第9話

 入学から半年が経って私も湯川もだいぶ生活に慣れ、この生活も中々楽しくなってきた。少しでも前向きになろうと取り繕ったこのキャラも、だいぶ身体になじんでいる。

 湯川というのは学校で知り合った友達で、私と同期だ。


「少し図書館によってもいいかな。返さなきゃいけない本があるんだ」


いつもの様に彼と帰宅しようとすると、彼はそう言って図書館のある方を指さした。

「うん、いいよ。私もそろそろ返さないとなって思ってたのがあるし」

「ありがとう」


 そして私たちは図書館に向かい、本を返却した。その時、私はあるものを見た。

 あるものというのは、湯川の下の名前だ。うちでは図書館を出入りするとき、駅の改札のような機械に学生証をかざす必要がある。その時に見えたのだ。

「成章……」

 私は思わず、それを読み上げた。


「……今なんて?」それを聞いてか、彼は驚いたように振り返る。

「名前、見ちゃった」

「……なるほど。ここじゃあれだから、外に行こうか」

私がそう答えてみせると、彼は小さな声で続けて出口を指さした。話した内容だけ見れば怒っている様に思えるが、彼の口角はほんの少しだが上がっていて、喜んでいる様に見える。


「さっき、僕の名前を見たんだよね。なんて読んだ?」

 図書館を出てすぐに、彼は普通の声量で、確認するように聞いてきた。

「え?ナリアキラだけど……何かまずかった?」

 不思議に思いつつそう答えて見せると、彼は少し照れくさそうに顔をほころばせる。


「いや、はは。驚いたな。僕の名前をキチンと読んでくれたのは君が初めてだよ。学生証には名前があるけど、ルビはないだろう?その状況でしっかり読んでくれるとは嬉しいな」

「そんなに読みにくい字かな、これ」

 嬉しそうに言う彼に、私はそう返す。

「読みにくいさ。みんな初めて見た時は『ナリアキ』とか『シゲアキ』と読むからね。そのたびに訂正するのがなんか恥ずかしくて、昔から名前を教えるのがあまり好きじゃなかったんだ」

「ふーん。じゃあこれまでに下の名前で呼ばれていたことはないの?あるいはそれに近いあだ名とか!」

「うーん……」

 少し調子に乗った私が訊ねると、彼はそう唸り、少し物憂げな顔をした。

「ないね。うん、ない」

「……そっか、じゃあ私が呼ぶことにしようかな。ナリアキラだから……あきらとかはどうかな」

 地雷を踏んでしまったかと少し焦った私は、フォローするように続ける。


「ええ?勘弁してくれないか。…………恥ずかしいし、やっぱり僕は、自分の名前があんまり好きじゃない」

「えー?まあ嫌なら仕方ないね。じゃあこれからも湯川は湯川だね!」


 しかし彼は眼を泳がせてそれを断った。嫌がるのを無理に呼ぶわけにもいかないので、私はそこで引き下がることにする。一旦は。

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