第五十八話「藤宮葵2」

 心は朱音が殉職した? ありえない。信じないと訴えているが、理性は殉職した、助けに向かっても無駄。おまえが死んだら朱音はなんのために死んだ? と訴えかける。私は殺意を朱音への思いを心の奥底に閉じ込めた。


 生き続けることを選択した私は涼風を連れて走る。電気室に飛び込んだ。待ち構えていた七瀬研究員がこっちです! と手招きをする。

 七瀬研究員に近づく私と涼風。床の一部五メートル四方ががくんと下がった。七瀬研究員、私、涼風を載せたエレベーターが地下十階に到着する。

 生体兵器の研究・開発のために日米が用意した、理科室の五倍ほどの空間には最新鋭の設備が整っている。寄生事変が起きる前はゲノム編集による不死身の兵士の研究が行われていた。自衛隊としては当初寄生体と製薬の研究をする研究所は相性が悪い。だが、それ相応の設備はあるし製薬の専門家だとはしても学校で生命体に関することも学んでいるはずだ。なんとかなるだろう。と考えていた。図らずもそこは生命体の研究の最前線だった。

「七瀬雪乃です。生物学を専攻しています」

「生物学? 私、」

 失礼とは思いながらも私は涼風の手当をしながら応答する。

「この子が例の変異しなかった被検体ですか!?」

 私の言葉を遮った七瀬研究員が涼風に詰め寄る。涼風の肩がびくんと跳ね上がった。被検体じゃない。失礼な研究員だ。

「その言い方はあまり好きじゃない」

「そうですか? では――名前を教えて」

 研究員がにこっと微笑む。その微笑みには不気味が混じっていた。

「涼風陽菜」

 私の背後に隠れた涼風が答える。子供ながらに、いや子供だからこそ敏感に危険を察知する。七瀬のような探求者は後付けの理由、世界のために人々のためにといった大義名分があればどこまでも残酷になることができる。

 人は知的欲求に抗うことはできない。

「被検体あらため陽菜ちゃん。調べてもいいかな」

「一応言っておくが、非道なことはするな」

 七瀬研究員からマッドサイエンティスト特有の空気を感じ取った。私は釘を刺しておく。気が立っていたこともあって、七瀬研究員の胸ぐらをつかみ壁に押しつける。

「分かってますよ」

 七瀬研究員がへらへらと笑う。私は拳銃を七瀬研究員の顎下に押し付けた。

「やめろ!!」

 研究所所長の娘がM18、警備員の死体から奪った拳銃を構えた。

「銃を下ろして」

 涼風が拳銃を構えた。銃口を向けられた研究所所長の娘の手にあるM18が右往左往する。

「マフィアじゃないんだから。つまらない殺し合いはやめましょうよ」

「……そうだな」

 私は銃を下げた。戸惑いながらも涼風と研究所所長の娘も銃を収めた。

「DNAの採取をします。綿棒で頬の内側をちょっとこすって終わりだから怖がらないで」

「は、い」

「その前に一ついいか?」

「ええ」

「ここは製薬の研究をしているんじゃないのか? 生物学とどう結びつく?」

「上はそう。でもここは違う」

「生物、兵器の研究施設なのか?」

「正解。あ、待って。寄生体、私たちは人工生命体と呼ぶ。あれを作ったのはここじゃない。別の施設か人、おそらく陽菜ちゃんに深い繋がりがある人の作品」

「……」

「もしかしたら未来人かもしれない。百年後の陽菜ちゃんが来て、寄生事変を起こしたのかも」

「科学者とは思えない発言だな」

「調べるほど驚かされるの。現代の技術では絶対にあれは作れない」

「未来人よりも宇宙人の方が現実的だと思うが」

「その通り。宇宙船から派生した一連の騒動だからそれがもっとも正解に近い答え。宇宙人だとしたら限りなく地球に近い惑星で暮らしている人間に近い生物かしら? 地球に生息する生物のDNAの組み合わせで作られた痕跡があるし。大昔に一度宇宙人が地球に来ていて採取した可能性はあるから確実にそうって言えないけれど。じゃあ陽菜ちゃんは選ばれた人だ」

「選ばれた?」

 私が疑問符を浮かべた。そして呟く。

「そう。選ばれた。地球の汚物、人間を排除して地球をやり直そうと考えた宇宙人。でもすべて消し去ってしまうのはまずい。人間だって地球が生んだ動物の一つ。保護する対象の一つ、だから選んだ。生き残るべき人を。それがご主人さまと呼ばれる人たち。世界がモンスターに覆いつくされたとき、生き残った善ある人がモンスターを指揮して地球の再生を目指す。映画の見すぎかしら。でもそこそこの可能性がある答えよ」

「……」

「宇宙人が神として地球に君臨する日も近いのかもしれない。信じるか信じないかはあなた次第」

「答えなんてどうもでいい。必要なのは対抗策だ」

「つまらない人。貪欲に面白いわくわくする答えを求めて彷徨うことこそ人間が人間であることの証明なのに、対抗策をよこせなんてまるでロボットみたいだと思わない?」

「……」

 世間話はいいからはやく対抗策を見つけろ。私は七瀬研究員を睨んだ。

「ここに座って」

「はい」

 涼風が丸椅子に腰を下ろした。研究所所長の娘が持ってきた採取キットを受け取った、七瀬研究員が綿棒を涼風の口内に入れた。頬の内側を優しくこすって粘膜細胞を採取する。


 二時間ほど機材とにらめっこしていた七瀬研究員が唐突に口を開いた。


「我々人類とDNAの構造が若干違う。人の手が加わった痕跡がないから、変異したかもしくは生まれたときから違った……彼女は人間だけど人間じゃない」

 意味がわからない。私は人間、人間だよ。人間だよね? 力が抜けた涼風が丸椅子から転げ落ちる、私は咄嗟に受け止めた。

「涼風は人間だ。生物学的にも人間なんだろ」

「ええ。でも違う。彼女の祖先もおそらく地球で生まれている、はず。地球で生まれた祖先から進化して現人類になったはずなのに彼女のDNAは他の現人類と異なっている。寄生によって変化した? 彼女が寄生されたときの状況を詳しく説明して」


 私は涼風が襲われて寄生された状況を詳しく説明する。


「最初から人工生命体が彼女をご主人さまと認識していた。つまり生まれたときから異なっていた……古代核戦争説って知ってる?」

「有史以前の地球に超古代文明があった。核兵器によって人類が滅亡した。文明が消えた地球に人類が再度生まれた説だな。都市伝説の類だろ」

「もしかしたら全部もしくは一部事実が含まれていたのかも。超古代文明それも現代の技術を少し上回っていた文明があってその生き残りが彼女の祖先。祖先は地球に残ったけど、仲間は宇宙船に乗って別の惑星に旅立った。時が経って現代。地球はどうなったのかな? ってのんきに確認に来た宇宙人こと旧人類の宇宙船が事故って、兵器を日本に送ってしまった」


「……その説が正しかったとすれば、バケモノはどうやって見分けているんだ?」

「バケモノじゃなくて人工生命体。おそらく臭い。女は男の臭いを嗅いで、遺伝子的に相性がいいか悪いか分かるって言うでしょ? 人工生命体も同じ。臭いで旧人類なのか新人類なのか判別ができている。私の仮説が正しければだけど。第4のワクチンを作るつもりだったけど。その臭いを発する液体かクリームを作る羽目になりそう」


「難しい?」

 私の顔が不安一色に染まった。ここまで来て、無理でした。

 これだけは許容できない。

「逆。ワクチンを作るよりも簡単。研究者としてはわくわくが半減。つまらないわ」

「良かった。一つ聞いてもいい?」

「ええ」

「唾液と血液だけあれば問題なかった、か?」

「んー無理。魔法少女じゃないからそれだけで奇跡は起こせない。陽菜ちゃんを使って地道に実験、失敗してまた実験を繰り返してようやく私みたいな科学者は奇跡を手繰り寄せることができる。ほっとしてるみたいだけど。楽観視はできないよ。死んでいった君の仲間その命が無駄になるのか意味あるものになるのか、それを決めるのは偶然なんだから」

「そうだな」

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