Roaring 15. ラプソディ・イン・ブルー



 七時を過ぎると楽隊が到着し、会場はより一層華やかになった。それもバーで演奏しているような五人組ぐらいの楽隊ではなく、普段はカーネギー・ホールで演奏しているような一流のフルオーケストラだ。日没後にはギャツビー邸の目の前に広がるプライベート・ビーチで泳いでいた連中も続々と引き上げてきて、二階の寝室で身支度を整えるか、あるいは水着のままでバーの賑わいの中に乱入していく。

 最初の頃は社交界としての緊張がある程度会場に張りつめていたが、この頃になるとそれは完全に崩壊し、たんなる乱痴気騒ぎに変わった。楽隊が奏でる煽情的な音楽を背景に、人々の囁きや爆笑は続々と大きくなり、会場内を寄せては返す波のような高揚感で満たす。

 そろそろ頃合いだと、ダーティはグラスを置いて立ち上がった。


「よし、んじゃ、帰るか、アメリア」

「えー、もう帰ってしまうのかい?」

「いや、もう腹いっぱいだし。これ以上いても……」


「――そうよ、まだパーティーは始まったばかりなのよ?」


 突然、背中に押し付けられた柔らかな感触とともにダーティの視界が覆われた。


「だーれだ?」

「お前も来てたのか、デイジー」

「もちろん! ギャツビー、会いたかったわよ」


 オパール色のドレスに身を包んだデイジー・クロウリーは軽くウインクして、ダーティが置いたグラスをひったくると、三分の一ほど残ったウイスキーを景気づけに飲み干した。


「さあ、アメリアちゃん、いくわよ!」

「えっ、えっ?」


 デイジーにぐいっと手を引かれるままに、二人は部屋の中心に備え付けられた舞台の上に躍り出した。フリスコ・ダンスのように両手を動かす闖入者に、一瞬だけみんなが静まり返るが、楽隊の指揮者がすぐにデイジーの動きにリズムを合わせて、場を盛り上げる。


「見て見て、チャールストンよ! ほら、アメリアちゃんも動きを合わせて!」

「は、はい!」


 金髪美女と獣人の少女の珍しい組み合わせに、周囲の観客から拍手と歓声が沸き上がった。それだけでなく、居ても立ってもいられなくなったのか、それを見た何人かが一斉に飛び出し、一瞬にしてダンスホールに変わった空間で円を描くように踊り出した。


「ほら、僕たちもいこうぜ」

「畜生め。男同士で踊る趣味はないぞ」

「お望みならば、オールド・スポート。絶世の美女に変わってあげようか?」

「よせよ。気持ち悪い」


 ダーティは苦笑交じりに肩を竦めて、様々な顔や声や色が交差して変転する世界に、ギャツビーとともに一歩を踏み出した。


「ダーティ、あたしのステップについれこられる?」

「ぬかせ」


 夏の夜の宴は始まったばかりだった。電飾の光を受けたシャンデリアの宝石が視界の上で瞬き、この禁酒法のご時世ではやや過剰摂取のアルコールと、強度を変えて繰り返される打楽器のリズムが次第に思考を理性から解き放っていく。男と女は身をくねらせて抱き合って踊り、相手を持たない娘たちも勝手気ままなステップを取った。ギャツビーはすでにダンスの相手を見つけたようで、デイジーも誰かに浮遊魔法をかけて貰ったのか、きらきらとドレスを光らせながら、まるで小妖精ティンカー・ベルのように楽しげに宙を舞っている。

 その時、客の一人に押されてよろけたアメリアをダーティは抱きとめた。


「おい、大丈夫か?」

「は、はい……。でも、ちょっと疲れちゃいました」

「お前はまだ子どもなんだから、あんな馬鹿な大人たちのペースに付き合う必要はないんだ」

「ちょ、ちょっと!」

「こら、暴れるな」


 ダーティはアメリアを抱きかかえると、群衆をずんずんと掻き分けていった。そのままバルコニーの階段を降りて庭に出て、プールサイドに置かれたデッキチェアに着地させる。


「あ、ありがとうございます……」

「水でも持ってくるか?」

「いや、大丈夫です」

「そうか。氷ならあるぞ」


 ダーティはその隣に横になると、サイドテーブルに置かれていたワインクーラーからボトルを一本拝借した。氷で冷やされたワインは火照った体によくなじむ。ついでに懐からたばこを取り出し、火を点けた。

 いつの間にか月は夜空高くにあり、海峡を明るく照らしていた。カランカランと氷が立てる音を聞きながら、アメリアはぼーっとプールの水で揺らめく白銀の月を眺めていた。


「まるで楽園パラダイスにいるみたいです。こんな世界があったなんて……夢みたい」

「楽園か。目的を忘れるなよ。あまりはしゃぎすぎて魔力を使い果たしたら困るぞ」

「それは大丈夫ですよ。あの、ものすごく盛大なパーティーですけど、毎回こんな感じなんですか?」

「まあ、そうだな」

「ギャツビーさんって何者ですか? 大富豪の御曹司かなにかですか?」

「……気にするな、オールド・スポート。ただの金持ちだ。それ以上でも、それ以下でもない」


 ダーティはふーっと煙を吐き出し、ギャツビーの口調を真似て言った。

 その時、狂乱のダンスホールでは、拡声魔法を使った指揮者の声がひときわ高く響き渡った。


「〈偉大なる魔法使いグレート・ウィザード〉ギャツビーに栄光あれ! レディース・アンド・ジェントルメン! これより、とびっきりの出し物をお見せしましょう。〈管弦楽の魔術師〉ラヴェルの弟子、ジョージ・ガーシュウィン氏の最新作をお送りいたします! 今年の二月にエオリアン・ホールで催されたコンサート『現代音楽の試み』にて発表され、一躍センセーションを巻き起こしました『青の狂騒曲ラプソディ・イン・ブルー』でございます!」


 指揮者は「みなさま、海峡をご覧ください」と付け足し、口上の最後に声を張り上げた。


「曲のおともに演じられますのは……みなさまもよくご存知、魔導花火師ウィザード・オズの最高傑作――『エメラルド・シティ』!!」


 青に緑をぶつけるのはギャツビーなりの皮肉に他なかったが、指揮棒が振り下ろされ、クラリネットのグリッサンド が始まった時、もはや誰もオーケストラには注目していなかった。

 一同は踊りを止めて、バルコニーに向かって一斉に駆け出した。手すりから身を乗り出すようにしてロング・アイランド海峡に注目する。

 直後、シンバルの音色とともにエメラルドグリーンの色彩が視界を覆った。打ち上げられる翡翠の宝石のような光が、軌跡を描いて夜空のキャンバスにエメラルドの都を描き出す。

 海峡中に響き渡るガーシュウィンの楽曲にリンクした魔法仕掛けの花火は物語仕立てで、王様に会いにいく途中に都で迷子になってしまった女の子の視点から情景が描き出される。閃光は弾けては溶けるように消え、弾けては連なり、都の外観である分厚く高い緑の城門は次第に大きくなり、一同は荘厳な美しき都市の中に子どもの視点で迷い込んでいくのだ。


「す、すごい……」

「なんだ、見るのは初めてか。……ニューヨークへようこそ、アメリア」


 口をあんぐりと開けたままの弟子に、ダーティはワインボトルを掲げて言った。



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