92.猫は寝てたか起きてたか
こんな夢を見た。
●
「おのれ『萬呑』!!
最初に見えたのは、憤怒してあがく顔だった。
鬼だ。
肌は赤黒く、むき出しになった歯は牙と呼んだ方が近い。
そしてその全身は、顔だけを残し、既に呑み込まれていた。
脈動する、緑がかった灰色の、巨大な肉に。
小山ほどの大きさの体は、その表面に無数の目と口を開かせ、いま鬼を呑み込もうとしているのも、その口のひとつだった。
「ぐぬぉおおおおおお!!」
力強い悲鳴とでも呼ぶべき絶叫の後、ついに鬼の顔までもが、肉の小山に呑み込まれる。
しかし、その最後の瞬間。
ぽん。
と音を立てて、鬼の目玉が飛び出し、緩い放物線を描いて地面に落ちた。
「うぬぅ……たまらん! 刀もなにも失くしてしまった!」
目玉から手足が生えると、すぐに鬼の形となって、そうこぼす。
「おい『那須』よ!! どうする!?『太平洋』の
鬼が声をかけたのは、傍らに立つ美しい銀髪の女性だった。
頭に生えた獣の耳を揺らすと、彼女は言った。
「確かに……あのやかましい笛の音も、ずいぶん大人しくなりました」
女性が見上げる先は、闇だった。
しかしよく見れば、そこには壁があり、天井があるのだと分かる。
空の青を岩肌に変えたような、そこは、途轍もなく広い空間なのだった。
そして岩肌から響く、音があった。
ボォ、ボ、ボボ、ボォ、ボォォォ…………ッ
リードの壊れた木管楽器みたいな音は、聞いた途端、それを放つ者との対話が絶対的に不可能なのだと直感させる。
女性が言った。
「それにあなたも……すっかり可愛らしくなってしもうて」
「ぬ”うん……」
鬼は、女性の手の平に乗るほどの大きさになっている。
肉の小山との対比で見れば、さっきまで――小山に呑み込まれるまでは、身長30メートルはあったはずだった。
「ご覧なさい『鈴鹿山』――『太平洋』が、焦れました」
女性が指さす先で――ぼおん。
ぼおん。
ぼおん。
ぼおん。
新たに響いたのは、肉の叩かれる音だった。
ぬらぬらと全身を光らせた、汚らしい緑色の巨人が、肉の小山を叩いていた。
巨人が拳を振り下ろすたび。
ぼおん。
と、音が響く。
そして拳にへこまされた体表に、群がる無数の影、影、影。
辛うじて人の形をしてると分かる異形の群れは、巨人と同じく、ぬらぬらした緑色で肌を光らせていた。
テケリ・リ!
テケリ・リ!
テケリ・リ!
どこかから聞こえてくる声に囃されるかのように、人影は小山にとりつき、その目玉や唇を食い破って、更にその奥へと身を潜らせていく。
「さあて、ではお姉さんも頑張りましょか」
小山を襲うのは、それだけでは無かった。
女性の九つの尾から放たれる豪炎が、緑灰色の肌を灼けば。
「ぬぉおお。やるぅ。やるではないかぁあ!」
鬼が破顔し、今度は天を隠すほどの数の、氷の刃と鉾が小山に突き刺さる。
猛攻に、肉の小山の脈動も止まったかに見えた――しかし。
ずぱぁっ…………
巨人も人影も炎も氷も、一瞬で消滅した。
刀だった。
突然、小山から生えた腕――その振るう刀が、ひと振りでそれらを消し飛ばしたのだった。
「あっ! あれ我の! 我のだからあれ!」
地団駄を踏んで、鬼が抗議する。
どうやら、さっき呑み込まれたときに奪われた刀らしい。
女性が言った。
「名残惜しくも……こたびの顕現も、ここにて終わり」
女性の全身が、硬い光に包まれる。
見る間に形を変え、大きさを変え、女性は――声がした。
「それでは『鈴鹿山』――『殺生石』、運んでもらいましょか。『太平洋』もよろしゅうに」
声は、石が放っていた。
その、人の背丈ほどもある石に、女性は姿を変えたのだった。
「お、おう! お前もいいな!『太平洋』!」
石を抱え上げながら叫ぶ、鬼の呼びかけに。
ボォォォ…………ッ
姿は見えなくとも、確かにここにある存在が答えた。
「ぬぐおおおおおおお!!」
鬼が駆け出すのと同時。
ぬらぁ……っと。
虚空から生えた触手が、小山を撫でた。
たちまち緑灰色の表皮が溶け、その奥に僅かな桃色の――生の証を示す色彩が現れる。
そこへ、鬼が。
「ぐぁああああああっ!! くらぇええええええ!!」
鬼が跳び、桃色に爪を立て、すがりつく。
そして、叩き付けた。
女性が変化した石――『殺生石』を。
「fdlskfjdslkfjsflksfjdslkfjsfjslfkjd」
それは、肉の小山の放つ初めての声だった。
緑がかった肌色が黒く染まり、たちまちカビの生えた鉄塊と化す。
鬼や、虚空から伸びた触手も同じだった。
現象の中心にある石については、言うまでも無いだろう。
小山も鬼も触手も石も全てが錆びた粉となり、それからほんの数秒で消え去った。
後に残るのは――気配と声だった。
夢の視聴者である僕は、ここで恐怖を抱く。
この夢を写すカメラに、突然、近付いてきたのだ。
鬼と女性と触手の持ち主――彼らの気配と声が。
こちらを見下ろしながら、彼らは会話を始めた。
「ほれ、童……人間の童よ。我らの骸をくれてやろう。骸に宿りし『意』を喰らい、なんなら星でも守護るが良いさ」
「彼奴の骸は、どれ……そっちの童に食べさせましょか」
「『萬呑の獣』が、人の童に喰われるとは……ウケる!」
「超ウケますなあ」
「星海の泡を超え、またぞろ彼奴らが現れたなら――童。うぬらが見事ぶち負かして見せい!」
「うちらが与えし『意』と」
「彼奴から喰らいし『意』で……ウケる!」
「ボボォォォ…………ッ」
「おやおや。『太平洋』も大爆笑」
「ボボボォォォ………………ッ」
「おほほほほほ」
「ぬははははは!!」
●
地面を揺るがす哄笑と共に、夢は終わった。
目が醒めて、しばらく僕は震えが止まらなかった。
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