2.猫が喋りました

「最初に言っておこう。君の精神も思考も正常な状態にある。少なくとも、いま君が危惧してるであろう重篤な状態に陥っているわけではない」


 どうやら、僕は狂ったわけではないらしい。猫の言葉を信じるなら――巨大なコッペパンで空からやってきた2本足で歩いて人間の言葉を喋る猫の言うことを信じるなら、だ。


「まあ仮にそうなってたとしても、既に取り返しがつかないという、それだけのことなのだけどね」


 と、猫は続けた。うん、それはそうだね……って、納得してる場合じゃない!


 しかし、いま僕の正気を保証してくれるのは、この猫しかいない。正しく正気を確信したかったら、小屋に帰って、誰かを呼んで、第三者の視点から判断してもらうしか無い。でももしそれで『猫? そんなのどこにもいないけど?』なんて言われたら……うああああ!


「客観的に見て、君が悪い人間ではないのは分かるよ。悪い人間であれば、そこまで狼狽ろうばいを露わにしないだろう。さて、では……ほら、分かるだろ?」


 猫に促されるまま、僕は猫を抱き上げる。


「座って」


 猫を抱いたまま、濡れた土に腰を下ろした。


「撫でて。頭から……おっと、お腹は撫でてくれるなよ?」


 言われるがまま、僕は猫を撫でる。


「ふわぁあ。そこ、顎の下のコリコリを潰すように。ふわぁお。わぁお」


 と、猫は喉を鳴らしながら僕の手指の蠢きに身をよじらせる。


 10分近く、そうしていただろうか。


「さて、そろそろ君も、自分の正気を信じられる頃だと思うのだけど」

「うん……確かにそうだ」


 猫を撫でている間、僕は心安らかだった。もし僕が最近の日本映画にありがちな総白髪でヒャッハーなイケメン連続殺人鬼だったりしたら、こんな気持ちで10分も猫を撫でていられるわけがない。


「もう1つ、言っておこう。僕は君の心の中を読んだけど、それは君が僕にとって害のない人間だと判断するまでの、ほんの数秒間だけだ。君はこう考えていたね――僕のことを『宇宙人』ではないかと」

「うん」

「それは正解だ。僕は、この惑星由来の生命体でないという意味での『宇宙人』だ。でもそれは僕の特異性の半分しか言い当てていない」

「じゃあ、もう半分は?」

「異世界――僕は、異世界から来た」

「異世界……」


 僕が考える異世界とは、異世界転移とか異世界転生もののアレだけど、この猫が言ってる異世界も、それと同じアレなのだろうか?


 そもそも僕が思い浮かべてる異世界にしても、具体的にどういうものなのか、言葉で説明できるかと言ったら疑問だった。


 僕の腕から降りて、でんぐり返りしながら猫が言った。


「『この世界のそれとは異なる上位存在に管理された世界』くらいに思ってもらえばいい」

「ああ、それなら僕が思ってるのと同じだ。異世界ものでも、世界ごとに神様が違うし」

「理解が早くて嬉しいよ」


 くすぐったそうに目を細めながら、猫が続ける。


「つまり僕は、宇宙を旅する途中でこの世界に転移した、2重の意味での異邦人エトランゼというわけさ。そして現在、数10次元を跨る強引な越境により『汎行機』は中破。所持しているのはストレージリングと携行用スキルシステムのみ。つまり――」

「つまり?」

「僕には当面のあいだ身を寄せる場所が必要だということだ」

「それって、うちに泊めろってこと?」

「いいよね?」


 いきなりすぎるけど、ふにゃーんと上目遣いで見られたら断るわけにも行かなそうだった。


「いいけど。僕は光――春田光。君は?」

「名前かい? 僕たちのプロトコルに名前は使用されないんだ。だから僕には名前が無い――まだ無い。あえて似たものを探すなら……そうだ。これを触ってみて」


 猫が前足で自分の首輪を指した。首輪には楔文字を複雑にしたような文字が刻まれていて、そこに触れると、何故かこう読めた。


 35987-298


「それを参考に、君が考えてくれ」

「さんご」


 とっさに、僕はそう答えていた。

 35987-298の『35』から取ってさんご。


 これに対し、猫の反応はというと……


「うん、いいんじゃないかな」


 と、気に入ってもらえたみたいだった。


「では、行こうか」


 と、さんご・・・に言われるまま僕の家に行くことになった。巨大なコッペパンは、さんごが首輪の鈴を鳴らすと一瞬で消えた。さんごの説明によると、いわゆる無限収納に収納したのだという。異世界という言葉に、めちゃくちゃ説得力が増した。


 さんごを抱いて歩き出すと、不思議といつもより夜目が利き、歩くのも楽だった。これってもしかして……


「さんご、僕に何かした? 具体的に言うと身体強化――身体能力の上がるスキルを与えたりとか」

「いや、そういうことは……ごめん。嘘を吐いた。携行型スキルシステムが勝手に君に接続してサバイバリティ向上のスキルを付与していたみたいだ」

「勝手に接続って、駅とかコンビニの無料WiFiみたいだね」

「無料WiFiというのが何かは分からないけど、どうやら君がそれを不快に感じてるらしいことは分かるよ」

「うん。勝手に接続してくるくせにWEB認証を求めてきたりして面倒なんだよねえ。さんごのこれは、全然違ってありがたいくらいだけど」

「それなら良かった」


 そんな会話をしてると、ますます異世界というか異世界もの感が増してくる。もっともこれから帰るのは、僕の世界の僕の家なんだけど。


 それにしても。


(やった……これで僕もスキル持ちだ!)


 内なる歓喜に、身を震わせる僕だった。学校でのステータス検診では、これまで全くスキルが生えてなかったのだ。


(探索者にも……なれるかも!)


 往きとは違って平坦な道を遠回りして、最初にさんごの『汎行機コッペパン』に気付いた辺りに出た。


 山の中の、いわゆる酷道だ。

 木々の間を抜け、砕けた石がごろごろ転がる道路を歩きだした――その時だった。


 サイレンが鳴り、続けて声がした。


「避難警報です。XX町でモンスターが目撃されました。ゴブリンが5体、XXダンジョンから抜け出し、現在は国道XX号線をXX山頂上に向かっているものと思われます。近隣の皆さんは最寄りの建物に避難してください。繰り返します。XX町でモンスターが目撃されました――」


 XX山というのは、いま僕がいるこの山。国道XX号線というのは、いま僕が歩いているこの道だ。そして避難警報は、ゴブリンが国道XX号線のどの辺りにいるかまでは教えてくれなかった。


 酷道の、崖に隠れた向こうから声がした。


「ヒアゥィッ」

「ヒアゥィッ」

「ヒアゥィッ」

「ヒアゥィッ」

「ヒアゥィッ」


 どこか跳ねるような足音。生臭い匂いが伝わってくるような呼吸音。『Here We Go』の『Here We』だけを繰り返してるような声。いくつもいくつも音が重なって、近付いてくる。


「ヒアゥィッ」

「ヒアゥィッ」

「ヒアゥィッ」

「ヒアゥィッ」

「ヒアゥィッ」


 さんごが言った。


「どうやら、武装が必要な状況のようだね」


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