65.猫はいないが厄介は尽きず(3)小学生漫才師 神田林トシエ

 それは、神田林さんの人生についての話だった。


「私の……トシエって名前。音としても古いし、それに……漢字じゃないの。カタカナでトシエなのよ。それで、親に聞いたんだけど……『どうしてこんな名前なの?』って。そうしたら『お爺ちゃんに『死んだお婆ちゃんの名前を使ってくれ』って頼まれて断れなかった』って、それが両親の答えだったんだけど……違ったの。お爺ちゃんや親戚の人たちが『お婆ちゃんの名前を使ってくれ』って頼んだのは本当。それを私の両親が断れなかったのも――でも問題は、どうしてお爺ちゃんたちが、そんなことを頼んだのかってことだったの」


 そこで言葉を区切ると、それまでよりずっと小さな声で神田林さんは言った――酷すぎたのよ。


「両親が私に付けようとしていた名前が、あまりに酷すぎたの。そんなのやめた方がいいって、親戚も、両親の友達も、近所の人にも言われたそうよ。でも両親は、そんなの聞かない。その酷い名前を私に付けるって、方々で言っては諫められ、それでも撤回しなかった――分かるでしょう? お爺ちゃんが『お婆ちゃんの名前を使ってくれ』って頼んだのは、両親の考えた酷い名前を私に付けさせないためだったのよ。お爺ちゃんに、そんな風に頼まれたら断れないだろうって」


 そこまで聞いて、僕にも分かった。その酷い名前というのが――マルセリーニョ。


「マルセリーニョ。達磨大師の『磨』に瑠璃の『瑠』、逢瀬の『瀬』、李下に冠を正さずの『李』、鋳型の『鋳』、大日如来の『如』で――『磨瑠瀬李鋳如マルセリーニョ』」


 それに僕が何て言ったらいいのか迷って――いる間も無く、神田林さんは続けた。


「それで話は変わるけど、NMCってあるでしょう?」


 NMC――Nihon Manzai Championship。結成して10年以内の漫才師が出場して、漫才の日本一を決める大会だ。応募資格はプロアマ問わずで、毎年1万組近いコンビがエントリーしている。だからテレビで放送される決勝戦までの道のりは過酷で、4回の予選とその後の準決勝を勝ち抜かなければならない。


 で、そのNMCが――まさか!?


「私、NMCに出たことがあるのよ……小学生の時だけど」


 そのまさかだった。


「3回戦までしか、進めなかったんだけど」


 しかも、けっこう勝ち進んでた!


「友達のお兄さんが漫才師を目指していて、NMCに出るからって、台本をみせてくれたの。つまらない台本だったんだけど、『こうすればいけるんじゃないか』って思った部分を思い出しながら、家に帰って自分でも台本を書いてみたら、思いのほか面白い台本ほんが出来て、それで友達に見せたら『私たちも出てみない?』ってことになって……それで友達とエントリーしたら、1回戦は大受け。2回戦でも受けた。でも3回戦を前にして『このままじゃ台本が弱いな』って思えてきて、それで新ネタを書き下ろそうと思ったんだけど……なかなかいいアイデアが降りてこない。稽古の時間も足りない。というわけで使うことにしたのよ――私の名前にまつわる、間抜けな家族のエピソードを」


 あんな強烈なエピソードを小学生が喋るのだ――ウケないはずがないだろう。


「3回戦――ウケたわ。どっかんどっかんウケた。でも、勝ち抜けなかった。私たちが1番ウケてたのに……予選が終わって、審査員で一番偉そうにしてた放送作家が、私のところに来て言ったの。『あのなキミ、ウケたら何でもエエってモンではないでぇ?』。そう言われて、反発する気持ちは無かった。腑に落ちるって、ああいうことを言うのね。心の一番奥の場所に、すとんとはまるようだったわ……それでね、その時に始めて気が付いたの。3回戦では、友達に何も喋らせてなかったって。1人で面白エピソードをまくし立てる私の横で、頷かせることしかやらせてなかったって。それからその友達とはあまり話さなくなって、中学校は別々になった」


 ごめんなさい。思ったより長い話になってしまって――長く息を吐き、神田林さんは続けた。


「高校に入って、友達に誘われたの。ダンジョン探索部に体験入部しに行こうって。友達は探索者に興味があって、私が探索者に興味を持ってるのも知ってた。それで体験入部で探索部の部室に行って、装備を付けさせてもらったりして、お喋りしてたら――ぞっとしたわ。楽しかったから。凄く馴染めるって確信したから。あなたも聞いた通りの、彼らのああいう話しぶりを、私もするようになるんだって思ったから。私は……こういう性格だから。彼らよりもっと辛辣で、もっと冷笑的で、もっと嫌みな言葉遣いで。でもぞっとして、入部を思いとどまらせたのは……あの時、あの放送作家に言われた言葉よ――」


『ウケたら何でもエエってモンではないでぇ?』


「思い知らされたわ。あの言葉が、私の自我の深い部分にずっと流れ続けてたんだって。そして私の中には、もう小学生じゃなかったから、それがどういうことなのか説明する言葉が存在していた。倫理とか、品位とか、節度とか、トカトントンとか、狂人の真似とて大路を走らばとか、我々が表向き装っているものこそ我々の実体に他ならない、とか。それで私は探索部に入らなかったんだけど、友達は入部した――入部後、部長や副部長に、いつも言われてたらしいの。『神田林さんを連れてきてよ』って。それである日、気付いたら広まってたのよ。私の『私の名前にまつわる、間抜けな家族のエピソード』が。そう。その友達が、一緒にNMCに出た友達。中学では別だったけど、白扇高校で再会したの。それで……それで、その時になって思い出した。探索部の部室で、先輩とお喋りして盛り上がって、でも横にいる彼女は、何も話してなかったって。何も、喋らせてなかったって」


 そこで10分が過ぎ、神田林さんがテントを出た。

 代わって彩ちゃんが入ってくる――はずだったのだが。


 その代わり、こんな声が聞こえてきた。


「いい加減にしてください! なんなんですか! 模擬戦って!」


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お読みいただきありがとうございます。


神田林さんの過去回です。


『猫はいないが厄介は尽きず』では文章がクドくなってるかもしれませんが、どうかご容赦ください。


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