第10話

 家に到着し、自分の部屋に入る。疲れていた僕は鞄を机に放り投げ、ベッドに寝そべった。

 大学に入学してから半年。机や床には研究や通常講義の資料が散乱し、少し前まで僕が呆れていた加藤さんのデスクの様になっていた。唯一の安全地帯はこのベッドだ。

 研究者の机は汚いものだと聞くが、それは事実なのだろう。いや、ただ単に僕がだらしないだけなのかもしれないが、程度の差はあれど研究室メンバーの机は皆こんなものだ。

 研究が机を汚くさせるのか、机を汚くする素養を持った人間が研究者を志すのか、少し気になるところではある。

 いずれにせよ、今日は掃除をする気にならない。僕は疲れているんだ。


 そういえば今日、斎藤に名前を知られた。下の名前だ。『湯川 成章』これは『ナリアキラ』と読む。そして彼女は、正しく読んだ。珍しいものだ。


「あきら……か。しばらく呼ばれていないな」

 先ほど斎藤が提案したあだ名を復唱し、つぶやく。それは、酒井が僕を呼ぶときに使っていた二人称と一致する。あまり思い出して気分が沈んでも嫌なので、斎藤にはそう呼ぶことを許可しなかった。

 次に呼ばれるのはいつになるだろうか。……早くマシンを完成させたい。


 音楽でも聴こうとスマホに手を伸ばし、電源を入れる。その時に日付が目に入り、僕はあることに気が付いた。もう10月に入ろうとしている。つまり、酒井がこの世を去ってからもうすぐ一年が経とうというのだ。

「一年……か」

 僕はスマホを胸に起き、天井を見て考えた。


 世間一般では、高校生のカップルというものは大抵遊びのモノらしい。そんなに好きでもない人と軽い気持ちで、交際と言えるほどのものではない交際をし、気が付くといつの間にか別れている。

 大抵は数週間から数か月で破局、あるいは自然消滅し、一年以上続く『長期間』と言える様な交際でも、卒業や新学期のクラス替えなどと同時に別れてしまうことが多いそうだ。

 仮に酒井が今も生きていたとして、僕は大学一年生のこの時期まで、彼女のことを好きでいられただろうか。逆に、彼女は僕のことを好きでいてくれただろうか。

 ただ確実に言えるのは、少なくとも卒業までの間は、彼女のために努力をしていただろうということだ。

 事実として、僕は多大な努力を払ってこの大学に進学している。ならば、僕は自分より頭の良い彼女と同じ大学に行くために努力を……。いや、そんなことはないか。

 そういえばそうだ。高校時代の僕は、「中堅大学にさえ行ければいい」としか思っていなかった。そんな男が、別に会えなくなるわけでもないのに、恋人のための努力はしないだろう。

 そうなると僕らは違う大学に通いながら交際を続けるということになるが、そんなこと可能なのだろうか。僕が、というのもあるが、彼女の方がいわゆる大学デビューを……。

 そう思うと、皮肉にも彼女の死が僕と彼女とをつないでいる気がしてくる。


「つまらないこと考えるな」

 僕は頭を振り、自分に忠告するべくそうつぶやいた。大体、こんなことはタイムマシンが完成してから考えればいい。そもそも彼女が生きていなければ、この懸念は始まりもしないのだ。

 それに、『大抵の悩みは先送りが解決してくれる』と、誰か偉い人が言っていた気がする。


 …………雄大だったかもしれない。

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