第二十七話「月城朱音6」
「ん? 藤宮! 道路が爆破されている。中の島にモンスターが近づけないように、あのマークは第1戦車大隊だ。彼らがやったみたいだな」
中の島は栃木県の日本最大級の遊水地の中央にある公園。観光スポットとしてそして野鳥を観察するために作られた遊水地に浮かぶ離島のような場所だ。そこに向かうための三つの道路がすべて爆破されていた。モンスターもバケモノも渡れない状態になっている。日本に存在する数少ない安全地帯の一つだ。
第1の1を富士山をイメージした形にして、その中に槍と盾を持ったケンタロスを描いている部隊マークが塗装されている10式戦車が一台、73式大型トラック、野外炊具1号(改)と野外入浴セット2型の姿がある。
「着陸する?」
「頼む」
「りょーかい」
ドクターヘリが中の島に向かってゆっくりと下がっていく。歓迎の手振りをして喜んでいた市民と自衛官がうわああと走り出した。ぐらぐらと揺れながら接近するドクターヘリを見てこれ墜落するんじゃ? と恐ろしくなったようだ。
素人からしても危機感を覚える着陸を成功させた藤宮がエンジンを止めて、ドクターヘリから降りた。第1戦車大隊の生き残り、10式戦車の戦車長が藤宮の前へ駆け寄って敬礼をする。階級は二等陸曹だ。
「第1戦車大隊、1中隊所属の西村拓也二等陸曹です」
「私は第30普通科連隊所属の藤宮葵三等陸尉だ」
「普通科連隊?」
戦車長はヘリの操縦とは無縁の普通科の隊員がどこで操縦を学んだんだろと疑問に思ったらしい。自動車学校のヘリバージョンの養成所に通えば操縦を学べるが、最低でも四百万円必要になる。良いところの養成所なら一千万円もざらだ。なにより有給が取りやすい優良企業の会社員でも時間を作れないほど卒業までの日数が長い。自衛官には無理だ。うーむ。無知であることにしてくれないかな。
「ごほん。趣味でやってるんだ。操縦」
引きつった笑みを浮かべた藤宮がこの話題にツッコミはいらないと伝える。
「あー了解しました」
緊急事態ゆえにゲームもしくは映画の見よう見まねで、やったんだな。だから下手なのかと納得した戦車長は自衛隊の規律を傷つけないように無知であろうとする。
「駐屯地は駒門か?」
私は戦車長に質問する。
「はい」
「静岡の部隊がなぜ、栃木に来ているんだ」
私は大規模な作戦があったのではと不安になる。戦車長が中の島を陸の孤島にしたということは少なくとも第1戦車大隊が負けたことを意味する。敵は戦車大隊を瓦解させることができるほどの規模に膨れ上がっている姿を想像した私の脳裏に黒い大群に埋め尽くされた東京が映った。政府がなくなってしまえば世界に見捨てられるのではないか。人権はどうなるんだ。と考える私は怖い顔をする。
「埼玉防衛戦に参加していないのですか」
「していない。詳しく話してくれ」
「首都に向けて進軍していた敵勢力を埼玉県で殲滅する作戦。埼玉防衛戦に第1師団、第10師団、第12旅団が投入されました。第一第二第三防衛線を設置し、一および二で大多数の敵を排除。最終防衛線の三で脅威を完全に取り除ける予定でしたが、突破されました。部隊は甚大な被害を受け瓦解。連絡が途絶しています」
「首都の状況は分かるか?」
「断片的な情報から判断するに占拠されたと確信します」
「政府は存在していると思うか」
「そう思うしかありません。政府がなくなれば我々の存続意義も消えます」
「そうだな。確かにその通りだ。だが、意義がなくなったとしても義務は残る」
「義務、はい」
ん? と空を仰いだ私は腕組みをして目をつぶった。そして「ちょっと待て。政府がない前提で話しているような気がするんだが、気のせいだよな」と言う。
「あ! フラグってやつですね。これ」
私の緊張感を少しでも和らげようと戦車長が冗談のボールを投げた。
「やめろやめろ」
私は部下の調子に合わせた。同時にこういう時に冗談が言える部下というのはありがたいなとしみじみする。
「押すなよ! 絶対に押すなよと同じ意味ですか」
「違う」
「ははは。冗談です」
「上官をからかうとはいい度胸をしているな。腕立て用意!」
「百回でも二百回でも大丈夫ですよ」
戦車長が自衛隊式腕立て伏せの姿勢をとってそんなことを言った。
「お? そうか。十回くらいでいいかなと思っていたんだが、やるか」
「うそうそ。腕が壊れますよ」
「押すなよ! 絶対に押すなよ! と同じ意味だろ」
「そんなわけないじゃないですか。二尉も自衛官なら分かるでしょ」
「カッコつけもほどほどにしないといつか痛い目に合うぞ。まぁいつかではなくて今、なんだが。よし、1セット10回これをそうだな。×10だ」
「連続じゃないだけ良心的でもきつい。撤回を求めます」
「安心しろ。私も腕立てに付き合ってやる。私よりも遅かったら屈み跳躍用意だ」
「安心できる要素あります?」
「ないな。ははは」
「ははは」
空笑いをした戦車長と普通に笑った私が自衛隊式腕立て伏せに興じる。その様子を傍らで見ていた藤宮は戦車長の背中を椅子代わりに使う。藤宮の体重が戦車長の付加に加味する。戦車長にとってはしごき以外のなにものでもないが、10式戦車の砲手と操縦士はそうは思わなかったようだ。戦車長をうらめしそうに眺めている。
「離れてくれませんか。三尉殿」
「訓練の一環です。耐えてください」
「ぐぬぬ」
「どうした藤宮。他人行儀なのはよくないぞ。上官が丁寧語だと示しが付かないだろ」
「……腕立て伏せに集中しろ。二曹」
「了解!」
元気よく答えた戦車長が苦悶の表情を浮かべながらも腕立て伏せを再開する。
「来てくれ」
呼ばれた砲手と操縦士が尻尾を振る犬のように私の前まで走り、整列する。
「腕立て伏せですか!」
「違う。テントに空きはあるか?」
「あります」
しょぼんとした砲手が民間人が寝泊まりしているテント群の一つに人差し指を向ける。テントは自衛隊が設営した宿営用天幕と呼ばれる大型のテントだ。自衛隊員が六人、ぎゅうぎゅう詰めになれば足を延ばして睡眠ができるほど広々としている。
「彼女たちを案内してくれ。私と三尉もそこを使う」
「了解しました」
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