とりっく・はっぴー・あーと

(有)あずき書店

とりっく・はっぴー・あーと

「ぐわぁー」

高校から帰り、ベッドに荷物と身を投げると、喉から初めて聞く変な音が鳴った。あひるのあくびってこんな感じなのかな。聞いたことないけど。

今日はとても良いとは言えない日だった。

寝坊して怒られたし、 筆箱を家に忘れたし、お弁当の箸も忘れたし。そして放課後、やっと勇気を出してラブレターで呼び出した先輩には恋人がいた。

それから、電車で家に帰ってきた後も、家の鍵を忘れたせいで三十分お母さんを待った。あと、癒されようと飼い猫のマロのベッドに行ったけど、撫でさせて貰えなかった。しかもそのマシュマロのような白いもふもふの幸せは、私を見るなりどこかへ走っていってしまったのだ。


それで今はやる気を失って着替えもしないままベッドに仰向けになっている。このままじゃ制服にしわがついちゃうな。ぼんやりしながら無意識につぶやく。

「あいあむはっぴー……」

はっぴー。今の気持ちと相性最悪なこの言葉は、私の口癖になっている言葉だ。どれだけ嫌なことがあっても、ポジティブでいれたらなと思い、ここ一年ほど続けているのだ。

マロの動画でも見よう、とスマホの電源をつけた瞬間、画面に軽快な音楽とともに通知が現れる。

中学時代からの親友で、高校も同じになった笑麻えまだった。最近は部活が忙しいみたいで会えていないが、たまに電話をしている。

そういえば、昨日「告白する宣言」してたな。いつもどおり三コールで電話を取る。


『もしもし、美咲みさき……』

ざらざらした電波の絡んだ彼女の声が、真剣なトーンで切り出す。

「ごめん笑麻! 振られた!」

『えー?! なんで!』

すごい勢い。盛大に音割れした彼女の声に驚いて、思わずのけぞってしまった。笑麻は他人に起きたことでも、何でも自分の事のように笑ったり、悲しんだりする。

「んっと、お付き合いしてる人がいる、だって」

『あー、それはタイミングが悪かったんだね』

「しかもさぁ……」

私は今日あった悪いことを順番に並べた。言いながらどんどん心がしぼんでいく感じがした。


『大変な日だったんだね』

「うん。……あー、あいあむはっぴー」

『ハッピー?』

口癖が出る。本気で思ってもないこと言ってるけど、効果ってあるのかな。

「うん、思ってはないけど、ちょっとは変わるかなって」

『いいね、そういうの。あ、でもどうせなら理由付けちゃおうよ!』

「理由?」

『そう、ハッピーになれる理由。後付けでもいいじゃん、きっと楽しくなれるよ」』

今日は嫌なことしか無かったのに、どうやって"はっぴー"に変えるんだ?疑問に思っている私のスマホに、彼女の弾むような声が届く。


『例えば、筆箱忘れたんだっけ。その後何が起こった?』

「え? 普通に借りたけど」

『誰に借りたの?』

「授業始まってから気づいたから、隣の席の人。あ、初めて喋ったかも」

『それだよ!初めて話せたこと。もし筆箱持ってきてたら話せなかったかもしれないじゃん』

確かに。隣の席の人は気難しそうな人だったけど、私の好きな猫のキャラクターのキーホルダーを鞄に着けていて、少し話してみたかったのだ。

『あとは……家の鍵忘れたんだよね。その後何があった?』

「家の前にかわいいお花見つけた。名前は分からないけど」

『いいね、鍵持ってたらそれも見つけられなかったかもしれない』

ほんとだ。悪いことがあっても、その後に良いことが隠れていた。それなら。

「あとは、忘れた箸を購買に貰いに行く時、職員室の前の課題ボックス見て、提出期限明日なの思い出した。」

『わ、私も忘れてた。後でやらなきゃ。』

 すごい、どんどん変換されていく。

「マロは行っちゃったけど、弟が変わりに追いかけて楽しそうだった。」

『うん、周りの人にもハッピーが広がった!』

楽しい。さっきまでのしぼんだ気持ちに空気が入って膨らんでいく。

「先輩には振られちゃったけど、ちゃんと恋人のこと優先して、私のことも優しく振ってくれるいい人だった。改めて気づけた。」

先輩のことは好きだったけど、恋人さんと幸せでいて欲しい。自分の事じゃなくて、今は自然と先輩自身の幸せを願っていた。


「悪いこともいいことになるんだね。」

『合ってる、けどちょっと違うかな。』

違う?

『どんなことも受け取り方次第だよ。嫌な事だと思ってもその後に良いことが起こったり、誰かが幸せを受け取ったり、自分が新しいことに気づけたり。』

電話越しでも笑麻が真剣な表情をしているのがわかる。

『楽しいことだって受け取り方しだいでもっと楽しくなる。どんな選択をしても、違う未来があるじゃん。もう昔に戻れないなら、今がいちばん楽しくなる理由を付けちゃおう』

隠していた悔しさとか悲しさとかがいろいろ、風船に包まれるように、違う感情のフィルターがかかっていく。

トリックアートみたいに視点を変えれば、一瞬一瞬が煌めいていく。

そうだ。後付けでもいい。今をいちばん楽しくできるのは私だ。

「笑麻、ありがとう。おかげで元気でたよ」

『何にもしてないよ! そうやってポジティブに考えられたのも美咲のがんばり!』

笑麻は誰に対しても素直でまっすぐ。そういう所が好きだなって思う。

「ありがとう。笑麻、おやすみ」

『それじゃまたね、美咲!』


電話を切り、大きく息を吸い込んで、声に出してみる。


「あいあむはっぴー!」

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