94.猫は隠れて見てました(1)

「よお、ぴかりん――これからいいか?」


 大塚太郎が言った途端、辺りを歩いてた人が一斉に振り向いた。

 それほど良く通る、良い声だったのだ。

 単純に、イケボと言ってしまってもいいかもしれない。


 そして振り向いた人が、1人残らず『うわあ……』という顔になる。悪い意味ではない。みんな頬を赤くして、次に僕に気付くと顔を背け、足早に去って行く。


 初対面は夜でしかもカレンに襲われてる最中で、だから気付かなかったんだろうけど――


 大塚太郎は髭面だけど伸ばしっぱなしではなく整えられていて、印象はワイルドなのに顔立ちは端正。長身だから分かり辛いけど全身の筋肉がデザインしてそうなったように盛り上がっている、いわば『シェークスピア劇出身で今はハリウッドの超大作で主演を務めているアクション俳優』といった感じのイケメン、いやイケオジなのだった。


「は、はい! 大丈夫です!」


 思わず緊張して返事をした。

 そのまま大塚太郎の後をついていったけど、さんごは透明化したままだった。


「そうそう。探索者ジャケットなんかは、今日はいらないから――道具は用意してある」


 連れてかれたのは、コンビニの駐車場。

 そこに駐車してる、ワゴン車に乗った。


「あ……」


 声をあげたのは、スーツ姿の男性だ。ワゴン車の後部座席に座っていた。年齢は20代半ばといったところで、手に数珠を巻いている。その彼が、僕を見るなり詰まったような声をあげて、ぎゅっと数珠を握りしめたのだった。


「彼は木佐君。今日の修行のサポートをしてくれる。で――知ってるだろうが、今日の主役のぴかりん君だ」

「春田光です。よろしくお願いします」

「き、木佐です。よろしく」


 ささやかな違和感は無視して自己紹介が終わり、車は出発した。


「俺は、何でも屋でね」


 と、大塚太郎が言う。


「先祖代々『迷宮』絡みで商売しててさ。マリアにはひい爺さんの代から顧問みたいなのをしてもらってるんだ。うちの家系は魔術とかそういう方面に弱かったんだけど、マリアに世話してもらって、俺の代でようやく形になってね。ダンジョンが現れて『迷宮』で稼げなくなった今も、こうして飯が食えてるってわけ」


 ひい爺さんの代からって……マリアって何歳なんだろう?


「さあ降りてくれ――あそこの、電信柱だ」


 10分ほど走って、車は止まった。

 左右を塀に囲まれた、どこにでもある、住宅街の中の道だ。


「ほら、手を合わせて」


 言われた通り、電信柱に向かって手を合わせる。


「3年前、ここで酒に酔った老人が車に跳ねられて死んだ――で、それ以来、時どき出る・・らしい」


 ああ、これってもしかして――


「お化けが人に姿を見せるっていうのは、認識を操作する、一種の精神攻撃だ。低レベルでも、お化けや幽霊ってやつらは、そういうことが出来る。精神攻撃への耐性を付けるには、ちょうどいい練習相手だろ? というわけで、修行として君には、心霊スポットを巡ってお化け退治をしてもらいます」


 そういうことか。


「そういうことだ――分かるか?」

「ええ……ちょっと、濁ってますね」


 電柱の根元で、空気が淀んで渦になってるのが見えた。

 大顔系の『雑味』にあったしこり・・・も、目で見ればこんな感じだろうか。

 

「物質や現象としては、魔力の『雑味』ってやつと同じだ。違いがあるとすれば、人間の想念由来ってとこかな。じゃあ、ここは俺が片付けるから、しっかり見ててくれ――」


 そう言って大塚太郎が手の平を向けると、『淀み』が大塚太郎に吸い込まれ、消滅するのが分かった。


「――分かったか?」

「はい……魔力で圧をかけてましたか?」

「そう。それそれ」


 どこかから取り出したミネラルウォーターを飲みながら、大塚太郎が笑った。


 大塚太郎の中で『淀み』が消えるのと同時に、何かが砕けるような音が聞こえた気がした。それで推測したのを答えたのだが、どうやら当たってたみたいだ。


「じゃあ、次いこうか」


 車に乗って、また移動する。

 5分ほど走った次の場所も、住宅街の道だった。


「2年前、ここで酒に酔ったOLが車に跳ねられて死んだ――で、やはり時どき出る・・らしい」

 

 今度は電柱でなく、道沿いのブロック塀だった。

 さっきより、ちょっと大きい『淀み』がある。


「じゃ、ぴかりんやってみて」

「はい」


『淀み』に向かって、手の平を向ける。

 魔力を吸い上げるのと同じ感覚で、『淀み』を体内に吸い込む。

 魔力とは手触りの違う力が流れ込み――来た。


『いやだいやだいやだいやだ。行きたくない行きたくない。会社行きたくない。あたしは不幸。あたしは不幸。会社行きたくない。会社行きたくない。彼氏貧乏。彼氏貧乏。毎日毎日毎日毎日。いやだいやだいやだいやだ。毎日毎日毎日毎日。彼氏優しくない。彼氏優しくない。あたしは不幸。あたしは不幸。月曜日月曜日月曜日月曜日。いやだいやだいやだやだ。毎日毎日毎日毎日。あたしは不幸。あたしは不幸。あたしは不幸。あたしは不幸』


 墨を垂らしたように広がる声が、物理的にすら感じられる力で心を押し潰しにくる。


(これが……精神攻撃か)


 攻撃は視覚にまで及んでるようで、うっすらとだけど、僕の足にすがりつく女性の姿が見えた。腰から下は地面に空いた穴に埋まり、僕をその暗闇に引きずり込もうとしている。


 だけど――体の芯に向けて、魔力を押しつけるイメージで。


 魔力の圧をかけると、女性の顔が歪んだ。肋骨が歪み、腰骨は左右でずれ、脊髄がありえない角度に曲がる。取り込んだ『淀み』が崩れ、淡く疎らになっていくのが分かった。このまま圧を強くすれば、あと数秒もかからず『淀み』は形を失うだろう。でも――大塚太郎が聞いた。


「いけそうか?」

「はい。でも……燃えカスみたいな感じで、ちょっと残りそうです」

「そうか。燃えカスか……凄いね。木佐君、彼って凄くない?」

「はい。ここまで簡潔に言われると……複雑な気分です」

「おいぴかりん。それは本当に燃えカスだから。霊ってものが最小単位近くまで砕かれた状態だ」

「……原子まで細かくなる前の分子みたいな」

「お、うまいねえ木佐君。聞いたかぴかりん。原子に対する分子! その燃えカスはな、いわゆる祟りとか障りの原因――にはならない。だが溜め込んどくと、だんだん運が悪くなって、体の具合もおかしくなってく」

「ええ!? 不味いじゃないですか」

「だから、分子を原子まで砕く方法を教えてやる――よく聞けよ!」

「はい!」

「ワードだ」

「ワード?」

「大切なのはワードだ。圧をかけながらワードを思い浮かべろ。その霊が喜びそうな、20台後半から30台前半のOLの心を緩ませ、開かせ、言祝ぐワードだ!」


 難問だった。


『会社行きたくない。会社行きたくない。あたしは不幸。世界で1番。毎日が月曜。毎日が月曜。毎日が月曜。毎日が月曜。いやだいやだいやだいやだ。あたしは不幸。世界で1番。彼氏優しくない。彼氏貧乏。世界で1番。あたしが不幸。毎日が月曜。毎日が月曜。会社行きたくない。会社行きたくない。彼氏優しくない。彼氏貧乏。毎日毎日毎日毎日。あたしは不幸。世界で1番。あたしは不幸。あたしは不幸。彼氏優しくない。彼氏貧乏。いやだいやだいやだいやだ。毎日毎日月曜日。会社行きたくない。会社行きたくない。会社行きたくない。会社行きたくない。世界で1番。あたしが不幸。あたしは不幸。世界で1番。毎日毎日月曜日。あたしは不幸。世界で1番。世界で1番。あたしが不幸。毎日毎日月曜日』


 死んだ後までこんなことを言ってる人の心を開かせるワードって、どんなだろう? 職場や恋人に対する不満。そんなもので心を埋め尽くしたこの人を喜ばせるワードとは――いったいこの人は、生前どんな言葉を欲しかってたんだろう? でもそう考えたら答えが出た。僕は言った。


「がんばったんですね」


 そう、彼女に言ってみた。

 すると――見る間に表情を変えて。


『そうなの~。私、がんばったのよ~。なのになんで~。どうして~。どうしてみんな分かってくれないのよ~』


 泣き始めた彼女に、続けて言った。


「あなたは十分がんばりました。もう、がんばる必要は無いんですよ」


『ほ、本当? 本当にぃ~?』


『淀み』が消えていく。


「はい、本当です」


 砕けた『淀み』が、更に細かく、さらさらと溶けて流れていく。


『あ、あり……あり……あり……がと……う………………』


 そうして声も『淀み』も、彼女の姿も消えて。

 それからの数秒が、とても長く感じられて。


「ほい、お疲れ」


 大塚太郎に肩を叩かれるまで、僕は呆然と立ち尽くしていた。


「流石にちょっとは残るからな。これをよく噛んで水で流し込めば、明日の朝には全部出ていくから」


 ペットボトルと一緒に渡されたのは、白くてべとべとしたクッキーだった。言われた通りよく噛んで食べると、まず人工的な甘みが来て、次に安い油の匂いが口の中にへばりつく。使ってる小麦もあまり良くないみたいで、にちゃにちゃした歯触りは、率直に言って不快だった。


 しかし。


「あれ……すっきり、していく」


 みるみる心が涼やかになって、もう消え去ったかと思ってた『淀み』が、まだまだ残ってたのに気付かされる。


「だろ? 効くんだよこのクッキーは」

「特注品だったりするんですか?」

「いや、普通に店で売ってる。ただ、なかなか見つからなくてな――不味くて、人気が無いから」


 それから、今日の修行の締めとしてもう1カ所回ることになった。


「次は何年か前に殺人事件のあった、いわゆる事故物件だ」


 今度は一軒家ということで、車は近所の駐車場に停めた。

 

「木佐さんは、行かないんですか?」


 車を降りたのは僕と大塚太郎だけで、木佐さんは後部座席に残ったままだった。

 僕の問いに、大塚太郎が答えた。


「うん、いいんだ。死ぬかもしれないから」


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お読みいただきありがとうございます。


高レベルのモンスターの精神攻撃への耐性を付けるため、ぴかりんが幽霊退治で修行します。


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