第9話
木々の生い茂る鬱蒼とした森の中。目の高さにある邪魔な枝を払いながら辿り着いたのは、少しばかり開けた空間だった。
月明かりが照らすその場所には赤い液体が土と木にこびり付き、生臭く不愉快と感じる臭いを漂わせていた。そして、その惨状を生み出したであろう鬼は胸にぽっかりと穴を開けて、涎を垂らしながら空を見上げている。
全く意味のわからない状況だ。だが、面白いとも男は思った。
男が広場へ足を踏み入れれば、先程までピクリとも動かなかった鬼がこちらを向いた。
その瞳に映るのはひとりの人間。茶色いレインコートを羽織り、赤いサングラスをかけた男。その口は三日月型の笑みを浮かべており、金色の犬歯が眩しく輝いている。
「いやぁ〜、森の守り神様がこうもあっさりと。生きていると面白い事もあるもんだ。けへへっ」
森の守り神と言われる存在が胸に大穴を開けられて敗北するなど、普通ありえない。いくら土地が穢れ、守り神として正常に機能していなかったとしてもだ。
だからこそ、面白かった。この神に致命傷を与えた存在がいるこということが。
鬼はその言葉に機嫌を悪くしたのか、ぎらりと睨みつけてくる。それがとても滑稽で男はさらに笑みを深くした。
「どうした? 事実を言われて苛ついたか? 神ともあろうものが器の小さいことで」
「……ダマレ」
「いいや、黙らないね。てめえは守り神であるにも関わらず人を襲い、殺したんだ。いくら神といえど、許されるはずがねえ。お前だって俺が来た理由はわかってんだろ?」
「……」
鬼は男の言葉に押し黙る。
守り神とは通常、その名が示す通り土地やそこに暮らす人々を守り抜く神のことを指す。だが今回、何らかの原因で土地が穢れた事で守り神の属性が反転し、祟り神となってしまった。
今はまだ世間で報道こそされていないが、この祟り神によって奪われた命は片手では足りない数になっている。
男が派遣されたのはこの祟り神を滅する為であった。
人にあだなす存在を、この世から消し去り、人の世に平穏をもたらす。それが陰陽師という存在だ。
しかし、男にはこの鬼を滅する気持ちはこれっぽちもなかった。なぜなら、依頼を受けた裏には男のある目的があるからだ。その為にはこの鬼に消えてもらっては大変困るのである。
「ま、俺も鬼じゃねえ。お前に選択肢を与えてやる。ここで俺に滅せられて消えるか。それとも――」
男はレインコートの払い除け、腰に挿したあるものを取り出した。それはコルクの蓋でしっかりとはめてある、一本のフラスコであった。
男はフラスコを顔の前で揺らして、へらへらと鬼に笑かける。
「俺の式神として仕えるかだ」
「……グルルゥ」
「いいか、よく考えて答えろよ? 言っとくが本当に選択肢はこの二つしかねえ。それにもし何かの間違いで俺がお前を滅することが出来なくても、後から俺より強い奴がきて必ず滅せられる。たが、俺の式神になれば生きながられる事ができて、選択肢が増えるんだぜ」
男の言葉に嘘はなかった。少しばかり打算はあるが、選択肢が増えるのは本当である。
鬼は男の言葉に俯いて、視線を胸に開いた大穴へと向けた。
黄金色の炎が燻っている。男はそれを見て、最初は怪訝そうにしていたが、次第に目を見開き驚愕に顔を染めた。
「なんだ、それ……」
今にも消えてしまいそうな黄金の炎。
時折吹く風によって揺らめく輝きに、男は釘付けになった。
まるで魅了されたような感覚に陥った。と同時に凄まじいほどの嫌悪感を覚えた。
そこからの男の行動は素早かった。手に持っていたフラスコを数回振って、鬼に向かって思いっきり投げつけたのだ。
鬼は突然の事に硬直し、フラスコがカコンと額に当たるまで瞬き一つしなかった。
フラスコは衝撃によってコルクの蓋が外れ、そこに鬼が吸い込まれる。ここまでの出来事は数秒の間に行われた。
「すまねえな。さっきの話はナシだ。お前は絶対に俺の式神になってもらう。だって、仕方がねえだろ? そんなもん見せられちゃあ、他の陰陽師に滅せられる事も式神にされるわけにもいかねえんだ」
男が皮のブーツで地面を踏みしめながらフラスコに近づくと、中にいる鬼がこちらを睨みつけてくる。よく目を凝らせば、胸の大穴が綺麗に塞がっていた。それは鬼が男の式神になったことを表していた。
「くるくるーっと」
男はフラスコに蓋をし直し、軽く揺らす。中では鬼が転げ回る。その様子が心底面白くて、ケラケラと笑った。
祟り神になってしまったとはいえ、この鬼は強大な力を持つ神である。その力は男が持つ式神の中では、規格外に大きなものだ。それが今では自分の手の中にあり、命さえ握っている事に優越感さえあった。ただ、胸に大穴を開けられても生きていた生命力は侮れないとも感じていた。
「はてさてっと」
式神にしたのには、しっかりとした理由がある。術者と式神は運命共同体であり、式神のあらゆる情報を閲覧することができるのだ。
つまり、鬼に巨大な穴を開け瀕死に追い込んだ存在を男は知る事ができる。
フラスコをぎゅっと握ると、中にいる鬼から白い糸が何本も溢れ出し、男に吸い込まれてゆく。この一つ一つが記憶であり、知識である。
男はしばらくの間その記憶を読み取る事に集中し、そして涙を流した。
「おいおい、こりゃあ素晴らしすぎねえか。ただの女の子がこの鬼を倒したのかよ。冗談キツイぜ、まったくよ……」
男はフラスコを懐にしまう。
「だけどまあ、魅力的な力だな。けへへッ、欲しいねえ……。是非、あの力が欲しい! なら、俺は何をすべきか」
天を見上げれば、無数の星が輝いていた。男はその美しさに手を伸ばすが、当然手に入れることはできない。
「あー、くそッ」
女の子の姿は分かった。ここら辺の街をしらみつぶし探せば見つかるだろう。だが、気になる事が一つあった。
それは、女の子が助けていた男の子。そいつは記憶越しに見ても異常だった。
何が異常だったのか。姿形は人間と変わらない。問題は彼から一切、霊力を感じなかった事である。
霊力とは陰陽師の力の源であり、人であれば必ず宿っているもの。保有量の多い少ないはあれど、全くないなどあり得ない。もしあるとするならば、死人である。
「気持ち悪りぃな、こいつ。人間かよ、ほんとによ……」
背筋がゾクゾクするのを感じ、身震いした。
霊力が全くない人間など、歩く死体。つまりはゾンビと同じなのだ。
そういうものが苦手な男は、その男の子について考えるのをやめた。
目的は女の子の方の力だけである。余計な思考はかえって、自分を混乱させるだけだ。
男は森の出口へと歩き出す。
依頼は完了した。あとは本部に報告して、報酬をもらうだけ。そして、その後はじぶんのために動くのだ。
男にとっては、人生の全てをかけてもいい目的のために。
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