第二十六話「双葉琴里3」

 モンスターの手がひなを捕らえようとする。


「先に行って。すぐに追いつくから」

 私は駐車場で拾った特殊警棒を構える。振り下ろされた特殊警棒をモンスターが掴み、砕いた。唯一の武器がりんごのように砕け散った。モンスターが大鉈を槍のように構える。刺突が来る。


「ことりちゃん!」

 ひなが私の腕を引っ張る。私はよろめき、後ろに下がった。私の前に出たひなの背中から大鉈の切っ先が飛び出る。ひなの血が階段を下っていく。


「あ」

 私の体から力が抜ける。様々な悲痛な言葉が思い浮かんでくるが、声帯はなにも出さなかった。溢れようとしている言葉をショックで閉じた声帯がせき止めている。私とは対照的にモンスターは叫んだ。悲痛を鳴き声にして伝えた。


「ゴシュジンサマ! イヤダイヤダアアアアア」

 鳴き声のはずなのに言葉として聞こえる。モンスターの頭が破裂して、バケモノが飛び出す。そして出血性ショック死を迎える寸前のひなに近づく。藤宮が私を引っ張りこの場から離れようとする。嫌だ。バケモノの形が崩れる、黒いスライムのようになったバケモノがひなの傷口に密着する。嫌だ。ひなの全身が黒い液体に覆われた。


 朱音がサクラを構える。やめて! 私は朱音の足にしがみつく。私は必死に拒絶する。朱音が苦悶の表情を浮かべる。祈りが届いたのか、ひなの全身を覆っていた黒い液体が集約してバケモノの形になった。バケモノがひなの頬をすりすりする。


「どういうことだ? なぜ変化しない?」

 ひなが目覚める。傷口が塞がっている、生きている。ひなは特別なんだ。

「……兵器の可能性は?」

 藤宮が曲がった鼻を無理やり元に戻す。可能性を示唆する。

「兵器、か」

「バケモノの鳴き声が聞こえたときご主人様って言葉のように聞こえた。バケモノが実験の産物だった場合それを生み出した組織の一員もしくはその家族をモンスターにしないようにプログラミングされているのかもしれない。そう考えればあれが兵器で、涼風は組織の一員かその家族だったから変化しなかったと考察可能」

「そうだな。説としてはおかしくない。いずれにしても涼風はモンスターにならないなにかを持っている。そのなにかを専門機関に届ければ止められるかもしれない」

「この近辺で、研究ができそうなのは群馬大学くらい?」

「内情を詳しくは知らないが、おそらく実験できる環境はあると思う。でも大学はセキュリティがあまいからな。すでにバケモノに占拠されている可能性が高い」

「確かに。大学の警備員がモンスターを制圧できるはずがないし。そうなると国の研究所しかないと思うけど。朱音は他に候補はある?」

「ない。東京まで敵勢力が侵攻していなければ研究に着手できるはずだ。とは言え、これは私たちが決められる問題じゃないな。国家の進退に関わることだ。どうにかして上層部と連絡を取ろう」

「分かった」


 藤宮がひなを抱える。ひなの意識はもうろうとしている。私たちは階段を駆け上がる。後ろからモンスターの足音が聞こえる。屋上のヘリポートに到着した藤宮がヘリの操縦桿を握り、そして固まった。計器とスイッチが無数に配置されている操縦席を見て少しパニック状態になる藤宮は記憶の中にあるシミュレーションゲームの知識を思い出そうと躍起になっている。確かこのスイッチは、この計器は、と独り言をつぶやきながらリアルとゲームの結び付けを始める。


 ゲームは手順の間違えを教えてくれるが、リアルは教えてくれない。そしてゲームは間違えても死なないが、リアルは死ぬ。藤宮から血の気が引く。


 屋上のドアが乱暴に開かれてモンスターがなだれ込む。ヘリから降りてサクラを構えた朱音が厳しい顔をする。モンスターは二の足を踏んでいる。朱音との戦闘中にまたご主人様を傷つけてしまったらどうしようと考えているようだ。それでもじりじりとにじり寄ってくるモンスター。早期に離陸しなければ死は目に見えている。


「大丈夫だ」

 朱音が藤宮の手を握った。子に向ける母の微笑みのような温かみのある表情を見せる。藤宮の顔色が戻った。


「離陸前点検は無視する。エンジンスタート」

 プロペラが回転を始めた。ドクターヘリを浮かばせるだけの揚力が生まれたと直感で判断した藤宮が操縦桿を徐々に上げていく。ドクターヘリが左右に揺れながら空に吸い込まれた。手が届かない空に行ってしまったドクターヘリを悔しそうにモンスターは見上げる。


 ドクターヘリに備え付けられている車輪付き簡易ベット(ストレッチャー)に横になっている涼風が寝息を立てている。その姿を眺めていた私はほっと息を吐いた。


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