第11話

シーン10

 雨が降り続いている。さっきの地震で少しばかりユカの周りが騒がしくなったが、直ぐに日常を取り戻し、皆んなさっきの地震が嘘だったかのように動き始めていた。

 しかし、地震の影響はしっかりと出ているようで、ヒトナリへと掛けている電話は一向に繋がる気配を見せなかった。


「――駄目か。ヒトナリくん、大丈夫だろうか……」


 倉井ヒトナリ。

 ユカにとって初めての友人であり、何故か自分に告白なるものをしてきた人物である。

 他者に嫌われるというユカの力が効かないという、これまでの人生で出会ったことのない人間で、少々不審な点もある人物だが、ユカにとって唯一の友人という事には変わりはなかった。

 だかこそ心配もするのだが、自分がそんな事を思う日がくるとは思ってもみなかったため、ほんの少し戸惑っていた。


「はぁ……」


 コンビニで買ったビニール傘には、大きな雨粒が途絶えるとなく打ちつけられている。

 この傘を買うために入ったコンビニでも、ユカは店員や客から嫌悪の感情を向けられた。

 それこそが彼女にとっての普通なのだ。

 慣れとは恐ろしい。これが一生続くものだと、受け入れていた。


「でも、それでは駄目みたいだからな……」


 そう言って歩くユカの呟きは、周囲の音にかき消される。

 ヒトナリに言ってしまったのだ。この力を調べて、解決する方法を探し出し、その時に告白の返事をすると。それまで待っていてほしいと。

 きっとこれは照れ隠しだ。初めての告白に動揺して、こんな事を言い出したのだ。

 この力をどうにかする方法など、一つも思いつかないと言うのに。


「はぁ……」


 ユカがまたため息をついた、その時だ。

 アスファルトの道の先に、立ち止まる人影が見えた。

 近づくにつれて人影がはっきりしていくと、その人物が傘も差さず、ずぶ濡れの状態で立っている事に気づく。

 その人物はにんまりとした笑みを作り、立ち止まったユカを真っ直ぐ見ていた。


 ぞくり……。


 まるで蛇に睨まれた蛙のような感覚に陥った。

 身体が硬直して、その場から一歩も動くことができない。

 奥歯はガタガタと震え、瞬きもできず、傘を握る手は強くなっている。

 逃げられない……。ユカはそう悟った。

 その様子を見て、ずぶ濡れの男はケラケラと笑いながら口を開く。

 

「――けへへっ。俺って幸運すぎねえか? あんだけ時間がかかると思ってた人に会う事でできるなんてよぉ。なぁ、嬢ちゃん?」

「誰に、言ってるんですか……?」

「周りを見てから言えよ。どう考えてもおめえしかいねえだろ。黒部ユカ、さん?」


 男の問いかけに、ユカは周りを見渡した。

 そこには人っ子一人おらず、がらりとした空間が広がっているだけだった。

 つまりは男が言う探していた人物とは、自分しかあり得ない。


 こんなあからさまに怪しい男に狙われる心当たりはない。

 レインコートにサングラス。金の犬歯が光る人物なんて知り合いにいるはずがない。

 たが、この人物は自分を探しにきたと言う。

 ユカは逃げ出したかった。足は震えて、心臓はどくどくと鼓動を早めていた。

 こんなにも恐怖を感じた事はない。あの鬼に遭遇した時でさえ、動じることはなかったというのに。

 なにかきっかけが必要だ。そう思って、ユカは震える唇に歯を立てて思いっきり噛んだ。

 そうする事で硬直がとれた身体に命令し、一歩うしろに下がった。


「あーっと、逃げようなんて考えるなよ。てか、考えても実行すんじゃねえ。言っとくが無駄だからな」

「む、無駄なわけがあるか……!」

「無駄だよ、嬢ちゃん。考えてもみろよ、なんでここに俺たち二人しかいないと思うんだ? 言っとくがさっきまで人はいたんだぜ。沢山な」

「……じゃあ、なんで」

「そりゃあ、俺が結界を貼ったからだよ。こんなふうにな」


 男はそう言うと、レインコートの懐からフラスコを取り出した。そして、おもむろに蓋を取ると中にあった赤い液体を地べたに垂らす。

 すると、そこから波紋が広がるように半球型の膜が広がり、二人がいる空間を包み込んだ。

 雨が、止んでいる。

 さっきまで耐えることのなかった雨粒が、一瞬のうちに消えてしまった。


「今のは簡単な結界だ。ただの雨宿り用だな。そして、おめえと会う前に貼ったのが人払いの結界になる。そして――」


 男はまたけらけらと笑い、こう言葉を続けた。


「もう一つだけ、この辺り一体が監獄になる結界を貼った。つまりはだ、ここでおめえが逃げ出した所で、人に助けを求める事もできねえワケだな」


 男の言う事はどれも到底信じられるようなものでない。気が狂ってるとも言えるだろう。だが、ついさっき男は結界なるものを発動するところを、ユカに見せていた。

 これは嘘ではなし、ハッタリでもない。今起きているのは現実だ。

 しかし、ユカはそれを見て安心していた。

 それは何故か。


 自分にはこの超常的な現象に対処できる力が備わっているからである。

 忌々しいあの力はこういう時にこそ、能力を発揮するのだ。

 気付けば足の震えは治まっている。身体も自由に動き、心臓の動きもいつも通りだ。

 もちろん不安もあった。力をしっかり使ったのは、鬼と遭遇した時の一度きり。男が貼ったという結界を破れるという保証はないのだ。

 ユカは覚悟を決める準備をした。無意識のうちに、手に力が入る。


「……いい目をしてるねえ。諦めるつもりはねえと語ってやがる。好きだぜ、そういう女」

「嬉しくありません」

「そうかい、そうかい! そりゃあこんな奴に好きって言われても嬉しかないわな! けへへっ」


 よく笑う男だ。ユカはそう思う。

 思えば、さっきからずっと男は笑顔を絶やさない。

 歯を見せ、へらへらと笑い続けている。

 不気味だ。なんだか背筋がゾクゾクする。


「さて、そろそろ始めましょうかねえ……」


 男が一歩前に出る。同時にユカの足も後ろに下がった。

 それは無意識の行動。男から出ている威圧感と不気味さからきたものだった。

 男は懐からまたフラスコを取り出す。前のものとは違い、液体は入っていない。

 代わりに黒い気体がフラスコの中をぐるぐると回っていた。


「あーそうそう。自己紹介がまだだったか。俺の名前は井野口レイ。おめえの力を奪いにきた、わるーい陰陽師だ。ちゃんと覚えてくれると、嬉しい」


 そう言うと男――井野口レイは、フラスコの蓋を開けた。

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