第30話
医師から僕の怪我について説明された。左腕と右足、肋骨の骨折とのことだ。治癒にはしばらく時間がかかるが、問題なく動かせるようになるらしい。
入院も数日間だけで、坂口さんが取ってくれたという特別室は居心地も悪くない。
ただ、怪我は完全には治らない。左腕が結構な火傷をしたようで、跡が残る。まあ、僕は気にしない。手袋でもして生きればいい。
……これから生きていく自信があるかと訊かれると、わからないが。
死ぬのも悪くないと思っている自分がいる。
翌日、病室には研究メンバーが集合した。加藤さん、水野さん、坂口さん、笹近さん。
そしてメンバー以外に、男性が一人いた。恰幅のいい体格に青い眼、大きな鷲鼻をした白人だ。
ブレイザーと名乗った彼は、スイスのジュネーブに本部を持つ銀行の行員らしい。
一昨日、教授はこんなことを言っていた「ノートで示された銀行口座のお金をおろし、研究に当てた」
200年という期間からして、彼が飛んだのは幕末から明治にかけてだ。恐らく、そこで現代の知識を使って財を成したのだろう。
そして当時からある銀行に口座を作り、過去の自分に託した。
「皆様。この度は大変ご愁傷さまでございました。心中お察し致します。本日は、鳩羽様の御遺言を果たすべく参りました」
そんなことを考えていると、ブレイザーが言った。とても流暢な日本語で、流石はエリートの銀行員だ。
「……遺言?」
「教授は、迷惑をかけたお詫びとして研究員ひとりひとりにお金を遺してくれたんだ。……この程度では慰めにもならないかもしれないが、どうか受け取ってあげてほしい」
彼の発言に反応した加藤さんに、坂口さんが答える。いつもより声が低く、空気が重い。
「ええ、そうです。鳩羽様は皆様に10万ドルずつ。現在のレートですと、1500万円を送金するようにと、私に伝えられました」
「1500万……。そんなお金で!!大事な後輩が亡くなった傷を癒せるとでも!?」
病室に怒号が響く。声の主は、水野さんだ。椅子から立ち上がって眼には涙を浮かべ、声は震えている。
無理もない。彼女は斎藤の直接の先輩、悲しみは大きいだろう。
「水野、やめないか」坂口さんが言う。
「だって!!そのせいでひかりちゃんは」
「こうなるなんて、彼は知らなかった!」
「……でも、こんなのって」
彼女はそこまで言うと両の手で眼を覆い、地面に膝をついた。
しばらくの間誰も言葉を発さず、彼女の啜り泣きの音だけが、病室に響いた。
その後、僕たちは銀行口座を開設した。水野さんを除いて。彼女はあのあとすぐに出て行ってしまった。
「皆さんは、これからどうするんですか?」
静寂を破って、僕は訊ねた。本当にどうするのか気になったのではない。この雰囲気が嫌だっただけだ。
「俺は……。テーマの切り替えか、退学だろうな」
初めに答えたのは、加藤さんだった。今の彼は今までに見たことのない顔をしていた。いつものような笑顔はなく、表情筋に力の入っていないその顔は、ひどく疲れているようにも見える。
「私は、岩崎に戻ることになると思います」
「僕もだ」
続いて言った笹近さんに、坂口さんが同調する。
「というか……これ、私までもらってしまっていいのでしょうか」
「それが教授の希望だよ」
ブレイザーから受け取ったキャッシュカードを掲げる彼女に、今度は加藤さんが答えた。
「さて、俺はもう行くよ。また会おう」
彼はカードを財布にしまった後、僕の方に来て、肩をポンポンと叩いて言った。そしてドアまで歩いて行って、出る直前で振り返る。
「湯川。辛いかも知れないが……、死ぬなよ」
どうやら、彼はまだ僕が彼女のことを好きだったと勘違いしているらしい。まぁ、今となってはもう否定する必要はない。加えて、悲しんでいるのも事実だ。
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