7.猫が何やらやってたようです

 翌朝、学校に行くと――


『ヒソヒソ。ほら、あの子が……』

『ヒソヒソ。あいつだよ』

『ヒソヒソ。マジで? みおりんの?』


 なんてヒソヒソ話に晒されることは無かった。


 昨日の美緒里の配信に映ったのが僕だと気付いた人は、どうやらいないらしい。

 いや、昨日から怖くてネットを見てないんだけど。


 ただ柴田先生という、隣のクラスの担任がやってきて。

「春田光ぅううううう! 貴様、みおりんを汚したな! ぶちころすぞ!」

 ひとしきり喚いたかと思ったら、

「柴田先生! あんた何やってるんだ!?」

 と、他の先生に引きずられて退場していった。


 美緒里のファンは、20代後半から30代前半の女性が多い。

 そして柴田先生は、それくらいの年齢の女性だった。


「春田ぁああああ! 光ぅううううう! 許さぁあああん! 許さんからなぁああああ!」


 教室では、そんな柴田先生を見て爆笑している一団がいた。


「ウケるわ~。柴田先生!」

「健人、笑いすぎ~」

「「「「「ぎゃはははは~!!」」」」」


 笑っているのは、クラスの1軍グループだ。

 そしてその中心にいるガタイの良いイケメンが、春田健人。


 美緒里の弟だ。


 健人と美緒里は、血が繋がっていない。

 美緒里の母親は既に亡くなっていて、健人は叔父の再婚相手の連れ子だ。

 叔父と一緒に、去年の秋、この町に引っ越してきた。


 そして健人は――昼休みになると。


「おい光。ジュース買ってこい」


 少なくない頻度で、このような命令を僕にする。


「いつものでいいから。俺がグレープで、康夫がコーヒー牛乳。美千留がレモンティーで明菜がオレンジジュースな」


 言いながら健人が、いつもの様に僕のポケットに500円玉を入れる。

 頼まれたジュースを買って戻ると。


「あの、健人君……」

「あぁん? 金、足りなかったか!?」

「いや、足りないわけじゃなかったんだけど……」

「じゃあいいだろ!」


 と、健人はジュースを受け取って仲間との会話に戻る。


「いつもこのやり取りしてね?」


 そんな声が聞こえてきたが、それに健人が応えることは無かった。

 これも、いつものことだった。


 そして放課後になり――


 スマホをチェックすると、2通のメッセージが来てた。

 1通は美緒里からで、もう叔父の家で夕食を食べなくて良いとのこと。

 それからもう1通、別のアカウントから届いたメッセージは……


「うん」


 今日は、早く帰る必要は無いみたいだ。

 というか、早く帰らない方が良さそうだ。

 というわけで、町で寄り道して帰ることにした。


 向かったのは、駅の近くにある格闘技道場だ。

 じいちゃんが立ち上げ資金を提供したそうで、僕は会費を払わず練習させてもらっている。


 500円でレンタルの練習着を借りて着替えると、タイミング良く5時からの総合格闘技MMAクラスに参加することが出来た。


 教えてくれるのは、柔術黒帯で数年前に現役を引退した、元プロ格闘家の先生だ。

 準備運動とテクニックの練習の後、スパーリングの時間になる。

 

「いいぞ! 期待の新星!」


 そんな声があがって、見ると健人が先生相手に善戦していた。


 このジムには、健人も通っている。

 時間がある時に来るだけの僕とは違って健人は皆勤で、先日出場したアマチュアの大会ではKO勝ちしたらしい。このジムに入会したのは引っ越してきてからだけど、わずか数ヶ月でジムの期待株になっていた。


 ブザーが鳴ってスパーリングが終わり、休憩時間に。

 次のブザーが鳴るまでの1分間で、みんな次のスパーリング相手を決める。


「健人君。次、お願いします」


 僕は、健人にスパーリングを申し込んだ。

 健人は、無言で頷いてマットの空いてる場所を指差す。

 2人でそこに歩いてくと、ブザーが鳴った。


「よろしくお願いします!」

「……っす!」


 このクラスでのスパーリングは、ガチスパーではない。ガチスパーとは、本気で打撃を当てたり関節技を極めたりするスパーリングだ。反対に、軽く当てるだけのスパーリングはライトスパーと呼ばれて、この時間帯のMMAクラスで行われてるのはライトスパーだけだった。


 ぱしっ。

 ぱしっ。


 僕のローキックを健人がスネでガードし、健人のストレートを僕がパーリングする。


 ぱしっ。


 僕のボディストレートを、健人が手の平で受けながら下がる。

 同時に健人が出した前蹴りを避けながら、僕はタックルした。


 ごろごろごろ。


 しかし脇を刺されて、健人が上の状態で寝技の攻防に移行する。

 試合なら、ポイントを取られているところだ。

 寝技も攻防の流れを重視して、きつく抑え込んだりはしない。

 何度かポジションを入れ替えながら、僕がオールドスクールという技をかけようとしたところでブザーが鳴って、スパーリングが終了した。


 それから、練習が終わった後のロッカールームで。


 シャワーを終えて着替えてる健人に、僕が話しかけようとすると。

 僕より先に、健人が言った。


「それ、返すとか言うなよ」

「うん……」


 自分の手の中にあるそれ・・を見下ろしながら、僕は頷くことしか出来なかった。

 それ・・とは、1万円札だ。


『おい光。ジュース買ってこい』


 そう言って、僕のポケットに500円玉を入れながら。

 一緒に健人は、1万円札を入れる。

 いつも、当然のように。


 そしてそれを僕は、自分で使うことも、健人に返すことも出来ずにいる。

 ちょっと苦労して、僕は、これだけ伝えた。


「美緒里と会ったよ」

「そうか」


 ジムを出て、いつもと同じように山菜狩りして帰ると、いつもと同じくらいの帰宅時間になった。


「ただいま~。さんご、それが、メッセージで言ってたあれ・・?」

「うん。これが、あれ・・だ」


 僕らが見てるのは、テーブルの上のパソコン。

 パソコンの画面には、さんごの写真。

 その下には、こんな文字が表示されていた。


 さんごチャンネル


 ドヤ顔で、さんごが「みゃおん」と鳴いた。


「さあ、お金を稼ごうじゃないか」


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お読みいただきありがとうございます。


本日は20時と24時にも投稿します。


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