第三十二話「ピコ兵長」

 米軍の基地は俺たちの基地と違ってなんでもそろっている。学校、巨大ショッピングモール、スポーツジム、家族や兵士が暮らす家々、コンビニ、ゴルフ場だってある。基地というよりも町と呼んだ方がしっくりする。兵士とその家族は基地から一歩も出ることなく充実した生活を送ることができる。東京の目黒区がすっぽり収まってしまう広大な基地内には一万人の兵士と二万人の民間人や店舗などで働いている人々が駐在している。駐在している米軍兵士がモンスターに勝利すれば韓国としても万々歳だが、もしも敗北すれば数万のモンスターが基地から韓国の都市や町に溢れ出てしまう。そうなってしまえば韓国は終わりだ。


 この事態を重く見た政府は基地内に俺たちを送り込んだ。正直、銃だけ持って入ってなにができるのか疑問だが、命令ならやるしかない。俺は自分の意志で軍に入った口だから戦うのもやぶさかではない。でも兵役のために制服を着た奴らにとってこれは悲劇だ。訓練だけすれば日常に戻れたはずなのに、命の取り合いとは悲惨だ。


「ピコ兵長」

 部下の二等兵がお腹をさすっている。俺の部下は全員、嫌々軍に入った口だ。

「どうした?」

「体調が悪いので、帰ってもいいですか」

「軍法会議がご所望なら構わないぞ。おすすめはしないが、逃げたいなら逃げるべきだと俺は思う。恐怖に心をズタボロにされるよりも禁固刑の方がマシだからな」

「どっちが正解なんですか」

「自分で考えろってことだ。よく聴け! ここから先は戦闘地帯だ! いつモンスターに襲われるか分からない。気を引き締めてついてこい」

 俺の小隊の兵士たちが敬礼をして「必勝!!」と掛け声をあげる。自衛隊の掛け声レンジャーと同じ意味だ。必勝以外にも忠誠や団結がある。一番ポピュラーなのは忠誠だ。俺たちは住宅街に走る。任務は出来得る限りモンスターを駆除することだ。


 米軍兵士に加勢するために戦闘地帯に侵入した韓国軍兵士は二通りに分かれた。勇敢に戦う者と兵士の尊厳をゴミ箱に入れて、逃げ惑う者だ。モンスターを目の前にして戦えたのは志を持って軍の一員になった人だけだった。志がない志願兵と徴兵されて仕方なく軍に入った若者は命を失う苦痛を味わう恐怖に負けた。


「あのとき逃げれば! 逃げればよかった!! あ、ああああああああ」

 K2、韓国軍の小銃。ベトナム戦争の際に活躍したM16A1を参考にして韓国の企業が作った国産の小銃だ。を乱射していた二等兵が破裂する。突進してきたモンスターと壁に挟まれて押しつぶされた結果、見るも無惨な姿になってしまった。


 住宅街は地獄だ。逃げ惑う民間人を追いかけ殺すモンスター。必死にモンスターを抑え込もうとする米軍兵士。銃弾と血と臓物が入り乱れる。


「も、うダメだ。ダメだダメだダメだダメだ」

 俺は言葉を飲み込んだ。戦えなんて言えない。言えるわけがない。戦えの代わりに「逃げろ!」と俺は叫ぶ。


 部下は逃げなかった。正確に言えば腰が抜けて逃げられなかった。


「おい! 逃げ、」

 俺は部下の襟首を掴む。見上げる部下の顔が変形する。モンスターが部下の頭をハンマーで叩きやがった。血と脳の一部が俺の制服を汚す。俺は尻餅をつく。必死に後退った。俺を新たなターゲットにしたモンスターがハンマーを振り上げる。

 振り下ろされたハンマーがだんだんと大きくなっていく姿が俺の目に映った。俺は横にころころと転がって回避する。基地内はモンスターで溢れている。


 モンスターを殺すそれが俺の使命だが、どうすることもできない。駆逐の対象はあいつらじゃない、人間の方だ。荒い運転をしていた高級SUVが電柱に激突する。運転席に座っている初老の男性に見覚えがある。寄生の疑いがあっても殺してはならない人物として見せられた写真にいた顔だ。確か避難者の一人で、アメリカの要人だ。


 一緒に行動すればヘリやらなんやらの恩恵を得られるかもしれない。


「大丈夫ですか!」 

 俺は初老の男性に声をかけるが、これはダメだ。車体がゆがみ車内で両足が挟まれている。消防は呼べないから足を切断して無理矢理出すしか方法がない。

「娘を頼む! ショッピングモールの屋上にヘリが来る! 娘と一緒ならおまえも乗せてもらえるはずだ。頼む、おまえしか頼める相手がいないんだ」

「分かりました。行きましょう!」

 ラッキー。俺は神に感謝する。初老の男性の娘を車から降ろし手を引っ張る。初老の男性のことを助けたいのか俺の手を振りほどいて車に戻ろうとする。


 モンスターの集団が車の屋根に飛び乗る。車をトランポリン代わりにして遊ぶ。モンスターの体重が初老の男性ごと車をぺしゃんこにする。


 初老の男性の娘から力が抜ける。逃げるように促すが、動こうとしない。モンスターが初老の男性の娘に詰め寄る。そして殴った。ワンパンで人が死ぬ。


 俺は走った。巨大ショッピングモールが見えてきた。俺は駆け込む。


 入り口をくぐった俺は昔見たB級ホラー映画を思い出した。殺人鬼が大集合して殺戮を楽しんでいる。大人でもトラウマになりそうなこの世の地獄が広がっていた。


 青いペイントが施されたホッケーマスクを被っているモンスター。ハロウィンマスクを被って肉切り包丁を持っているモンスター。人皮のマスクを被っているチェンソー使いのモンスター。最後にチャッ〇ーの着ぐるみ姿のモンスター。こいつが一番怖いなと俺は思った。パーティに精を出していた殺人鬼たちが一斉に俺のことを見た。モンスターには表情がないが、笑ったように感じた。


「シバル!」

 シバル、Fワードと同じくらい汚い意味合いの韓国語の悪態だ。を言った俺はK2を放り投げて反転する。直感的にこいつらには銃が効かないと思ったからだ。三キロ程度あるK2(重り)がなくなり全力疾走できるぜ。こんなところおさらばさいさいと考えていた俺は絶望する。入り口からモンスターの集団がなだれ込んできた。


 俺は半場諦めた顔で、殺人鬼に向かって突進する。スライディングしてチェンソーの攻撃を回避する。人皮マスクのモンスターの股下をすり抜けて挟み撃ちの窮地をなんとか退けた。まさか成功するなんて思ってもいなかった。俺すげぇと感嘆する。


「やぁ! ボク、チャッ〇ー! 一緒に遊ぼうよ!」

「しゃべった? こいつらしゃべれるの!?」


「やぁ! ボク、チャッ〇ー! 一緒に遊ぼうよ!」

「それさっきも聞いた、ってなんだ。音声を再生してるだけかよ」

 ボイスレコーダーをチャッ〇ー着ぐるみのモンスターが握っている。俺は驚いて損したとあからさまにため息をついた。

「やぁ! ボク、チャッ〇ー! 一緒に遊ぼうよ!」

「OK。遊んでやるよ」

 なんどもなんども再生されていい加減うざったくなってきた。俺は映画の主人公にでもなったかのようなキメ顔を添えて軍用ナイフを構えた。

「あははははははは」

 包丁を構えて走るチャッ〇ー着ぐるみのモンスター。俺は目をつぶって考える。


「あ、無理」

 チャッ〇ー着ぐるみのモンスターが脱兎のごとく逃げる俺を追いかける。命を懸けた鬼ごっこが始まった。おもちゃ屋に誘導された俺は商品棚に身を隠しながら出口を探している。突如、商品棚に亀裂が生じる。粉々に砕けた商品棚の向こう側からチャッ〇ー着ぐるみのモンスターが登場する。陳列されていたぬいぐるみを巻き込みながらチャッ〇ー着ぐるみのモンスターが俺を襲う。


 俺は近づく包丁を受け止めた。刃物同士が激しくせめぎ合い火花が散る。俺の軍用ナイフが弾け飛び、壁に突き刺さった。跳ね飛ばされた俺は背中を床に強打する。丸腰になった俺はおもちゃを手に取って投げ始めた。こないでこないでってばと駄々をこねる子供のようだ。無意味だと分かってはいても衝動を抑えられなかった俺はゆっくり接近するチャッ〇ー着ぐるみのモンスターに物をぶつけ続ける。


「このガキが! てめぇもう勝手な真似はさせねぇぞ。さぁおとなしくこっちへ来な」

 俺の頬をチャッ〇ー着ぐるみのモンスターが踏みつける。付近に転がっていた死体と目が合った。死体の損傷の酷さに思わず息をのんだ。俺の体が硬直する。チャッ〇ー着ぐるみのモンスターがちょっと怒った口調で言う。

「はやくしろ! はやく! あんなババアのほとけにびっくりこいてんじゃねぇよ」

 俺はびくつきながら立ち上がった。そんな俺の体を掴んだチャッ〇ー着ぐるみのモンスターが俺を持ち上げて、セール品が入っている四角いかごのなかに押し込んだ。くの字になった俺は自力で抜けられない状態になってしまう。


「さぁ目を閉じてお祈りしな。天国におくりこんでやるぜ。ひひひひひひひいよいよ最後の時だ。グッド〇イ人形とはこれで永久にお別れだぜ」


「おい! やめろ!!」

 チャッ〇ー着ぐるみのモンスターその口から寄生体がにょっきと姿を見せた。俺の脳に寄生するつもりだ。俺は逃げようとするが、かごにはまった体は言うことを聞いてくれない。目頭から涙が溢れてきた。死にたくないと願う俺を無視して呪文が唱えられる。「アデ デュイ デンベラ」


「我に悪魔の力を与えよ」

 店内放送からBGMが流れる。悪魔の降臨を想起させる音が恐怖を誘う。呪文があと少しで終わるというところで邪魔が入った。


 猛スピードで走行する米軍の車両ハンヴィーのラジコンがかごと正面衝突する。ぐらついたかごががしゃんと大きな音を立てて転倒する。その反動ですぽっと俺の体がかごから抜ける。


 大型遊具、子供が一人もしくは二人寝っ転がることができる広さのおもちゃの家のなかにラジコンのコントローラーを持った少女が座っている。こちらを恐る恐る小窓から覗き込んでいた。見つからないでくれという俺の思いとは裏腹にチャッ〇ー着ぐるみのモンスターは目ざとく少女を発見する。


「やろぉおおおおおおおおお」

 チャッキー着ぐるみのモンスターが叫んだいやボイスを再生させた。少女をおもちゃの家から追い出して「ひひひひひひひ」と笑う。包丁が柔肌に突き刺さる寸前に俺は少女を横から奪い取った。


「このやろう! まて」

 俺はバックルームの扉を見つけた。従業員のロッカーや店長のノートパソコンなどが置かれている部屋に入って鍵を閉めた。扉がガタガタと激しく動いている。


「もうだれも殺さないって約束するからさぁ頼むよ。おいこらはやく開けやがれ」

 扉をじっと見ていた俺の左肩に激痛が走った。後ろを振り向いた俺は目を見開く。壁にチェンソーが生えていた。モンスターの攻撃だ。


 壁の後ろには人皮マスクのモンスター。扉前にはチャッ〇ー着ぐるみのモンスターが待機している状況に俺はヒア汗を流してどうするどうすると右往左往する。


 天井が砕けてハロウィンマスクのモンスターが出現する。


「……」

 チャッ〇ー着ぐるみのモンスターと違ってなにも言わない、ボイスを流さないモンスターがおもむろに俺の首に手を伸ばす。首が締め上げられる。モンスターの腕力をもってすれば首をねじ切れるはずなのにやらない。時間をかけてゆっくり締め上げる力を引き上げていく。俺の恐怖に歪む顔を楽しみたいがために力を制御しているようだ。他のモンスターとは違う考え方に俺は困惑しつつもラッキーと思った。

「伏せろ!」

 少女が床に伏せて後頭部に手を置いた。親が軍人だけあって心得ているようだ。俺は手榴弾のピンを抜いて、これが目に入らぬかと言わんばかりにモンスターの目前に掲げる。硬化することができる黒い液体に覆われているモンスターだが、至近距離で手榴弾の爆発に巻き込まれてしまえば死亡はなくても数秒ほど治療に専念しなければならなくなる。そうなれば治療が終了するまでの間硬化ができなくなってしまう。隙を与えたくないモンスターは俺を解放する。そして殴り飛ばした。少しでも爆発を遠ざけたいモンスターの抵抗だ。


 俺は手榴弾を扉付近に放り投げる。扉が吹っ飛び、その前でがちゃがちゃとドアノブを引っ張っていたチャッ〇ー着ぐるみのモンスターも吹っ飛ばされた。バックヤードに埃と細かいコンクリートの粒がぱらぱらと降ってきている。


 自爆するつもりなんてなかったと今更気がづいたモンスターが地団駄を踏む。


「こっちだ! こっちへ来い!!」

 俺は少女を抱きかかえてバックヤードから出た。扉の下敷きになっているチャッ〇ー着ぐるみのモンスターを飛び越えておもちゃ屋を後にする。俺はショッピングモールを疾走して脱出の糸口を探した。従業員用の階段を見つけた。

 俺は階段を駆け上がり屋上を目指すことに決めた。運次第だが、初老の男性が呼んだヘリとかち合うことを前提に動く。

 ホッケーマスクのモンスターが鉈を振りかざして階段を上ってきている。あと少しで屋上の扉のドアノブに手が届くというところで、突然扉が開いた。そして聞き覚えがある嫌なボイスが流れる。


「やぁ! ボク、チャッ〇ー! 一緒に遊ぼうよ!」

 チャッ〇ー着ぐるみのモンスターが通せんぼする。

「まじかよ」

 俺は今度こそダメかなと思ったが、チャッキー着ぐるみのモンスターはなぜか俺と少女を襲わないそればかりか「あぁ?」と震える声で空を見上げてぼぅとする。ホッケーマスクのモンスターが俺と少女の傍を通り過ぎて屋上に入った。


 なにかよくないモノが空にある? そこまで考えた俺は息苦しさを覚えた。足が自然と屋上へと向かう。


 屋上の中央で空を見上げた少女が俺を力強くぎゅっとする。俺は空を埋め尽くしている中国空軍の爆撃機おそらくほぼすべての戦力を動員しているだろうそれを黙って見つめた。俺の心は落ち着いていた。自分の人生の記憶が映画のように組み立てられ頭に流れた。爆弾が投下される。米軍基地への攻撃は米国への攻撃と同義だ。モンスターから韓国と中国を守るための攻撃だったとしても少なからず生きていた米軍兵士と米国人を爆撃することを米政府は許容できない。第三次世界大戦の危険をはらんでいる作戦が実行されたことを俺は意外に思った。


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