第四十三話「月城朱音14」

 数日後。漁船が横須賀基地に到着する。空母や護衛艦が一切停泊していない空っぽの軍港を眺める夫婦の瞳から生気が抜け落ちた。米軍はすでに撤退しているようだ。自衛隊の軍港を双眼鏡で観察していた藤宮が首を横に振った。自衛隊も基地を放棄して海上に逃げたらしいと私に伝える。正直絶望的だ。


 米海軍が最重要拠点である横須賀基地を放棄してしまうほどの数にモンスターは膨れ上がっていることを意味している。自国の領土ではなくても日本のダメージはアメリカ経済にそのまま返ってくる。日本がモンスターに蹂躙されることをアメリカも良しとは思わないそれでも逃げたということは経済への打撃よりも米軍の打撃のほうが上回ったのではないかと私と藤宮は考えた。戦力の低下は国際社会での発言権を奪われることに繋がる。世論も経済大打撃よりも激しいバッシングを政府に向けるだろう。命は金よりも重いと声高らかに叫ぶ。絶対に叫ぶ。さらなる軍事縮小を招くとアメリカ大統領は考えたはずだ。中国やロシアは経済の打撃を補填しようと動くはずだ。先を越されればアメリカは正義を失う。中国かロシアの発言が正義になる。経済大打撃の阻止よりも優先すべき問題だ。日本が持っていた利権をみすみす明け渡すことだけは誰も許容できなかった。のではないかと私は思考する。

「奪われるくらいなら消してしまおう……と行動する可能性があるな」

「……」

 私と藤宮は最悪の事態を想像していた。それと同時にこれは人類を滅亡させるための序章なのでは? と考えてもいた。


 追い詰められた人類の先にある未来は第三次世界大戦だ。勝手に人類が殺し合って弱体化するなんて侵略側からしたら面白おかしい最高の展開だ。と考えを巡らせたところでないなと私は思った。遠い惑星から地球まで辿り着ける技術があるのならばインターネットを破壊するもしくは核を強制的に発射させて自滅させることも容易なはずだ。現代兵器はインターネットやコンピューターが正常に作動しなければただの鉄の塊だ。軍隊なんてあってないものになる。それをしない時点でこれは侵略じゃない、侵略じゃないならただの事故か? 


 人類史始まって以来の大事故だなと私は思った。


「ヘリ? ヘリだ!」

「ブラックホーク。米軍でも自衛隊でもない。あのワッペンはブラックラビットだ」

 ブラックホークがホバリングする。懸垂下降して横須賀基地の司令部の屋上に降り立った隊員たちが施設内に踏み込んだ。隊員たちの衣服の肩付近にベレー帽を被っているウサギが葉巻を吸う姿が描かれているワッペンが貼られている。

「ブラックラビット?」

「イギリスの民間軍事会社だ。SAS、イギリスの特殊部隊なんだがそこを追い出された問題児で構成されている分かりやすく言えば銃を持った名目上警備員の集まりだ。非合法の激ヤバ依頼でも他国や自国の諜報機関からやるなよと念を押されたとしても平然とやる危ない連中だから各国から忌み嫌われてる。まぁ犯罪組織からは好かれているんだがな」

「そんな人たちが横須賀基地にどうして来たのかな」

 涼風が頭を悩ませる。私も疑問に思っていた。理由か……

「金目のものはないだろうし、武器を奪いに来たこれもデメリットのほうが大きいからありえない。んー救助の線が濃厚かな。例えば米軍の高官の家族が取り残されていて、自分の部隊は動かせないから依頼をしたとかそんな感じではないだろうか」

「あーそれっぽい」

「ちょっと交渉してくる」

「大丈夫?」

「こんなところまでわざわざ来るような連中だ。ドンパチして勝てるなんて思ってない。交渉が無理そうなら逃げるから大丈夫だ。それにあちらさんもトラブルは避けるはずだ」

 傭兵、現代の呼び名は契約兵はカイロと同じだ。温かいうちは重宝されるが冷たくなればゴミ箱にぽいっと投げ捨てられる。任務に失敗すればクライアントはもちろん国も会社も助けてはくれない。なかったことにされる。それゆえにお給金は高いが、命の価値は低い。だからこそ彼らは慎重に行動する。モンスターの支配下で人間と銃撃戦なんて愚は犯さないはずだ。

 カイロと同じで代わりはいくらでもいるのだから。


 潜水艦の発着所に漁船が横付けする。単身、横須賀基地に侵入した私は障害物に身を隠しながら司令部まで走り、正面玄関から入った。藤宮は唯一の足である漁船をモンスターに奪われないように横須賀基地から五百メートルほど離れた海上まで引き離さなければならなかったため同行していない。

 私の実力は信用しているが不安そうだ。


 司令部内には戦闘の痕跡が残っていた。大量の薬莢があちらこちらに転がっている。血生臭い臭いが漂う廊下を慎重に私が歩いていたころ。

 ブラックラビットの面々は忍者と戦っていた。


「なんだこいつら! 素早い、マーカス後ろだ!!」

 背後からの攻撃を警戒するマーカスが壁を背に銃撃していた。マーカスが壁の後ろに消えた。マーカスの代わりに現れた、忍者のコスプレをしているモンスターが毒矢を噴く。中年男性の首裏に命中する。僅か三秒ほどで中年男性の意識は失われた。


 壁裏から絶叫と無数の槍に突かれる音が漏れ聞こえてきた。コンクリの壁にどんでん返しという有名なからくりを作り出したモンスターたち。どうやら知能があるみたいだ、情報と違うじゃねぇかと怒る余裕もないブラックラビットの面々は猿みたいに機敏に動くモンスター忍者に翻弄され、疲弊する。

 後ろへ移動しながら射撃をしていた二人が鎖鎌使いのモンスターにやられた。一人は頭蓋骨を分銅で粉砕され、もう一人は首を刈り取られた。八人いた精鋭はチームリーダーのクリスと最年長のルイの二人だけを残して全員モンスターの餌食になった。


 クリスとルイの最後の頼みの綱はクリスにしがみついている少女だ。少女の祖父はアメリカ第7艦隊司令官、ハリス海軍中将だ。横須賀基地で娘とその夫を失った彼にとって少女は最後の家族だ。本来ならば親友が鍛えたもっとも信頼できるSEAL(シール)チームを送り込むところだが、大統領命令で日本国内での一切の作戦を禁じられている。自分の部隊は使えない彼は預金のほぼすべてを使い果たして唯一依頼を受領してくれたブラックラビットに少女を託した。

 ブラックラビットが送り込んだチームワンは少女の無事と引き換えにヘリを要請できることになっている。クリスとルイは死線を必死に耐えて屋上に続く階段の中腹まで辿り着いた。

 ルイが立ち止まって「クリス。後は頼む」グレネードを握り締めて言う。自爆するつもりだ。そうクリスは直感する。やめろと駆け寄ろうとしたクリスの前にロープを伝ってボスが来た。最後に友の顔を見たくなったルイは振り向いた。ルイの視線にボスの顔がドアップで映り込んだ。スパイ〇ーマンのようにすーと下りてきたボスは口に含んでいた塩酸をぺっと吐いた。

 塩酸に顔を溶かされる痛みに悶えながらルイが階段から滑り落ちた。手すりに背中をぶつけた衝撃でルイは誤ってピンを抜いてしまっていた。手榴弾が爆発する。肉片が降り注ぐ。血と肉を雨のように浴びた一階にたむろしていたバケモノたちが歓喜の声を上げた。

 本物の軍人は戦場に感情を持ち込まない。クリスは溢れ出る怒りを飲み込んで、グロック17を構えた。発砲。発砲。発砲。正確無比に放たれる9ミリ弾がすべて空を切った。クリスの防弾チョッキに忍者道具鉄拳の形に変化したボスの拳がめり込んだ。右ボディブローをくらったクリスのあばらが砕ける。


 血を吐いてクリスが膝をついた。

 毎度のことだがモンスターは性格が悪い。頑丈なやつ(ボス)はクリスに見せつけるように少女を持ち上げる。口から寄生体が半身を出して寄生するよーやっちゃうよーと煽る。

 司令部として使われている建物は元々日本海軍の鎮守府だった。明治の面影が色濃く残っている建築様式は洋館を彷彿とさせる。階段上の保管室の扉前でラジカセから流れる洋楽に合わせて不気味なダンスを踊る五体組グループのモンスター忍者たちが雰囲気づくりに精を出す。ミュージカルみたいだ。題名は哀れなクリス。

 一部始終を見ていた私は保管室の上の部屋に入室する。カーテンを結んでロープを作り、窓枠に縛り付けた。懸垂下降をして保管室の窓まで下がり拳銃を構える。9ミリ弾が窓ガラスを粉砕する。モンスター忍者の目をかいくぐって裏を取った私が木製のドアに米軍兵士の遺体から拝借したC‐4(プラスチック爆薬)を張り付けた。距離を取って身を低くした私が起爆スイッチを押す。

 木製のドアが粉々に砕けた。真後ろから衝撃波に突き飛ばされたモンスター忍者たちが壁や床に叩きつけられる。木製のドアがなくなってぽっかりと空いた長方形の穴から素早く廊下に出た私が階段の手すりから拳銃をのぞかせる。照準をボスの口から出ているバケモノに合わせた。攻撃を察知したバケモノがひゅっと口の中に戻った。そして再び脳と結合する。


 私は起き上がろうとするモンスター忍者の頭に9ミリ弾を撃ち込んだ。そして手すりから飛び降りナイフを構えボスと対峙する。ナイフはJFK特殊戦争センター、米陸軍の特殊部隊員を育成する教育機関の卒業生に配られるグリーンベレーナイフだ。

 このボスは人間をモンスターの足元にも及ばない下等生物だとバカにしている。こいつなら映画の悪役みたいな展開を期待できるかもしれない。私はごくわずかな可能性も考慮して本来ならば犬死に確定の行動に打って出た。

 ボスがスマホを取り出した。テキストを読み上げるアプリを立ち上げて入力する。

「俺、最強。普通に、戦うつまらない。少しでも、かすりでもすれ、ばおまえの勝ち」

 心の中でガッツポーズをしてうししと喜びを表現する。ボスが約束を守るかどうかは分からないが、助かる可能性がある道が一つ増えた。

 頑丈で切れ味が鋭い獰猛なグリーンベレーナイフに相対するのは忍者刀に変化したボスの腕だ。対戦車ミサイルを使ってようやく破壊できる材質の刀とぶつけ合いをしてもナイフが耐えられないし同じくボスの体にナイフをぶつけてもダメージは一切与えられない。それでも近接戦の最中に隙を見つけなければならない私は仕掛けた。距離を一気に詰めて半円を描くようにナイフを振る。ボスの腹部に切っ先が向かうが、回避され、ナイフはボスの代わりに空気を切り裂いた。

 ボスがぶんぶんと忍者刀を振って私を攻撃する。バックステップをして回避した私。ボスが続けざまに肺めがけて刺突する。ナイフの刃をぎゃりぎゃりとぶつけて忍者刀の軌道を強制的に変えた私だったが、ボスのパワーと忍者刀の強度にナイフが瀕死の重傷を負う。ナイフの刃がボロボロになり、ひびも入った。

 私は最小限度の動きで、斬る突る迫りくる忍者刀を避けて命を繋ぐ。避けきれないタイミングをついたボスの一撃が私の首を狙う。首の動脈切断という最悪の事態をナイフを盾にして防いだ私だったが、完全に防ぐことはできなかった。ナイフがピシッと音を立てて折れた。狙いを外した忍者刀が私の左肩を切り裂く。衣服が鮮やかな血に汚れる。攻撃も防御もできなくなった私は距離を取ろうとする、が太ももに一筋の傷をつけられ、動きを止めた。一瞬だ、一瞬血がつぅと流れる右足が痛みに悶絶しただけだ。数秒もすればまた動くようになる。その数秒が勝敗を決する要素になった。

 ボスが私の手首をつかみそしてひねる。手首のひねりに合わせて私の体も無意識に動く。背後からボスに首を絞められる。リア・ネイキッド・チョークという技をかけられた私の顔が苦悶に歪む。ボスの腕は忍者刀に変化している。頬と首裏に刃がわずかに押し付けられ、流血する。私はショルダーバッグを放り投げる。それを受け取った少女がきょとんとする。

 声を出せない私は手を握る動作を何度もして少女に思いを伝えた。

 クリスは動作の意味を知っていた。爆破だ。

 表情はないがにやにやと笑っているとなんとなく分かる雰囲気を醸し出している顔のボスがん? と右斜めを見る。血反吐を吐いて立ち上がったクリスが走っている、ボスに向かって走っている。クリスがボスにタックルする。ボスを覆っている黒い液体は装甲並みの強度を誇っているが、重量は軽い。十キロほどだ。液体内にある遺体の体重を合わせてもボスは八十キロ程度の重さ、頑張ればそこら辺のおじさんでも持ち上げることができる重量だ。元特殊部隊員のクリスにとっては楽勝だ。

「っぁあああああああ」

 足をホールドされてぐいっと持ち上げられたボスがクリスの背中を肘で殴る。嫌な音がクリスの背中から聞こえた。激痛を一矢報いるその意気込みだけで抑え込み、クリスはボスを階段から放り投げた。一階に転落したボスが上を見上げる。

「その子を連れて逃げろ!」

「逃げる必要はない」

 物陰に隠れて様子をうかがっていた少女を私は手招きする。とててとショルダーバッグを持ってそばまで駆け寄った少女の髪を優しく撫でた。少女の緊張が緩和したところで私は手を自分の耳まで持っていき塞いだ。真似をしてと言ってるのかなとなんとなく察した少女も耳を塞ぐ。よしよしと再度少女の髪を撫でた私がショルダーバッグからC‐4の起爆スイッチを取り出した。そしてボスに見せつける。先ほどのお礼だとでも言いたげに。

 自分の腰付近にC‐4が張り付いていることに気づいたボスがやめろ! と手を伸ばしたが、一階から二階にいる私に届くわけもなく、なにもできないままボスは爆散する。第二次世界大戦時の戦車の装甲に穴をあけられる量をこねこねして形作ったC‐4に耐えられるほどボスの黒い液体は万能ではなかった。


 爆発の衝撃で階段が崩壊を始める。私は少女を抱っこする。クリスを支えながら屋上に移動する。日陰に横になったクリスの隣に少女が座った。懐いているようだ。少女に水を手渡した私はクリスのトランシーバーを借りる。送信ボタンを押してクリスの上司か部下か仲間か誰に繋がるかは分からないが、とりあえず連絡を入れる。

 

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