第三十八話「月城朱音10」

「横須賀基地、か。そこが今現在も無事ならおそらく隣に陣取ってる海自も活動しているはずだ。米軍を信じて向かうもしくは信じないどっちにするべきだと思う?」

「私は離島に隠れ住むよりも海自と合流したい」

「分かった。涼風、彼らに連れていくと伝えてほしい」

 頷いた涼風が夫婦に伝えた。感極まった夫婦は私の手を握って「Thank you very much(どうもありがとうございます)」と感謝の言葉を述べる。夫婦がお腹空いていませんか? とジェスチャーを交えて私たちに尋ねた。そういえばなにも食べてないなと思い至った私は「I am hungry(はらぺこです)」と答える。

「カップラーメンと言えばこれだよな」

 日本人も含めて世界中の誰もがこれこれと連想するだろう帯型の図形が特徴的なヌードルが入っている箱を持ってきた夫婦がどうぞ食べてくださいと差し出した。

「うん」

「チーズってありますか?」

 藤宮が細身の男に質問する。視線を上にした細身の男が考える。

「確か冷蔵庫にピザ用チーズならあったはず。持ってきましょうか?」

「お願いします」

「藤宮はヌードルにチーズinするんだな」

「おいしいの?」

「うまいよ。二人はノーマル派?」

 顔を見合わせた私と涼風が頷いた。

「ことりちゃんはどっち?」

「昔はノーマルのほうがうまいでしょって思ってたんだけど。ママに言われて食べてからチーズ派に転身して今に至る」

「ほう。気になるな」

「やってみる?」

「そうだな。物は試しだ」

 細身の男が持ってきてくれたピザ用チーズをぱらぱらと熱々ヌードルのなかにinする。チーズ好きにはたまらない癖になる味を堪能する。

 食事を楽しんだ私たちが夫婦と細身の男を交えて会議を始める。

「横須賀基地に移動する足を入手しなければならないんだが、使えそうな足を知ってる人はいないか? 今、足の立候補をしているのは民間の飛行場にあるらしいヘリコプターとどこかの漁港にある漁船だ」

「『この家の駐車場にある痛車は?』」

 古民家の敷地内にほのぼのとした日常系アニメのキャラクターの痛車がある。ボンネットのシールが印象的だ。屈託のない笑顔の少女がポーズをとっている。

「車にはいい思い出がないしそれに横須賀基地は下道を使って移動がおそらくできない。漁港なら都市を経由しない下道で移動も可能だろうが、横須賀基地は無理だ。都市を経由もしくは高速が必須だろう。よくて立ち往生だな」

「ふむふむ」

 わかった風の顔をしている涼風の脇腹を双葉が肘でちょんちょんする。

「ひな。理解できてる?」

「り、理解できてるよ」

「ほんとに?」

「ぎゅぎゅ、ぎゅー」

 藤宮と私がクスッと笑う。緊張が少し緩和された。

「まぁ下道が使えても車の案は却下なんだけどな」

「どういうこと?」

「モンスターだと分かりづらいから、モンスターをゾンビに変換して想像してみろ。あの車がゾンビの波に突っ込んで血にまみれつつ爆走する姿って軽いホラーだろ」

 夕焼け空の路上を走ってゾンビをバラバラにしていく痛車。そのボンネットのシールにびちゃびちゃと血が付着する。屈託のない笑顔が別の意味合いに見えてきた涼風が身震いする。そしてこくこくと頷いた。

「民間の飛行場もしくは漁船がある場所までどうやって移動するつもりですか?」

「車を使います」

「民間の飛行場までどれくらいなんです?」

「十キロくらいです」

「あーまぁまぁ近いですね。ヘリコプターが無理だった場合は漁船を使うことになると思いますが、その漁船は漁港で入手するつもりですか?」

「ええ」

「県をまたがなければいけませんし難しいのでは?」

「はい。その通りです。ですが、車を使う以外に方法が思いつきません」

 車による長距離の移動は自殺行為だが車で高速や都市を突破して横須賀基地に行く案と比べれば僅かながら可能性はある。漁港までなら人や車の行き来が少ない道を選択できる。

「運が良ければ漁港の近くにある駅まで電車で移動できるかもしれません。各駅で乗り換えするときに襲われる、駅に乗り換える電車がないから立往生の危険はありますが、走行中は比較的安全です」

 古民家から七百メートルほど離れた地点にある駅に細身の男が運転していた電車がある。モンスターから逃れようと他駅のホームに殺到した人たちが人波に押されて線路に落下した影響を受けて待機していたところモンスターが襲来して乗客と乗務員が惨殺された。細身の男は乗客の夫婦と難を切り抜けて古民家にやって来た。


 細身の男が言うには主要な駅で群衆雪崩や押されて線路に落下する事故が多発してすべての運行がストップしていたようだ。おそらく駅に電車が停車しているだろうからそれらを乗り換えれば行ける可能性はあると細身の男は示唆する。電車がないや故障していたという事態になれば死ぬギャンブル性が高い案だ。


「車と違って一方通行の道を進めばいいだけの電車ならモンスターに止められるリスクは低いな……ヘリコプターの有無を私と藤宮が確認します。なければよろしくお願いします」

「分かりました」

 私は腕時計に視線を向けた。時刻は一九時一七分、外はすでに真っ暗だ。夜はモンスターのホームグラウンド。黒い自然迷彩がモンスターを闇夜に溶かしてしまう。明日の早朝に痛車を使って行動を開始すると決めた私は和室をひとへや借りる。そこに四人分の寝床をこしらえて風呂に入ってさっさと休むことにする。

 細身の男たちを信用していないわけではないが、一応藤宮と二時間交代で見張り番をやることにする。私は9ミリ拳銃を分解して手入れをする。寝首を搔くなんてことが起きたらたまったもんじゃないからだ。

 早朝。藤宮にちょっとしたいたずらをされて目覚める。私は起き上がる。昨日の疲れがまだ残っているのかだるいと体が訴えている。走って戦って泳いで摂取したのはヌードルだけ。涼風、双葉ペアと昨日入った風呂は楽しかった。心の疲れは取れたが、体はダメだった。

「肉を食べないとだるい感じが抜けないな」

「軽く作ろうか」

「頼む」

 キッチンに立った藤宮が手早く豚の生姜焼きを作った。

 香ばしい匂いに誘われて細身の男が一階に下りてきた。細身の男の眉がぴくっと動く。キッチン近くにある部屋のテーブルに置かれている放置された料理の臭いと香ばしい匂いが混ざって得体のしれない香りを形成している。

「気になっていたのですが、どうしてこのままにしているんですか?」

 私はテーブルのあれ(朽ち果てた料理)に視線ではなく指を向けて質問する。

「ああ。強盗とかやばい人が入ってきたときに朽ち果てた料理があれば誰もいないと思ってくれるんじゃないかと」

「なるほど」

「この民家ともお別れしますし、掃除しておきます」

 細身の男が朽ち果てた料理を二重にしたゴミ袋に入れて処理する。そして掃除道具一式を使って綺麗にする。テーブルに座って食べられるまでになったけど、あそこで食べるのは嫌だな。二階で食べよう。

「少し食べますか?」

 私は細身の男に生姜焼きのお裾分けを提案する。私のために作った藤宮は少しだけ面白くない顔をするが、同意する。細身の男に渡す小皿と箸を探し始めた藤宮を細身の男が止めた。

「腹ペコですけど朝から肉はちょっと。胃もたれが怖いので遠慮しておきます。すいません」

「そうですか。ではパンにしますか?」

「はい。ありがとうございます」

 私はバターを塗ってトーストした食パンとコーヒーをお盆に乗せた。お盆を受け取った細身の男が二階に戻って食べ始めた。涼風と双葉そして夫婦の朝ごはん、サンドイッチとミルクティーを用意した私と藤宮も二階に戻って朝食を済ませる。ほんのり舌に残る生姜の香り玉ねぎの甘味、柔らかい肉に絡まる甘辛醬油タレと白米のコンボを堪能した私の体が復活する。

「おは、よう」

「おはようございます」

 涼風が目をこすりながら起床する。その隣で寝ていた双葉ももぞもぞと起き上がった。

「おはよう。そこにあるサンドイッチ自由に食べてくれ」

「うん。いってらっしゃい」

「ありがとう」

 立ち上がって、部屋のドア前に立った藤宮と私に二人の女子高生が声をかけた。

「行ってくる。双葉、問題が起きたらためらうな。自分を優先しろ」

 私は双葉に木刀を手渡す。木刀は古民家の住民が護身用としてベットの下に隠していたものだ。かなり年季が入っている居合いの練習用だ。この家のおじいちゃんの部屋らしきところにはこしらえ(日本刀の外装)と真剣の刀身を安全に保管する鍵付きのケースが置かれていたが、ケースの鍵は解放されていて空だった。おそらく居合いに精通した住人が持っていったのだろう。

「分かった」

 木刀を力強く握り締めた双葉が頷いた。木刀でも頭を執拗に殴打したり、心臓付近に苛烈な突きをすれば人間は簡単に死ぬ。急所でなくとも骨は折れる。やばい人が来るかもしれないし、細身の男たちが裏切るかもしれない。残酷だが、ためらわずに殺す覚悟を常に持つ必要がある。


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