120.猫にも猫まんまを出しました
「うぃ”いいい……う”ばぁあああ…………」
そんな声がしたのが、夜明け前。
続けてよたよたした足音と、壁に頭をぶつけながら隣の撮影スタジオに倒れ込む気配。
(うん……これは、そういうことなんだろう)
だから、目が覚めて最初にやることは決まっていた。
布団をたたみ、顔を洗って、事務所に備え付けの小さなキッチンで味噌汁を作り、おてもやん母が持ち込んだ圧力鍋でお米を炊く。その間に冷蔵庫に入ってたおてもやん母の差し入れを温め、人数分の食器をさんごの首輪から出してもらい。
撮影スタジオのドアを開けると、僕は言った。
「みなさ~ん、起きてくださ~い! ご飯が出来てますよ~!」
すると撮影スタジオで爆睡していた数人のおじさん達が、むくむくと起き上がり始めた。誰かは分からない。でも確実なのは、昨夜おてもやんが一緒に酒を飲んでた相手だろうということで、1番可能性が高いのは『この事務所があるビルのオーナーの息子が経営している会社』の人だった。小田切さんの話では、昨夜おてもやんはそういう人達の飲み会に参加していたらしい。
「うえ”ぇぇ。ぼへぇ”ええ」
「いただきまーす。うう”うぅ……」
「ぼひぃいい。すびばぜ~ん」
「いたらき……ます。うぶぅ」
「う”ひぃ……う”ひぃ……あざます」
ある者は俯き、ある者は目をしばたたかせ、またある者は頭を前後に揺らしながらご飯をたいらげてくおじさん達。そんな彼らを眺めながら、僕は思った。
(これ……小田切さんには言わない方がいいんじゃないだろうか)
経緯が経緯(事務所主導のコラボで自宅が半壊)とはいえ、事務所の一室に住み着き、あまつさえ外部の人間を連れ込んで宿泊させただなんて、社会人経験の無い僕でも大問題だと分かる。こんなこと報告されたら小田切さんも何らかの処分を下さなければならないだろうし、下したら下したで後々にしこりが残りそうな気もする――どちらにしても、小田切さんにとって多大なストレスになるのは確実だった。
でも、そんなのは杞憂だったみたいだ――ある程度は。
「いや、本当に……申し訳ない。みっともないことになってしまって……こちらの……イデアマテリアの社長さんにも、後日……いや、後ほど、今日中にお詫びに伺います」
食事を終えると、おじさん達の中で1番えらそうな人が、僕に頭を下げてそう言ったのだった。これには驚いた。おてもやんを見慣れて、感覚が麻痺してたに違いない。酔っ払いとは、ずっと酔っ払ってるものだと思っていたのだ。酔っ払いも酔いから覚めれば普通の人で、ちゃんとした判断が下せるのだ。
「失礼しまーす。ごちそうさまでしたー」
「失礼しまーす」
「お邪魔しましたー。ごちそうさまでしたー」
「それでは、あの……後でまた、挨拶にきますね」
そうしてすっかりまともな状態になって、おじさん達は帰って行った。
一方おてもやんは、撮影スタジオに戻って二度寝だ。
「う”ぇええええ……ぶぇえええええ…………」
この人は、これでいいんだろうな。
いまあったことを小田切さんにメッセージして、僕はシャワーを浴びる。
身支度を終えると、ちょうど出かける時間だった。
今日は『クラスD昇格者向け講習』の2日目――探索実習だ。
「……おはようございます!」
「おはようございま~~~っす!」
事務所の前で待ってると、神田林さんと彩ちゃんがやってきた。
早朝にもかかわらず、2人とも全く眠気を感じさせない、普段通りのテンションだ。
しかし、それより気になったのは2人とも……なんだか?
「ん~~~。どうかしましたかあ?」
ぐいっと顔を近付けてくる彩ちゃんも。
「…………何か?」
すすっと身を寄せてくる神田林さんも。
(なんだか……きらきらしてる!?)
2人とも、いつにも増して美女美少女っぷりを輝かせているのだった。朝の光のせいだろうか? それとも、さっきまで見てたのが酔い覚めのしわしわなおじさん達で、そのギャップからだろうか。でも2人の顔がつやつやしてるのも、頬がやたらと柔らかそうなのも、唇がぷるぷるしてるのも、首が細く見えるのも、胸が大きく丸く見えるのも、開いた襟元からなんだか良い匂いがしてくるのも、そんなのとは関係ないような気がして…………
すると、さんごの背中に乗って王子が現れた。
「ははははは。彩もパイセンも色気づいたか!」
そんなセクハラめいた発言に僕はひやひやしてしまったのだけど、当の2人はというと。
「…………(ぷいっ)」
「え~、そうですかぁ? そう見えますぅ?」
という反応で、僕の勘違いでなければどこか喜んでるようにさえ見えた。
そして彩ちゃんが。
「王子はこっちでしょ~?」
「きゅ~」
王子をどらみんの背中に移動させると。
「おはよ~っす」
と、川端さんの運転するワゴンがやって来た。
そんな感じで。僕らは探索実習に出発したのだった。
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