第17話
シーン16
たが今はそんな懐かしさに浸る余裕はない。見れば男と鬼はこちらに向かってきている。すこしはゆっくりさせてくれと愚痴を言ったところで始まらない。それにヒトナリとしてもまだ顔に一発もかましていないのだ。ここで終わるわけにはいかなかった。
「くそッ……」
しかし、少々不味い状況でもある。右腕で燃える炎の勢いが見るからに減っているのだ。これではさっきまでの身体能力向上は望めない。全力は出せないと考えた方がいいだろう。精々絞り出した所で8割と言ったところ。次がラストチャンスだ。
ではどうするべきかと考えていると、ジャリッと何かを踏み潰す音が聞こえた。恐らく辺り一面に散らばった酒瓶の欠片を砕いた音だろう。つまり店内に人が入ってきたことになる。
砕けた商品棚に身体を預けたまま、音の発信源に目を向ければ鬼と不快げな表情をした男が入口に立っていた。
「酒くせえ……」
男が鼻をヒクつかせながら言う。
「……酒は、お嫌いですか?」
「まぁな」
ヒトナリの問いに男は自然に答える。不快げな表情はそのためかと思ったが、どうやら違うようでこちらを見ながら口を開いた。
「……んな事どうでもいいんだよ。少年、おめえ気付いてるか?」
「ええ、もちろんです。でなければ、貴方の顔面を直ぐにでも殴りに行ってますからね……」
「……そうかよ」
舌打ちをした男の目線。それはヒトナリの顔ではなく、少しばかりズレた場所。左腕と左脚に向けられていた。それで男の表情の意味が分かった。男は酒ではなくヒトナリの姿を見て顔色を変えたのだ。
痛みも苦しさも感じなかった為、意識を向けていなかったが、現在ヒトナリの左腕と左脚は弾け飛び、そこに存在していない。残っているのは頭と胴体、そして炎が宿る右腕と右脚だけだ。周りを見れば酒瓶の欠片だけではなく、肉片と血が満遍なく店内に飛び散っていた。
ヒトナリはその事に何も思わない。何故なら事前に知っていたからだ。炎を使えば骨と皮しかない自分の身体が、耐えきれないということを。たが、もっと転げ回るような痛みかと思えば何も感じない為、ヒトナリはあっけらかんとしていた。
しかしながら、残念なこともある。これでは身体のバランスが取れず、戦闘続行不可能である事だ。いくら8割ほど力が残っていても使えなければ意味がない。思わず天を仰ぐ。諦めるつもりは毛頭ないが、策がないのも事実だった。
「……もうやめにしねえか、少年」
「何故です?」
ヒトナリは男の言葉を問うたが、答えは分かっていた。
「そんな身体でどう戦う。どうやっても勝ち目はねえ」
「……」
「もし俺に一撃を与えられたとしても、その炎を使って無傷でいられるのか? いられねえよな? 次は全てが爆散するかもしれねえ。そうなったら終わりだ。肝心の黒部ユカを救う事なんざ出来もしねえ」
男の言葉はその通りだった。運良くこのまま戦い続けられたとしても無傷でいられる補償など何処にもない。黒部ユカを救い出すことができなければ、犬死と同じだ。それにヒトナリの宿した炎は長期戦に向いていないのだ。ここで手を引くのも一つの手ではあった。
「そうかも、しれませんね……」
「だろう? なら――」
「でも、無理ですね。その選択肢を選ぶことはできません。言ったでしょう? 僕は後悔したくないから戦うのだと」
「……そうだったな。でもよ、死んだら元も子もないんだぜ。てめえはまだ若え。やり直せるところにいるんだ。命を粗末にするんじゃねえよ」
「ハハッ」
男の言葉に思わず笑ってしまった。
「なにがおかしい」
「いや、存外優しい人なんだなと思いまして」
ヒトナリの言葉に男は顔を歪める。そうなのだ、彼は敵対者でありながら、優しい人物であった。最初こそ憎たらしく感じていたが、無理をして演じているような違和感があったのだ。ヒトナリの記憶を消すという行動も今思えばおかしい。そんな事せず殺せば済む話なのだ。そう思えば男の言葉に嘘はなく、ただ子供を心配しているだけだと分かる。
けれど……、駄目だ。ヒトナリはこの男を止めなければならない。そんな男が少女を攫う理由、碌なものでないと理解できるからだ。だから、ここで諦めてはいけないのだ。
「……でもすみません。諦めませんよ、僕は。それにここで諦めてしまったら彼女はどうなるのです? 貴方のような方が人を攫ってまでやりたい事など、碌でもないことに決まっている」
「……だから助けるってか? 馬鹿らしい。もう一度言うがアイツにおめえが命をかけるほどの価値はねえぞ」
男が指を刺した先にはユカが骸骨武者に抱えられている。一瞬だけ目があって彼女は気まずそうに目を逸らした。それを見てもヒトナリは迷いなく言った。
「僕ももう一度言いましょう。それで結構、これは自己満足ですからね」
「チッ……」
男は舌打ちをしながらこちらを睨む。しかし、覇気は感じられない。鬼を使役し、顕現させ続けると言うのはやはり相当な負担なようだった。
鬼はといえば表情をピクリとも動かさず、男を庇うような形で佇んでいる。いや……、少しばかり先程と違う所があった。それは鬼の目で、酷く血走っている。そういえばこの鬼は神だ。だとすればやりようはあるかと、ヒトナリは小さく笑った。
「じゃあ、仕方がねえな。俺の邪魔をしねえように、大人しくなってもらうぞ」
「いつでもどうぞ」
ヒトナリはそう返事をして、商品棚の柱を支えに状態を起こす。やはり片腕、片脚だけではバランスが取りにくい。すぐに倒れてしまいそうになるのを、どうにか踏ん張って食い止めた。また、片手に陳列されていた二つの酒瓶を持つことで安定させる。
「……可愛げのねえガキだ。今度こそ仕留めろよ、守鬼」
鬼はコクリと頷いてこちらへとやってくる。ガラス片が踏まれるたびにミシリミシリと音を立て、ヒトナリの耳へと届く。
店内は広くはなく、鬼はすぐヒトナリの元へと到達することだろう。しかし、この距離だからこそやれる事があった。
ヒトナリは右手に持った酒瓶二本を、時間差を置いて鬼の顔面に向かって思いっきりぶん投げた。予想が正しければ、これでチャンスが生まれるはずだ。
まず一本目。それは鬼の素早い反応によって防がれる。払い退けられた酒瓶は勢いよく壁に激突し、中身をぶちまけた。また一層、店内の臭いが濃くなる。
続けて二本目。鬼はこれにもすぐさま対応しようと腕を振り上げたが、直後その巨体をふらつかせその場に倒れ込んだ。目は周り、再び立ち上がろうと踏ん張っているが失敗する。
「守鬼ッ!」
「ウウゥッ……!」
――ヒトナリの企みは成功した。
濃厚な酒の匂いが充満した店内で、思い付いたこの作戦。鬼の充血した目を見て、もしかしたらと実行に移したが、いざ成功すると呆気ないものだった。
倒れた鬼は見た目こそ化け物であるが、炎によって与えられた知識によると神である。そして思い出したのが有名なスナノオノミコトの神話だった。あの話の中で、八岐大蛇は酒をたらふく飲んだ事が原因で倒される。
だとしたらあの鬼も酒に弱いのではないかと考えたのだ。店内にいる鬼の充血した目、それは酒が原因なのではないかと。しかし、神話の中の八岐大蛇は神ではなく化け物。そして鬼は神という懸念もあった。たが、現状を見るに杞憂だったようだ。
「さっさと起きやがれ……! てめえそれでも神かよ!」
男はこちらを見る事なく、鬼に釘付けだ。これならばやれると、残った右脚に全ての炎を回した。炎はヒトナリの思いに応えるように激しく荒々しく燃え上がる。純白の炎は圧縮され、その輝きはどんどん大きなものへなってゆく。
それに気付いた男がこちらを見た。そのタイミングでヒトナリは男めがけて、右脚を思いっきり蹴り出した。炎で増幅された脚力は、恐ろしい速度でヒトナリを前方へと押し出す。男はすぐさま懐へと手を入れたが、そんなものは無意味だ。強力な頭突きによって、店外へと放り出された。
「ぐッ……!」
男の口から漏れるうめき声。しかし、ヒトナリの攻撃はまだ終わっていない。打ち出された体を器用に立て直し、少しばかり浮いている男の体を上空へと蹴り上げた。
ビキッと何かがひび割れた音がした。それは自身の右脚から聞こえた悲鳴だった。たが、そんなもの気にしている暇はない。打ち上げた男はまだ何かをしようとしている。しぶとく粘り強い人間だとヒトナリは顔を歪ませる。そしてもう一度、右脚に力を入れ男が待つ上空へと飛び上がった。
二人の目線が交差する。男は鋭い目つきでこちらを睨みつけ、ヒトナリはそれを受け止めた。よく見ると男の手には桃色の煙が中で渦巻くフラスコが握られている。出来れば手も足も出ない状態で、主導権を握っていたかったが仕方がない。それに男にどんな策があろうが、自分に残された手など一つしかないのだ。
右脚に濃縮されていた炎を右腕に回す。そして、後ろへと引き絞った。身体は重力によって自由落下してゆく。出来れば完全に落ちる前に勝負を決めたいと、より一層、炎を燃え上がらせた。
今の位置は丁度、男の上を取っている。このまま落下速度が上がれば、その勢いも拳へと還元される。ヒトナリは狙いを定めた。もちろん目標は男の顔面だ。
しかし、男もこのまま素直にやられてはくれない。フラスコの蓋を開け、そこから溢れ出した桃色の煙がその身体を覆う。
「……なめんじゃねえぞッ!」
その言葉と共に現れたのは男を守る為の6層の桃色の膜。頑丈そうなそれが濃厚な霊力を纏っている事は、素人であるヒトナリにも分かった。今の力でこの膜を撃ち破ることができるのか。けれど、やらなければならないと自身を奮い立たせ、引き絞っていた炎の拳を落下に合わせて、膜へと打ち込んだ。
カチンと甲高い音が、耳に届く。硬い……、分厚く強固な壁が目の前に現れたかと錯覚する。力をこめた所でびくともしない。どうすればよいのか。そんなもの決まっていると、もっと力を振り絞ればいいだけのことだと、ヒトナリは叫ぶ。
「まだまだぁあああ!!」
甲高い音を立て、1層目が砕けた。続けて2層目、3層目と砕け散ってゆく。あと、3層……これをどうにかすればこの拳は男に届く。ヒトナリは更に炎の火力を引き上げた。純白の炎は色を濃くし、力強く燃え上がる。
「……くそがッ!」
男の声と共にパリンと音がした。ヒトナリの拳は4層目を突き破り、続いて5層も打ち砕く。残るは1層のみ。けれど、最後の膜は分厚く強固でどれだけ力を入れてもびくともしない。
「……ひひッ」
自身の持つすべてを込めた一撃でさえ、壊れる気配のないそれにヒトナリは笑う。その先で男は汗をたっぷりと流しながら、顔を顰めている。
万策尽きたとはこの事。もう絞り出せる力も残ってはない。……だからと、諦めることはしなかった。
最後の最後まで足掻くのだ。意地汚くかっこ悪くても結果させだせれば、それでいいのだ。
「……これで最後だッ!」
炎の拳をもう一度、引き絞る。力を溜める猶予はない。すぐそばにアスファルトが見えている。このままいけばあっという間に、地上へと落ちる。その前に何としても勝負をつけるのだ。
一点集中。拡散していた炎を鋭く尖らせ、膜の中央のみに打ち込む。ヒトナリの意志に従って、炎は形を変えてゆく。
完成したのは右腕を包む純白の槍。
それを思いっきり、桃色の膜へと打ち込んだ。最初は何も変化が無かった。硬いコンクリートの壁に、素手の拳を打ち付けたような感覚だった。
「…………ッ」
これで終わりかと絶望した。けれど、その槍はヒトナリを勇気づけるかのように、膜にヒビを入れてみせた。
それを見た男の顔が心底、面白かった。一泡吹かせてやったぞと一つの達成感みたいなものが湧きあがった。
――しかし、そこまでだ。
槍の形を成していた炎はヒビを入れた瞬間に崩れ、炎自体が消えてゆく。そして、弾け飛んだ左腕、左脚の傷口からどばりと血が溢れ出す。空中に散らばった血液は雨粒のようになって、ヒトナリの身体を濡らした。
限界だったのだ。ただの中学生、それも身体能力が極めて低い人間が大立ち回りするには、体力や筋力その他すべてが不足していた。それも欠損をするという大怪我まで負って動くなど、無理をしすぎた。
ヒトナリは笑う。そして、男と共にアスファルトの地面へと激突した。
あらゆる場所を打ちつけ、その場を転げ回る。やっと止まった所で、全身に激痛が走った。ゆっくりと動かした目で見れば、自分の体からは数カ所、骨が飛び出し関節が逆になっていたりとまともではない。
幸い頭が砕けることはなかったが、もう動ける状態ではなかった。
そんなヒトナリの視界に影が刺す。ぼやけて良く分からないが、霊力からして男のようだった。
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