魔法探偵の弟子

1 グレート・ウィザード・ギャツビー





「はあ……」


 マンハッタン島、天高くそびえるニューヨークの摩天楼を見上げて、就活中のタイピストのような野暮ったい面接服を身につけた獣人の少女――アメリア・ファーリス・イアハートはため息を漏らした。

 視線の先では、高層ビルの狭い空を縫うようにして、『魅惑の香り ナンバー・ファイブ』とココ・シャネルの香水を宣伝する垂れ幕を吊るした宣伝用の飛行船がのんびりと飛行している。この場においてのんびりとしているのはそれだけだ。配達員や郵便局に勤める職業魔術師は、既定された交通空域を素早く箒で飛び交い、飛ぶことのできない一般人は渋滞した地上で魔導車のクラクションを忙しなく鳴らしている。


「これから、どうしよう……」


 アメリアは先ほど面接を終えたばかりのアメリカ魔法省の立派な石造りの建物に目をやった。

 ニューヨークにきて二週間が経ったが、未だに採用通知は受け取っていない。今日の魔法省の面接が本命ではあったが、こうして帰らせた以上、結果はわかりきっていた。慣例として、面接の合格者がその場で宣誓の儀式が行われるということは、もはや公然の秘密で、魔法省に勤める親を持つ友人からも聞いた話だった。


 筆記試験も実技試験も結果は申し分なかったはずだ。少女が未だに採用されていない理由は、ただ一つ、少女が亜人だからに他ならない。


 北部は自由主義者や移民が多いとは言え、獣人差別はやはり根深いものがある。獣の耳と尻尾、人ならざる手を持つ獣人は、魔法使いたちが姿を現し、魔法文明が始まる遥か以前から、『不吉』の象徴として迫害の憂き目にあっていた。

 それはダンバース魔法魔術学校を十二歳という飛び級で卒業した秀才、アメリア・ファーリス・イアハートと言えど、例外ではなかった。教授陣にはそれなりにもてはやされたものの、獣人に対する世間の風当たりはそれほど厳しかったのである。


「『黄色人種カラード、獣人お断り』……はあ~、ここもダメか」


 家からの仕送りは、すでにこの二週間分の宿代に消えてしまい、すでに財布には一セントたりとも入っていなかった。ネックレスや宝石など、売れる物はすべて質に入れ、残りは面接のための書類鞄と面接服、そして学生の頃から愛用している古びた箒が一本だけだ。

 魔法は万能ではない。魔術の使用には厳格な掟が存在し、貨幣の偽造や食料品の違法な生成など、資本主義経済に背くことはどこの国でも厳重に取り締まられている。アメリカ一の名門と名高い魔法学校でありとあらゆる呪文や魔術を修めたとはいえ、肝心の金と仕事がなければ、この大都会では無力に等しかった。


「お腹空いたな……」


 ひとまず、どこか適当な店で皿洗いでもさせてもらうか、それとも教会や救貧院にでもいこうかと考えたその時、建物の前に置かれていたオブジェのような移動門ポータルが鳴動し、半透明の異空間から魔法省の幹部職員らしい一等国家魔術師が姿を現した。

 グレーのしわ一つないスーツに身を包んだ、すらりとした長身の男は、魔法省の入口に向かおうとして、チラリと視界の端にうつった少女に目を向けた。そのままくるりと足を向けて、一歩ずつゆっくりと少女に近づいていく。


美しいお嬢さんビューティフル・レディ、なにか困りごとですか?」

「ああ、お構いなく……ちょっと、休んでいただけですから」

「いや、それは嘘でしょう」

「嘘、ですか」

「イエス。僕にはわかるんですよ。獣人のお嬢さん。就活中で、あなたはとても困って……」



「――うひゃああああ~、助けてぇええ!」



 その時、ウールワース・ビルの角を曲がるようにして、宙を駆ける暴走した箒がブロードウェイに突っ込んできた。その柄にはまだ十歳かそこらの子どもが捕まって、空中を振り回されている。


「ふむ、おそらく魔力炉の供給過多だな。クライスラー社の新型飛行箒の不具合だ。ちょっと、下がっていなさい」

「いや、私が」


 アメリアは杖を抜いて、「遅延せよアイロス・ロウンド」と唱えた。

 途端、空間が波打つようにして箒がゆっくりと遅くなった。箒から手を離した茶髪の少年は、ふわふわと浮遊して床に着地する。


「あっ……ありがとう」

「気をつけて」


 少年はペコリと頭を下げると、箒を抱えて逃げるように走っていった。


「ふうん、遅滞魔法か。なかなか筋がいいね。コントロールもいい」

「こう見えても、ダンバース卒なんです」

「へぇ、エリートなんだ」

「学歴なんて就活にはなんの役にも立ちませんよ。むしろ、私の場合はひがまれるぐらいです。この獣人風情がって」

「それはよくないな。君ほどの素質を持った者が社会活動に参加しないのは、じつによくない」


 男は腕を組んで、じっと少女を見つめた。


「料理や洗濯みたいな家庭魔法は使えるかい?」

「一般的な呪文ならそれなりに使いこなせますが、時間がない時以外は自分の手で行うようにしています」

「いい心がけだ。速記術は? タイプはできるかい?」

「事務系もすべて。こう見えても、魔女の中では次席だったんですよ」

「本当は主席だった、違うかい?」

「えっ、なぜ……。それを……」

「なんとなくさ」


 男は不敵に笑って、パチンと指を鳴らし、空中から一枚の黒い封筒を取り出した。意匠の凝った金の封蝋の下には、これまた金文字の速記体で『アメリア・ファーリス・イアハート』と名前が刻まれている。


「これって……」

「紹介状だ。じつはだね、会って早々だが、君に紹介したい職場があるんだ。知り合いの事務所だが、君のような子がいてくれると、とても面白いことになりそうなんでね」

「面白そうなことになりそうって……。あなたは一体……」

「ああ、そうだ。申し遅れた」


 男はニヤリと笑って、少女に手を差し出した。つけていた手袋を外し、じかに少女の人ならざる手を握る。獣人は比較的体温が高いが、それにしても死体のように冷たい手だった。


「ギャツビー。ジェイムズ・ギャツビーだ」

「えっ、嘘……もしかして、あの『偉大なる魔法使いグレート・ウィザードギャツビー』!? 去年、タイム誌の『世界で最も影響力のある百人の魔法使い』の表紙に載っていた?」

「かもね。そんじゃ、またどこかで」


 男は三日月のような笑みを浮かべると、ひらひらと手を振って踵を返した。



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