第29話

 その言葉を聞いて、眼に見える景色から色が消える。坂口さんの顔が歪み、僕は立ち眩みの時のように、首で頭の重さを支えられなくなる。


 斎藤が、死んだ。どうしてだ。つい昨日まで、普通に話をしていたではないか。研究をしていたではないか。

 人の死というものは、いつも突然に来るということを改めて思い知らされる。

 僕を好きだと言ってくれた人が、また一人亡くなった。


 僕と斎藤は昨日、実験室で起きた爆発に巻き込まれたらしい。原因はまだ調査中だが、タイムマシンに起因するものだろうと、坂口さんは言う。

 研究室で気を失った僕を助け出してくれたのも、彼だという。


「湯川くん……本当に、申し訳ない」

 彼はそこまで言うと、突然床に膝を着き、額もこすりつけた。いわゆる土下座というものだ。

 わけがわからない。なぜ僕の命を助けてくれた人が、謝るのだろうか。

「あの……なぜ謝るのですか?頭をあげてください。坂口さんは僕の命の恩人です。謝る理由なんて……」

「違うんだ。僕は……教授がああすることを、知っていたんだ」

「……え?」


 わけがわからず、声が漏れる。そして彼は、また話を始めた。


 数年前、彼は教授と庄司さんが話しているのを聞いたらしい。内容は、次の実験で彼の指がなくなるという話だ。やはり、彼は加藤さんの言っていた『指を失った先輩』だったようだ。

 当然、彼は教授を問い詰めた。それはどういうことかと。それに対し教授は、先ほど彼が僕にしたのと同じように、土下座をして謝ったらしい。

「私がタイムマシンなんてものを作り、君の運命を確定してしまった。本当に申し訳ない」と。

 その態度と説明から、彼は、教授の話は嘘ではないと判断したとのことだ。そしてノートの通り指を失い、彼は研究室をやめた。

 だがタイムマシンへの情熱を失ったわけではなく、なるべく教授が苦労なく過去へと行けるマシンを作るべく、岩崎に入社したらしい。

 それで合点が言った。あの凝りすぎとも言える内装は、そのためのものだったのかと。


「言い訳にしかならないけれど……知らなかったんだ。こんなことになるなんて」

 説明が終わった後、彼が僕に言う。

 当然と言えるだろう。教授のノートに記録してあるのは、教授が過去に行くまでだ。そして、彼が知っているのもそこまでである。その先のことなんて、知るはずがない。彼を責めても、仕方がない。


「少し、一人にさせてください」

「……わかった」

 そう願うと、彼は立ち上がって病室を後にした。

 枕に頭を預け、窓の外を眺める。病室は五階ほどの高さにあり、目の前には広い空と、遠くに連なる山脈が見える。

 酒井が死んだ日に、よく似ている。あの時も僕は学校の窓から外を眺めていた。


 僕が財布を忘れなければ。余計なことをしなければ。

 斎藤が死ぬことはなかった。そんな考えが頭の中をめぐり、後悔が僕の脳を覆う。両の眼からは涙が浮き出て、重力に従って左の頬骨を伝う。

「過去を変えたい」僕は再びそう願った。だが、それはきっとできないだろう。

 教授の言った「過去は変えられない」という話を信じているのではない。できないというのは、もっと現実的な理由だ。


 今回の事件ですべてが失われた。研究成果、資料、後ろ盾、研究をする場所。そして、X。

 思えば、教授はXの作り方について何も話さなかった。それは、残された僕らが再びタイムマシンの開発に乗り出すのを防ぐためだったのだろう。名前がXなのも、きっと名前から組成などを悟らせないためだ。

 加えて、彼はXを「掘り出した」と言っていた。ノートと一緒に埋められていたと考えるのが自然だ。

 恐らく彼は完成品のXを先に見て、それを解析して製造方法を確立した。その一つを埋めて、過去の自分に見せた。

 Xが初めから存在していることありきの開発方法だ。数学の解があって、証明をするような。

 そのようなものがないなか、マシンを開発することは無理だ。諦めるしかない。


 不思議と、教授に対する恨みは出てこなかった。恐らく、彼もまたタイムマシンの被害者だからだ。

 ……こんな考えが出てくる時点で、僕も『過去は変えられない』論者の一味になっているのかもしれない。

 そんなはずあるか。あってたまるか。僕は考えを改め、彼を恨む方向に無理やり思考を巡らせてみる。

 まず、彼は『定められた未来』に抗おうとしたのか。『ノートに着いた傷が同じだった』というだけでそれを信じたというのなら、もっと抗うべきだ。

 ダメだ。やはり彼を恨むことはできない。彼が過去に抗わなかった恨みよりも、坂口さんが斎藤を助けそこねたことへの恨みよりも、自分が財布を忘れたことへの怒りと後悔が先に来る。

 なんで財布を鞄に入れていなかったんだ。いつもそうしているじゃないか。なんで、昨日に限って……。


 頭の中に酒井と斎藤の姿が浮かぶ。僕のことを好きだと言ってくれた女性。そのどちらも、もうこの世にはいない。


 どうやら、僕にまともな恋愛はできないらしい。永遠に過去の恋愛や女友達に囚われる。ある意味、これも『定められた未来』だ。

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