第54話 ゼン・ライトに残された道

 何かが見える。


 社畜の若造が、部長のような男にひどく叱られているところが。


『数字間違ってるだろ!!!ふざけんな!!!』

『……』


 若造はこうべをたれ、何も返さない。


『しかも、この月次決算の精算表を見てみろ、めちゃくちゃだああ!!』


 すると、部長のような男はますますいい気になって、その男に書類を投げつけた。

 

 若造は答える。


『月次決算の精算表の作成はもともと部長の仕事ですが……』

『はあ?何を言う!俺は会議がいっぱいあって忙しんだあ!今日中に仕上げないと、評価を下げるぞ。裕一郎くん』

『……』


 部長のような男に言われた若造はまたこうべをたれる。


 若造は、疲弊しきっていた。


 そして、場面が変わり、


 夜になった。

 

 若造は夜になったにも関わらず、社内に残って精算表を作っている。


『あれ?胸が苦しい……あの部長と関わってから急に体調が悪くなったよな……あいつ、全然仕事しないし、意味のない会議ばかりで……しまいにはこの会社に出資してもらって変な会社作って、自分はトップとして会社のお金を寄生虫のように吸い取ろうとするし……口だけ一人前なやつだな』


 疲弊しきった顔で、文句を言う彼だが、


 やがて

 

『はあ、はあ……息ができないっ!』


 若造はそのまま倒れ、白い目をむいてしまう。


 それから、


 また場面が変わり、


 魔王アークデビルの姿が映っていた。


 あれが転生前の魔王の人生ってわけか。


 そう思っていると、


 靄がかかったように辺りがぼやけて見える。


 自分は気を失った。



日本


とある病院


 目が覚めた。

 

 自分はハーレムを手に入れるためにアークデビル(裕一郎)と戦ったのだが、やつの攻撃を受け、その後から転生前のアークデビルの人生らしき場面が映っていた。


 けれどそれ以降全く記憶がない。


 一体何が起きたのだろう。


 確かめるしかあるまい。


 そう思って目を開けてみる。


「……ここは」


 白を基調にした部屋だ。


 窓からは太陽の光が差し込み、自分が横になっているベッドを照らす。


 このベッドの作りは異世界のものとは言えない。


 モダニズム的な機能主義に基づく極めてシンプルなデザインだ。


 そして、自分の腕には


「点滴……」


 そう。


 自分は今点滴を受けている。


 ベッドから立ち上がってみる。


 気絶するほどの強い目眩が押し寄せるが、なんとか我慢して点滴スタンドをずらし、鏡のところへ移動する。


「……」

 

 油っぽい髪、皺だらけの顔、目の隈、虚な目、妊婦ばりに出たお腹。


 これは……


「いやだ……」


 小声で言って、頭を抱える。


「戻るなんて……あり得ない……あり得ない!!」


 大きくなってゆく自分の声は、明らかにおっさんの声だ。


 そう。


 戻ったのだ。


 転生前の自分に。


 吉川養一に。


 絶望のあまりに体を震えさせ握り拳を作っていたら、誰かが走ってここに入ってきた。


「養一……」

「母さん……」


 白髪が目立つ自分のお母さんだ。


 もう73歳になるのか。


「心配していたのよ……交通事故に遭ったという連絡が来たから……」

「そうですか……」

「ええ。幸い、軽傷だったから手術なしで済んだけど、ずっと気を失ったままで……」

「……」


 軽傷か。


 間違いなく自分は10tトラックに轢かれて死んだと思ったが、無事だったのか。


 だとしたら、あれは夢?幻?


 それにしては、妙にリアルだったような。


 戸惑っている自分。


 母さんは、そんな自分のところへ行き、思いっきり俺を抱きしめてくれた。


「よかったね……」

「……」

 

 母の温もりを感じる。


 自分を産んでくれたこの体は、昔と比べるとだいぶ痩せ細っている。


 けれど、この温もり自体はまごうかたなき自分の母だ。


 そういえば、ずっと迷惑ばかりかけていたな。


 父は母を捨てて愛人と遊んだり、俺は母の期待に応えるどころか、ずっと引きこもり生活をして迷惑ばかりかけた。


 本当に、何やってんだ。


 転生した時は、自分の今までの不幸な人生が報われたと思っていた。


 キモデブだからいじめられ、ろくな職に就けず、結局引きこもって、母と一緒にいるのが気まずくて家を出て行った。

  

 そして国からお金をもらい、パチンコとエロゲ三昧。


 こんな底辺人生に終止符を打って、やっと新たな一歩を踏み出せると確信していた。


 けれど、


 自分はアークデビルに負けた。


 社畜の若造に負けてしまったのだ。


 そして見えてくるのは……


 もうすっかり老人になった母。


 母は、こんな人間クズのような俺をいまだに受け入れてくれるのか……


 だとしたら、俺に残された道は二つだ。


 この二つをクリアしないと、自分は本当に救われない。


 誰かがそう呟いている気がしてきた。


 なので、俺は母の背中に腕を回して口を開いた。


「母さん……すみません……」


 喉に何かがつっかえたような感覚だ。

 

 そう。


 俺は必死に我慢をしているのだ。


 だが、


 頬を伝って滴り落ちるこの涙を止めることはできない。



 1週間ほどが過ぎた。


 俺は無事に退院し、工事現場に来ている。


「……」


 しんどい……


 しんどすぎる。


「新入り!!何やってんだ!!早く運べ!!」

「……」

「早く!!」


 普段の自分ならキレてあの現場監督に石を投げつけたはずだが、


 俺は黙々と体を動かす。


 すると、現場監督が目を丸くし、聴こえないような小声でいう。


「ん……今回は当たりだな」


 一ヶ月ほどが過ぎた。


 最初は筋肉痛がひどくて、仕事が終わって家に帰ると、全然動けなかったが、今はちょっとだけ慣れている。


 しかし、仕事がしんどいことには変わりない。

 

 だがやめたいとは思わなかった。


 パチンコもずっと行ってない。


 どうやら俺の中で何かが変わったようだ。


 次の日は休む予定だ。


 明日は給料日だし、母にいい思いをしてもらうために使おうではないか。


 帰りしな、俺は駅前のデパートを通り過ぎた。


 その際、ショーウィンドウに映っている自分の姿が目に入った。


 俺は止まって自分の姿を見つめる。


 ボロボロになった作業服。


 だが、


「ちょっと痩せたかもな」


翌日


 俺は現金を下ろしに、銀行に来ている。


 すると、


「あきちゃん、小切手の提出が終わると、ちょっとどうかな?」

「え?」

「俺の家に行こうよ」

「こ、困ります部長……」

「いいじゃん、別に。あ、そういえば、そろそろボーナスの会議があるんだったよな」

「……」


 若い女子社員と部長らしき男がいる。


 部長らしき男は女子社員の体を触りつつ、セクハラじみた言葉をかけてきた。


「あいつ……転生前のアークデビルの上司と同じやつじゃん……」


 俺は思わず口走ってしまった。

 

 二つの感情が込み上げてくる。


 あいつのせいで若造は魔王に転生して、自分のハーレム計画を台無しにしたことによる怒り。


 そして、


 もう一つの気持ち。


「……」


 自分は何の躊躇いもなく、あの男の方へ近づいた。


「あの……すみません」

「え?」


 部長のような男は俺を見て顔を顰める。


 俺は彼に笑顔を向けた。


「ちょっと、裕一郎くんのことで大事な話がありまして……」

「あ?」


 俺と部長は銀行の後ろにある人気の少ない路地裏にやってきた。


「雄一郎くんの知り合いですか?」

「まあ、そんな感じですけど、あなたはそいつの上司だったんですよね」

「そうですね。まあ、残念なことになりましたが……」


 部長は在りし日に思いを馳せるように明後日の方向を見ては、クスッと笑ったのち、口を開く。


「もうちょっと俺の元で働けば一人前になれたんでしょうね」


 やつのセリフを聞いて、俺は鼻で笑った。


 ふっ、


 アークデビル、


 お前の復讐は


 俺がしてやるさ。


 何より


 この部長さえいなければ、俺は今頃……


 俺は拳でやつをぶった。


「おっ!」

 

 やつが反応する隙さえも与えない。


 俺は倒れたやつの上に乗っかって、顔面を殴り続ける。


「おっ!うっ!あっ!えっ!」


 数十分ほど続く俺の一方的な攻撃に、


 やつは気を失った。


 鼻血まみれで、顔面は一部が陥没している。


 俺は自分の拳をやつのシャツで拭って立ち上がる。


 そして再び銀行へと行った。


 もらった給料を下ろして財布に全部入れる俺。


 そしてさっきセクハラを受けた若い女子社員のところへ向かう。


「あの……あなたの上司、この銀行の後ろにある路地裏で倒れていますよ」

「え?」

「じゃ、」


 俺は早速銀行を抜け出した。


 底辺人生を歩んでいる俺だからこそできる贖罪。


 俺はほくそ笑んで呟く。


「アークデビル、クッソやろうが……俺の分まで幸せになるんだな」


 俺は早速母の家へと向かう。


 この年で親孝行とか


 遅すぎるな。




女子社員side



「な、何これ……」


 血まみれになって気絶している部長を発見した女子社員は目を丸くして驚くが、


 やがて、


 彼女の口角は


 徐々に吊り上がり、


 見下すような視線を気絶した部長に向ける。


「ざま!あんたは殴られるべくして殴られたんだ。天誅だよ!」


 言って女子社員は気絶している部長をスマホで撮り始める。





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