141.猫はいろいろ知ってるようです(前)
駅前の、以前はデパートだったというビル。
僕が住む地区では、そこに探索者協会の支部が入っている。
「おはよう。美織里はどんな感じ?」
「……ちょっと、疲れてるみたいです」
「ふうん」
ビルの前で小田切さんと合流して、事務所のあるフロアへ。
エレベーターのドアが閉まった途端、小田切さんが微笑った。
「緊張しなくていいわよ。話は東京でついてるんだから」
「……ですよね?」
『クラスD昇格者向け講習』ではまたまたトラブルが発生し、講習場所が東京だったから大事になって、ダンジョン庁から人が来ての事情聴取も行われた。
僕も美織里も小田切さんも、それに呼ばれて痛くもない――実際は痛くてしかたがない腹を、さんざん探られたのだった。
「あの時ほどキツい突っ込みは入らない――はず」
だといいですね……
「はじめまして。支部長の田沼です」
事務所に入ると会議室に案内されて、支部長を始めとする職員の人たちに『クラスD昇格者向け講習』で何があったかを、報告させられた。
報告自体は小田切さんが行ってくれて、僕が話を求められることはなかったのだけど――
「ほお……はい、そうですか……(ちらっ)イデアマテリアさんは(ちらっ)あくまで巻き込まれた形で、騒動の原因に関与はしていないと……(ちらっ)はい。東京でお話しされた内容と(ちらっ)変わりはないと(ちらっ)。ふん……ふんふん……(ちらっ)」
書類をめくりながら、支部長の田沼さんは、しきりと僕に視線を送ってくるのだった。
(帰りたい……)
そんな居心地悪い思いをしながら、机の向こうに並んだ職員さん達を見てみれば。
『がんばれ~がんばれ~』
といった感じで固い微笑みを送ってくる人がいる。
一ノ瀬さんだ。
これまでさんざんお世話になった職員さんで、実はさんごが喋る猫であることも知っている。
そして――支部長が言った。
「ところで、うちの一ノ瀬が
そうなのだ。
一ノ瀬さんは、現役の探索者として復活し、イデアマテリアの契約配信者になること決まっている。
僕が聞かされたのは『クラスD昇格者向け講習』が終わってからだったのだけど、話自体は7月の第1週から始まっていて、第2週の始めには契約が行われてたらしい。
どうやら支部長は『クラスD昇格者向け講習』での騒動よりも、そちらの方を問題視してるみたいだった。
「一ノ瀬は、まだうちの職員でしてね。ご存じの通り、探索者協会では副業を認めていません。プライベートでダンジョンに潜って素材を売却したりする程度は認めていますが、配信者として契約というのは、どうなんだろうって話なんですよ」
「契約は行いましたが、履行されるのは再来月――一ノ瀬さんがこちらを退職して以降になりますので、服務規定には抵触してないのではないかと」
「いえいえ。それにしたってって話ですよ。そちらの春田君に関わってから、一ノ瀬はずっと大変な目に遭ってるんです。本来やるべき業務に割かれるはずの労力が、おたく絡みのあれやこれやにかかずらあって、そっちに取られて……こちらとしては迷惑してるんですよ。それが今度は『契約しました』『うちで働いて貰うのは辞めてからだからいいでしょ?』って、そんなね――」
あれ?
(
ふと思ったのは、この人は知らされてないんじゃないかということだ。ここの支部とイデアマテリアの、微妙な関係について。
僕が地元のダンジョンに潜ると『大顔系』が発生する。
バレれば、しばらくのあいだダンジョンが閉鎖になってもおかしくないし、僕がダンジョンに潜るのを禁止したからといって、僕以外の人間でも同じことが起こらないと証明するには時間がかかる。
ここの支部とイデアマテリアは、それを隠蔽する共犯関係にあるといってもいいだろう。
しかも揉めてトラブルが起こった場合、ダメージが大きいのは協会の方なのだ。
その上で、こんな風に文句を付けてくるのは、もしかして支部長は、そのことについて何も聞かされてないんじゃないだろうか?
●
「あー、知ってる知ってる。知った上で、ああいうことを言ってるんだよ」
と、一ノ瀬さんは言った。
●
探索者支部を出て1時間後、僕と小田切さんは、ホテルの1室で一ノ瀬さんと会っていた。
以前、美織里が泊まっていたホテルだ。
そこで、今後のことについて意識あわせをしておこうという話になったのだった。
さっきの支部長の態度について、一ノ瀬さんは言った。
「春田君と『大顔系』のことについては、俺が報告したから。イデアマテリアさんとこういう感じでいんぺ――連携しますっていうのも、彼の承諾を得ているし。その上での、ああいう態度なんだよ」
それに小田切さんも。
「一ノ瀬さんがうちに引き抜かれるのは止められない。では、今後どうするかって考えて、
「はい……」
この件は、それで終わったとして。
僕が聞きたいのは、一ノ瀬さんが、どうしてイデアマテリアと契約したのかということだった。
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