182.猫と過ごした結婚前夜(後)

 翌朝――ぴぴぴぴぴ。


 スマホの目覚ましが鳴ったとき、僕は既に身支度を終えていた。


 予定より、ずっと早く目が覚めてしまったのだ。


 結婚式の今日、集合は彩ちゃん宅に朝8時。でも僕はそれより15分早く来るように言われていて、なにやら特別な準備があるとのことだった。


 今日は、絶対に遅れるわけにいかない。


 だからいつもは使わない目覚ましをセットして6時に起きるつもりだったのだけど、それよりずっと早い5時に目が覚めて、朝食をとり、歯を磨いて、シャワーを浴び、身支度を整えたら、それでちょうど6時になった。


 部屋の隅を見ると、さんごとガールフレンドの白猫が、タオルケットにくるまって眠っていた。


 いつか、さんごが言ってたのを思い出す。


『光。よいメスの条件って分かるかい? それはね、交尾が終わったらさっさと帰ってくれるメスさ。泊まっていくなんて下の下だ。交尾の後は、余韻と未練だけがあればいい。よいメスというのは、それが分かっているのさ』


 となると、この白猫は『よいメス』ではないということになる。


「ふなーん」

「なおーん」


 でも身を寄せ合い、寝言で睦みあう姿が僕の目にどう映ったかは、あえて言うまでもないだろう。


 手持ち無沙汰になったのでスマホで夏休みの宿題を片付けてたら6時30分。その頃にはさんご達も目を覚まして、食事を済ませていた。


「ちょっと早いけど、行こうか」

「そうだね」

「なーお」


 彩ちゃん宅までは、ゆっくり歩いても1時間はかからないはずだ。


「ねえさんご」

「なんだい?」

「健人に聞かれたことがあるんだ……『喧嘩と試合の違いはなんだと思う?』って」

「うん」

「答えは『時間』だって……喧嘩が起こるのはいつも突然だけど、でも試合は、いつやるか決まっている。時間と相手が決まってる喧嘩が、試合なんだって……」

「うん」


 そんなことを話しながら、ふと思った。こんなことを、いま話してる理由って何なんだろう――答えは、自然と出て来た、僕自身の言葉だった。


「人生も――人生の重要な出来事も、いつも突然起こるものだと思ってたんだ」


 父さんと母さん、そして祖父ちゃんがいなくなったのも、突然だった。美織里との再会も、彩ちゃんやパイセン、さんごとの出会いだって、やっぱり突然だ。


「でも、これから僕は、結婚するんだけど……人生の重要な出来事なんだけど、でも……時間も相手も決まっていて……」

「それで?」

「なんだか……不思議な気分だね」

「そうか」


 山を下りたところで白猫と別れ、タクシーを拾うと、10分も経たずに彩ちゃん宅に着いた。



「おー、おはよう。ぴかり~ん」


 出迎えたのは彩ちゃんのお父さんで、異世界の正装らしき和服とタキシードの折衷案みたいな衣装。後ろで微笑むお母さんも、同様だ。


「きゅっきゅー」


 お母さんの更に後ろから顔を覗かせるどらみんもまた、着飾っていた。


「じゃあ、準備しようか」

「え?」


 思わず僕がたじろいだのは、お父さんの持つ『準備』の道具だった。スーパーのカゴに入れられたガムテープにビニール袋に……手錠?『準備』って?


「まずは耳だな」


 最初は、耳栓だった。


「鼻も塞ごう」


 丸めたティッシュが、鼻に詰められる。


 耳、鼻と来たら、当然次は――


「はい、ぐるぐるぐる~」


 ビニール袋を被せた上から、ガムテープでぐるぐる巻きにされた。


(そうか……そこまでして!)


 ここに来て、ようやく僕もこの『準備』の意図が分かってきた。


 昨日から、美織里達と会っていない。そうするように勧められた。事前に会わない時間を作った方が、結婚式で顔を合わせたときに新鮮で興奮するだろうからという考えからだ。


 だから昨夜、美織里達はホテルに泊まって、彩ちゃんも家には帰っていない。


 そして彼女達は、8時にここへ来る予定なのだけど、その際にも僕の視覚、聴覚、嗅覚の全てを封じてしまえば、彼女達からのあらゆる刺激が遮断され、結婚式で顔を合わせた時の刺激が、もっと高まるに違いないと考えたのだろう。


 そういう考えのもと、いま僕は五感を封じられつつあるのだけど。


 それでもまだ、探索者の強化された感覚で、多少の会話は可能となっていた。


 まだ何か準備してる様子のお父さんに、僕は聞いた。


「これって、美織里達もするんですか?」

「あー、するよ。目隠しくらいだけど。新幹線で寝たりするときに使うやつ」


 ああ……そうですか。


「ああ、でもまだぴかりん、聞こえちゃってるじゃん。目の方もまだ見えてるんじゃない?」

「じゃあ、これを使ってみなよ」


 悪魔みたいなさんごの声の後――ベチャリ、べちゃべちゃ。ビニール袋ごしに重くて冷たくてねばねばしたものに頭部全体が包み込まれる感触がして、僕の視覚と聴覚と嗅覚は、完全に封じられた。


 それから両手首に冷たい金属の感触――手錠ですね。なにかの拍子に、美織里達に触れてしまわないとも限りませんからね。


 最後は腰に紐を巻かれて引っ張られて、どこかの部屋に閉じ込められた。


 こんな状態で僕に出来ることといったら。


(こんな状態でも……呼吸は出来るんだな)


 そんなことを、考えることくらいだった。


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