第15話
シーン14
アスファルトの上で一人の少年が倒れている。骨と皮しかないような華奢な体つきで、頭髪は天然パーマなのかくりくりとしていた。動く様子もなく死んでいるのかと思えば、浅い呼吸はしており胸の辺りが微かに上下しているのが見てとれた。
目覚める様子はない。そうだ、そうしたのだから当然である。少年の身体を包んだ紫の式神はフラスコの中に戻り、一仕事を終えている。つまりは成功。足元にいる少年は黒部ユカに関する記憶を抹消され、何不自由なく暮らしてゆくことになるのだ。
「ヒトナリくんッ……!!」
後ろがうるさい。甲高い声が耳に障る。だから若い女の子は苦手なのだと井野口レイは息を吐く。彼女の心配する気持ちは全うである事は分かっている。しかしながら、こうもうるさいと温厚をモットーに生きるレイも苛立ちを隠せない。
叫ぶだけでなんになる。行動を起こさなければ何も変わらない。心配するならその身に宿る炎を燃やし、骸の拘束から逃げだせ。そして少年を救えばいいだけのことだ。
黒部ユカにはそれだけの力があるとレイは思っていた。でなれば狙わないし、その力を欲しいとも考えなかっただろう。たが、彼女は先ほどの戦闘で心を折られたのか炎を出す様子は見られない。
……その姿は昔の自分を見ているようで、虫唾が走った。
「……不憫だなぁてめえも。あんな奴のために命を賭けたのか」
足元に転がる少年に視線を向ける。やはり霊力を感じることのない不思議な人間だ。そんな状態で骸の拳を受ければ致命傷になりうる。霊力とはつまり異形の存在から自分を守る鎧なのだ。彼はその鎧を纏わない、いわば丸裸の状態で黒部ユカを助けようとした。充分、賞賛にあたる行為である。
本人は知らなかっただろう。陰陽師や霊力に関する知識も持っていなかったはずだ。しかし、骸に殴られ強烈な痛みを感じたはずなのに、少年の目は最後まで死ぬことはなかった。そして、意識を失う直前にはレイに対して罵倒すらしてきた。
……これほどの根性と勇気のある青年がこんな奴を助ける為に命を賭けるなど心底馬鹿馬鹿しい。だから、記憶だけを消し普通の生活へと戻すのだ。最初は抜け落ちた記憶に混乱することだろう。たが、この少年ならばすぐに慣れて何不自由ない生活を送っていくはずだ。
「さーてと、それじゃあ行くとするかね。目的の物は手に入ったし、いつまでもここにいる理由はねえ。……いくぞ、骸」
レイの言葉に骸はカラカラと音を立てて、歩き出す。勿論、その腕の中には黒部ユカが収まっていた。
「……」
「急に静かになったな。どーしたよ?」
「……私はこれからどうなるんだい?」
「けへへっ。どうなんだろうな。ご想像にお任せするぜ」
「……」
「チッ」
レイの舌打ちにユカが小さく震えた。こいつはもう本格的に駄目かもしれない、そう思った。あれだけ叫んでいたのに今では自分の心配しかしてないのだ。言葉の端にでも少年を心配する言葉があったら違ったのだが、それすら無い。少年が少しばかり不憫であった。
だが、ユカの持つ力は紛れもない本物である。それは骸との戦闘を経て確信へと変わっていた。あの炎はレイが求めていたものに違いはない。宿主は少々アレだが、抜き取って力をレイのものにしてしまえば用はない。
早く帰ってユカから力を取り出す方法を調べなければと、レイが歩く速さを変えた時だった。前を歩く骸が足を止めた。命令は、していない。
「……どうした?」
骸はレイの言葉に答える事はない。カラカラと骨を鳴らすこともなかった。明らかな異常だった。
骸はレイの式神の中でも最も忠実であり、最も付き合いの長い存在である。そんな彼が理由もなくレイの言葉を無視するなどありえない。
その訳は、すぐに明らかとなった。
「ッ……!」
強烈な寒気が全身を舐め回した。それと共に頭の中で警戒音が鳴り響く。見れば、骸はレイの背後に顔を向けていた。蒼の炎の眼光は鋭くなにかを見つめている。
それほどまで自分の式神が警戒する存在。それを確認するためレイも自身の背後へと振り返る。
「うそ、だろ……。ありえねえ、ありえるはずがねえ……!!」
思わず言葉を荒げてしまった自分は正常だと、そう思った。何故なら本当にありえないことが起きていたのだ。
レイの目に最初に映ったのは人影だった。それは次第にしっかりと形を成してゆき、一人の少年となった。そう記憶を消し、その場で倒れてたはずの少年が立っていたのだ。それだけなら、まだ納得ができた。あれだけの勇気を持つ人間だ。根性か何かで意識を取り戻すこともゼロではない。しかし、その姿が異常であった。
まず少年の身体から膨大な霊力が溢れ出していた。これはもっともありえない驚くべき現象だった。まず彼は霊力が全くなかったはずなのだ。それが急にあれほどの霊力を持つなどあり得ない。
そして、少年の右手を包んでいる白い炎。あれは黒部ユカの持つ力と同じもの。そして、彼女が骸との戦闘で見せたものと酷似していた。しかし、彼女が白金だったのに対し少年が宿すそれは純白の炎だった。
「おめえ、何者だ……?」
レイの言葉は確認だ。少年は骸に倒された後、レイの式神によって記憶を消した。それは黒部ユカに関する記憶のみであるが、副作用として起きてすぐは自分の名前や年齢というものが分からなくなるのだ。しかし、少年は右手を包む炎をじっと見た後、こう言った。
「……私は、いや僕は倉井ヒトナリです。それ以外の何者でもありません」
「そうかい」
記憶は消されていない。それはあの炎が式神による記憶消去を邪魔したからである可能性が高い。だとすれば少年が宿す炎には、黒部ユカの炎と同じ退魔の力があるということだ。
それも少年から溢れ出している霊力は、黒部ユカを軽く超えている。いかに頑丈である骸といえど無傷では済まないだろう。
「はぁ……、めんどくせえ」
ため息と共にそんな言葉が口から漏れる。元々レイは無駄な事はしない主義であると同時に極度の面倒臭がり屋。黒部ユカを捕まえるのも、彼女の力に当たりをつけ自分の式神でも充分対応可能である事が分かった上で行動を起こしたのだ。それもこれも無駄なことをして余計な時間を使い、体力を必要以上に使わないため。
しかし、少年の存在は未知数だ。それも霊力が全く無いことを理由に警戒をしていなかった。
「骸、そいつを抱えたまま動くなよ。恐らくおめえの頑丈さでもあいつの炎に耐えられるか分からねえ」
「……随分警戒するんですね」
「そりゃあ警戒もするだろうよ。そんな訳のわからねえ力を見せられちゃあな」
レイは懐に手を入れた。
「……言っとくがな少年。黒部ユカに命を賭けて助けるほどの価値はねえと思うぞ」
「なぜです?」
「こいつは最初こそてめえの事を心配していたが、最後には自分のことしか考えてなかったからだ。そんな奴の為に命を賭ける理由なんかあんのか?」
レイの言葉に少年は困ったような笑みを浮かべた。
「……そうですね。そうかもしれません」
「だろう? なら、ここはお互い手を引こうぜ」
後ろでカラカラと音がした。見る事はできないが、恐らくユカが暴れ出したのだろう。それを抑える為に、骸が動いているのだ。だが今はそれに構っている余裕はない。
レイは再び少年へと意識を向ける。
「でも、それでは駄目なんです」
「何故だ……?」
「僕は……後悔をしたくないんですよ。貴方のいう通り彼女に命を賭けるほどの意味がないとしても、きっとここで何もしなかったら後悔してしまう。それが堪らなく嫌なんです」
「だから助けるってのか?」
「はい」
少年は迷いなく答えた。淀みなくそれがもっとも自然であるかのように。けれど、その答えはレイと対峙するというものに他ならない。レイは懐からフラスコを取り出す。少年の力は未知数。ならばこちらも相応のもので答えなければならない。出来れば使いたくなかった切り札であった。
「馬鹿だなぁおめえ」
「ええ、馬鹿なんでしょうね」
「そして、独善的だ」
「はい」
ヒトナリの言葉を聞いて、レイはニヤリと笑う。
「……だが、嫌いじゃねえ。馬鹿で結構、それぐらいでなきゃ命を賭けて人を助けようなんて思わねえわな」
そう言って黒い煙が渦巻くフラスコを顔の前で揺らす。どうやらこの中にいる鬼は、今は落ち着いているようだ。これならば使うことが可能だろう。しかし、やはり不安はある。その証拠に額からは汗が流れ落ち、嫌というほど自分の心情を表していた。だが、表情には出さない。腐っても陰陽師として生きてきたプライドがそれを阻止していた。そしていつものように虚勢を張る。それがレイにできる精一杯だった。
「言っとくが、てめえの炎が不安定なのは分かってるぜ。それに霊力の揺らぎも激しい。まともに使えるのはそんなに長くないんだろう。それでもやるのか?」
「はい、もちろん。僕はその為に戻ってきたんです」
「……なら遠慮はいらねえな」
レイはフラスコの蓋を外す。その中から黒い煙が外に飛び出し、人型を作ってゆく。かなりの霊力を持っていかれた。いくら低級といえど腐っても神なだけはある。
しばらくして現れたのは大柄な鬼だ。そいつは黒部ユカの存在を知るきっかけとなった存在であると同時に、目の前に立つ少年に深傷を負わせた因縁の相手であった。
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