査は関係なしに、まずは彼女を一目見たい。
このビジネスホテルは学校と酒井の家の間の駅に位置しているため、どちらにもいくことが出来る。
僕は少し考え、酒井の最寄り駅に向かうことにした。そうしたのは、学校には彼女と同じ制服を着た生徒がたくさんいて、見逃してしまう可能性があったからだ。
それに、酒井の最寄り駅にはカフェがあるので待つのが容易だ。
そこに待機して窓から駅を見ていれば、彼女を見つけることができるだろう。
電車に乗って移動する。体感一年近くぶりに来た駅は前よりもいくらか涼しかった。が、銅像は変わらず汗をかいていた。もう数年、あるいは十数年遡れば、汗をかいていない像を見れるだろうか。
そんなことを思いながら、僕はカフェに足を踏み入れる。店内は薄暗かった。濃い色の木で出来た柱と黄ばんだ壁紙の内装を持つそこは、今時珍しく全席喫煙可らしくコーヒーとタバコの混ざった香りが漂っている。
僕はタバコを吸わないが、特段嫌いでもないためこのカフェは居心地が良く感じた。
店員にお願いをして、窓際の席に座らせてもらう。狙った通り、そこからは駅の出口とロータリーが一望できた。ここからなら、彼女を見逃すことはないだろう。
時刻は15時。昼食を食べていなかったため、ミックスサンドイッチを注文する。こんなものを食べていては彼女を追いかけることはできないかもしれないが、元より今日は彼女を一目見ることだけが目的だ。だから、食べかけのためにすぐ店を出られなくても何ら問題はない。
少しして、ついに酒井……ではなくミックスサンドイッチが運ばれてきた。僕はなるべく窓から眼を離さないようにしてそれを受け取る。
タマゴ、ハム、トマト、レタス。よく見るタイプの、いや、逆に現代ではあまり見ないタイプのサンドだ。
あまり確認している時間もないので手早く左手で掴みとり、窓の外を眺めながら口に運ぶ。
マーガリンの油分、トマトの酸味、タマゴの甘味が合わさった複雑な味わいが広がる。若干トマトの主張が強く思える。だが、それがまた良い。
一つ目を食べ終え、手に着いたパンくずとトマトの汁を紙ナプキンをふき取る。この間も、窓からは眼を離さない。
その時だ。駅の改札口から、制服を着た一人の少女が降りてきた。これまでにも制服の人間は何人かいたが、彼女だけは違う。
平均より低い背丈に痩せすぎではないが細身の体躯、あごほどまで伸び、軽く内側にカールした綺麗な黒髪。
そして何より、全体的に少し幼さが残りながらも大人な印象を持たせる濃い黒目と、それによく似合う大きな丸眼鏡。
それは紛れもなく僕が好きだった人、今でも好きであり続けている人。酒井千尋の姿だった。
それから数秒間、僕の眼は彼女にくぎ付けになる。数年ぶりに見る彼女は、一挙手一投足すべてが愛おしく思える。
僕が意識を取り戻したのは、彼女が見えなくなってからだった。完全に見惚れ、カフェにいることを忘れていた。
感覚も帰ってきて、眼の淵に水分を感じる。少しだけ涙が沸いているようだ。この涙は、これまでに流した悲しみの涙ではない。再び彼女に会えたことによる、喜びの涙だ。
僕は急いで新しい紙ナプキンを取り、それをふき取る。この姿を誰かに見られれば不審者だと思われるかもしれない。
その後感動と喜びに浸りながら残りのサンドを食べ終え、カフェを出てホテルに戻った。
先ほど見た彼女の姿を何度も思い返しながら就寝し、朝を迎える。
時刻は午前6時30分。学校まで30分程度なのを思うと、登校するには少し早い時刻と言える。この時刻が大事だ。登校する生徒が少なければ、たぶん学校の前を歩いても目立たない。これから色々と調べるに辺り、学校周りの確認は重要だ。
そんな考えの下僕は服装を整え、駅のホームに立つ。時間が時間なので込んでいるかと思ったが、下り列車であることもあって並んでいる人はそう多くなかった。
そして、僕はここである大きなミスをしたことに気付く。
電車に乗り込んだ時、車内にいた女子高生と眼が合った。
「あきら……?」
彼女は眼を丸くして首を傾げ、そう僕を呼んだ。僕をこのあだ名で呼ぶ人間は、一人しかいない。
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