第3話
受験というタイムマシン開発への第一段階が終わり、いつもより浮かれた気分で学校へ向かう。
「おはよう湯川。なんか今日は顔色がいいな」
昇降口で、雄大が話かけてきた。
「受験が終わったからな、久しぶりに長く寝たよ。結果はまだわからないけど、とりあえずは休みだ」
「そうか。学校に来なくなったときはどうなるかと思ったが、無事受験も終えられたようでよかったよ」彼は嬉しそうに答えた。
そのあとは他愛もない会話をしながら、教室に到着した。
しかしその瞬間、僕の心臓は急に冷たく、ズシリと重たくなった。その現象は一瞬で僕の感情を暗くし、強い不安感を与える。
一体、僕の身体に何が起こったのか。原因はすぐにわかった。
あの窓だ、遠くに高層ビルの写る窓。酒井が落ちていくのを目の当たりにした窓。
今までは「受験」という大きな目標、あるいは中間地点を見て常に気を張っていたために、意識していなかった。が、考えてみればここはあの日と同じ教室だ。そんな場所にいては、あの時の記憶がフラッシュバックするのは当然である。
すぐにでも教室を飛び出したかったが、そういうわけにもいかない。
僕は嫌だと思いつつも、席に着いた。
するとそれはさらに悪化する。あの日と同じ教室で同じ席に座り、同じ窓を見ている。健康的でいられるはずがない。
またあの窓に、落ちる酒井が写るのではないかと考えてしまう。
『20201013_***.mp4』あの日の情景が動画として再生される。そして精神は、あの日と同期する。
体中から汗が流れ出て、呼吸は不規則に。
「出て行け……出て行ってくれ……」僕は小声で言い、繰り返される映像が消えることを願って頭と眼をおさえた。傍から見ればその姿は異様だろう。
幸いなことに、三年のこの時期は登校時間が短い。大抵の生徒は受験が終わっているため、週に二回程度ガイダンスがあるだけだ。
一時間ほどして、今日のそれは終了した。同時に、僕は教室を飛び出す。
卒業まで、あと五回。これを耐えなくてはならない。
当然、それは楽ではなかった。今まで数百と登校してきたのに、たった五回出るのがこんなにも苦痛だとは。
それでもなんとか耐えて、無事、卒業式の日を迎える。
あまり根気の良くない僕にとって、卒業式というのは中々に辛いイベントだ。中学校と違って証書の授与は一括で行われるため時間は短いが、そうは言っても退屈極まりない。式をする場所があの教室じゃなくて本当によかったと思う。
僕は、そんなドライな気持ちで式に参加していた。
というのも、酒井のいなくなった今、この学校に未練はあまりない。友人と大学が別々になったり、高校生という安定した身分を失うという問題はあるにせよ、大したことではないだろう。
「以上、卒業生279名」そんなことを考えていると、司会が言った。だが、何かおかしい。
確か入学時、この学年には280名がいたはずだ。僕の知る限り、同学年で留年、退学した者はいない。つまりこの消えた一人は、死亡した酒井ということになる。
さっきまで余裕だったのとは打って変わり、急に感情が沈みこむ。
彼女は高校を卒業することができなかった。死亡したのだから当たり前だが、それを改めて認識すると、心に重くのしかかるものがある。
その後教室に戻り、証書とアルバムを渡された。
「湯川、写真を撮らないか」
解散と同時に、雄大が言う。
「いいね。でも、できれば廊下で撮らないか?」
教室が嫌だった僕はそう返す。幸いなことに、彼は不思議そうな顔をしつつも「わかった」と応じてくれた。
「三年間ありがとう。君がいなかったら、僕は卒業できていなかったと思う」
「はは、だいぶテスト勉強に付き合ってやったもんなぁ。でも今じゃ、お前の方が良い大学に合格してる」
三年間の礼を伝えると、彼は笑いながら答えた。そして、「……本当なら、ここに酒井もいたはずなんだけどなぁ」と、続けた。
「……うまくやってみせるさ」
「……?」
タイムマシンのことを考えてそうつぶやいてしまった僕に、彼はまた不思議そうな顔をする。
「いや、なんでもない。それじゃあ、またいつかな」
僕は咄嗟に言い、その場から逃げるよう帰宅の途についた。
でも昇降口を出て正門のあたりに差し掛かった頃、少しだけ校舎の方に振り返った。
三年間通い続けた校舎と、体育の授業くらいでしか思い出のないグラウンドが見える。
本来ならば、ここは酒井との思い出の詰まった場所のはずだ。彼女が生きていれば、二人で思い出話をしながら何分も教室に居座って、学校との別れを惜しみつつ帰るはずだった。
……でも僕が過去を変えれば、それもきっとできるようになる。大学に通って、タイムマシンの研究に励むこと。それが今僕にできる唯一のことだ。
そうして僕は、学校にまた背を向けた。
卒業式の翌々日、どうにも僕は落ち着かなかった。というのも、今日これから合格発表があるのだ。最近は便利なもので、現地で掲示板を見ずとも、スマホで確認ができるらしい。
発表は正午。待たされるのは嫌なので、前日は目いっぱい夜更かしをした。
13時頃に起きることを狙っていたが、目論見むなしく11時には目が覚めてしまった。
仕方がないので時間を潰そうとスマホを開き、メッセンジャーアプリを起動する。
自分のプロフィールを見ると、そこには母校の3年であることを表すアルファベットと数字が記載してあった。
もう高校生ではないのだから、消しておいた方が良いだろう。
そう思った僕は編集画面を開き、文字を消した。だがそこで思った。新しい言葉は何にすればいいのだろうか。
「……。合格が決まってからにするか」
小さくつぶやき、編集を取り消す。そしてスマホを放り、ベッドに寝そべって天井を見た。
あと五十分。長丁場になりそうだ。
実際、かなり長かった。何かの結果が迫ると時間が遅く、過ぎれば早くなる。相対性理論……。タイムマシンの研究に関わるようになれば、そういうものもやることになるのだろうか。それをやることになるかどうかも、この結果にかかっている。
そして迎えた11時59分、僕はソファに腰かけてスマホの画面を眺める。3、2、1。画面右上に表示された時計が0:00を記す。
同時に僕は、メールに記載されたURLを押した。
永遠に感じられるロードが入り、結果が表示される。
『合格』
2021年3月6日、僕の大学進学が確定した。
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