第6話 調査

シーン6

ヒトナリはユカと一緒に五郎が運転する黒いセダンに乗り、鬼が出現するという隣山へと向かっていた。

 五郎は短い手足を器用に使い、運転している。

 助手席に座るユカはいつのまにか寝息を立てていて、ヒトナリは静かな車内の中、外の暗い森の景色を見る事で暇を潰していた。


「倉井様」

「はい。なんでしょうか……?」


 突然話しかけられた事で、うわずった返事をしてしまったヒトナリを五郎は小さく笑う。

 

「そんなに緊張なさらずとも大丈夫ですよ。といっても、言葉を喋る犬に自然体でいろといっても難しいでしょうが」

「い、いえ……。そういう存在もいるのだと自分を納得させてはいるのですが、どうも受け入れるには少々時間がかかりそうで……」

「ハハハッ! そうでしょうね。私も貴方と同じ立場だったら、直ぐに受け入れるのは無理でしょう」


 隣山に向かう前、五郎と共に夕食を囲んだのだが、未だに犬が二足歩行で、しかも前足で器用に箸を使う姿をすんなりと受け入れるのは無理だった。

 だからだろうか。ふと、ある事が気になった。


「あの……五郎さんは、いつからその姿に?」


 五郎は犬……と納得できたとしても、ヒトナリは五郎の行動から滲みでる人間臭さに何処か違和感を感じていた。

 今も車の運転をするという、普通の犬ではあり得ない事をしているのだ。

 五郎はヒトナリの質問に、眉間に皺を寄せて困ったという顔をした。

 

「うーん、それが私にもよく分からないんですよ」

「分からない? 記憶喪失みたいなものでしょうか」

「いえ、そうではなく。私は元々ユカ様のご両親に飼われていた、その事は覚えているのです。そして、ユカ様が生まれて暫くして、天寿をまっとうしました」


 そう言った後、五郎はどこか遠くをみる眼をした。


「その後わたしは天へと昇るはずだったのですが、なぜかその途中で誰かに足を引っ張られまして、気付いたら二足歩行の犬となっていたのです」

「気付いたらですか、それは不思議ですね……」

「ええ……。ですが、一つだけはっきりと覚えていることがあるんですよ。わたしが二足歩行でこの地に足をつけた時、後ろから声がしたんです。『あの子をたすけてやってほしい。わたしにはどうにもできないから』と」

「声とは、これまた不思議です。それから五郎さんはどうされたんですか?」

「私はその後、記憶を頼りに家を探し出し、ユカ様の現状を知り、この子の家族となりました。最初は色々と苦労しましが、今ではいい思い出ですよ」


 そう言った五郎の顔は、本当に嬉しそうで、優しさに満ち溢れた笑みを浮かべていた。

 心の底からユカのことを愛しているのだろう。

 でなければ、元々犬だったものが人間社会で暮らしていく努力をするなど、到底不可能だ。

 人間であるヒトナリが犬社会で暮らせと言われ、はいそうですかと出来るものではないように。


 ヒトナリがそんな事を考えている内に、目的地である隣山が近づいてきたのか、車のスピードが緩やかになっていた。

 しばらくて、細い車道の隅に車が止まる。

 今はまだ車のライトがあるので明るいが、エンジンを切ればこの暗闇に直ぐに飲まれるだろう。


「到着しましたよ、ユカ様」

「ん〜? もう着いたのかい。隣山といえど結構距離があったはずだが、やはり眠ると一瞬で時が過ぎるね」


 五郎の言葉に大きく伸びをして、ユカは眠りから目を覚ました。

 そして、後部座席に座るヒトナリに顔を向ける。


「さて、行こうかヒトナリくん!」

「うん。黒部さん」


 二人はリュックサックを背負い、車から降りた。

 はしゃぐユカに、それを心配する五郎。

 ユカはそれに対して軽い返事を繰り返すだけだったので、それがさらに五郎の心配を煽ったのだろう。

 二人と別れる直前までユカの事を案じ、ヒトナリに対してはユカ様の事をお願いしますと、深く頭を下げられた。


「では、出発!」


 ユカの声で二人は五郎と別れ、目の前にある林の中に足を踏み入れた。

 懐中電灯は地図を持つユカが持ち、その後ろにぴったりとヒトナリがついてゆく形だ。

 進むのに邪魔な枝は、ユカがもつ鎌で切り払われる。

 その迷いなく振るわれる鎌の手捌きに、ヒトナリは素直に感心した。


「なんか慣れてるね」

「ん、そうかい? 普段から五郎と一緒に山菜やきのこ狩りをしに山に入るから、そう見えるのかもしれないね」

「普段から……。それは頼もしい」

「そうだろう? だから、ヒトナリくんは安心してわたしに着いてきてくれたまえ!」

「うん、頼りにしています」


 ヒトナリの言葉にユカは嬉しそうにニカっと笑った。

 それからユカは小さく鼻歌を歌いながら進み、そしてしばらく歩いたところで、足を止めた。


 そこは森の中でも少し開けた場所だった。

 ここが目的だろうか。それにしては何もなく、殺風景な場所である。

 ユカも首を捻り、懐中電灯で地図を照らしている。


「ここら辺のはずなんだが……」

「どうしたの?」

「いやね、わたしが間違っていなければこの先に祠があるはずなんだが、ほら――」


 ユカは懐中電灯で、先を照らした。

 だが、そこに彼女のいう祠はなく、鬱蒼とした木々と地面が広がっているだけだった。


「そんなものは見えないだろう? うーん、どこかで道を間違ってしまったかもしれない。すまないな、ヒトナリくん」

「いや、謝ることはないよ。黒部さんに頼りきりだった僕にも非があるんだから」

「ありがとう。そう言ってくれると助かるよ」

「まだ体力は残ってるからね。来た道を戻って、そこからまた始めればいい……って、ん?」


 坂道を登るだけで身体が悲鳴を上げていたヒトナリだが、今は不思議と調子が良かった。

 夜通し歩き続けられるのではと思うくらいに。

 その事でやる気十分になっていたヒトナリがふと、先程ユカが照らした祠があるという場所に目を向けると、なにか大きい輪郭の物体が鎮座しているのが確認できた。

 見間違いかと何度か目を擦ってみるが、たしかにそこに存在している。

 さっきまでは無かったはずなのに。


「……黒部さん、もう一度あの先を照らしてくれないかな?」

「え、それは構わないが……」


 何の意味があるんだい?と言いたげなユカはヒトナリの言葉に従って、さっきと同じ場所を懐中電灯で照らした。

 そして、そこで固まった。

 つい数分前にはなかったはずの祠が、今までずっとそこありましたよとでも言うように、鎮座していたのだ。

 それを見て、ユカはぷるぷると震えていた。


「こ、こ、これは!?」


 ユカはリュックから素早くカメラを取り出し、祠に向けてシャッターを押した。

 それから、後ろを振り向いて満面の笑みを向けてくる。

 目に見えて興奮した様子で、三日月型になった唇の端からは涎が一筋、垂れ落ちていた。


「か、怪奇現象! 怪奇現象だよヒトナリくん! 私は初めて怪奇現象に遭遇している! 今までどうやっても見ることが叶わなかったものが目の前にある! やはりヒトナリくんがいて良かった!」

「黒部さん、ヨダレが……」

「あ、これは失礼した」


 ユカはハンカチで口元を拭く。だが、再びニンマリとした笑みを作ると、へへへと笑ってゆるい顔を作る。

 彼女のオカルト好きはここまでだったのかと、ヒトナリはほんの少し引いてしまった。

 そんなヒトナリのことなんてつゆ知らず、ユカは祠に近づいて、カメラのシャッターを押し続けた。


「本当にオカルトが好きなんだね」

「そうだとも大好きさ! あぁ、この瞬間を忘れないようにたくさん撮らなければ! あ、君も撮るかい?」


 ユカの言葉にヒトナリは首を振った。

 オカルトに興味を持とうという努力はしようと思う。たが、今はまだ彼女ほどの情熱を持てる人間にはなっていない。

 ヒトナリが拒否したのは楽しそうな彼女の邪魔をしてしまうのは、失礼だろうと思ったからだった。

 ユカはそれに対してすこし悲しげな表情を見せた。


「そうか……。なら、祠の側に立ってはくれないかい? ここへ私たちが確かに来たんだという証明を残しときたいんだ」

「僕だけ? 黒部さんは一緒に映らないの?」

「申し訳ないが、私はどうも写真に映るというのが苦手でね。そこに立っているだけで構わないから」

「そうなんだ。うん、分かったよ」


 ヒトナリはユカの要望通り祠の隣に立つ。

 ユカはこれまた嬉しそうにカメラのシャッターを押す。

 しばらくの間それが続いたのだが、ある時ユカの手がぴたりと止まって、ヒトナリの後ろ側へと視線を固定させてた。

 ヒトナリは首を捻る。


「黒部さん、どうしたの?」

「……わたしは夢を見ているのだろうか。いや、夢ではない、これは絶対夢ではない。現実に起きている事なんだ」

「黒部さん……?」

「ヒトナリくん、落ち着いて聞いてほしいのだが、私たちの目標は今、達成されたらしい」

「え、それはどういう――」


 ヒトナリが次の言葉を紡ごうとした時、なにか生暖かい風が上から下へとかけられた。

 それは生臭く、気持ちの悪い風だった。

 ヒトナリはゆっくりと上を見上げる。

 そこには――。


「鬼……」


 鬼が目を血走らせ、鼻から荒い息を出しながら佇んでいた。

 筋肉隆々の巨大な身体に、丸太のように太い手足。目はでかく、鋭い歯が生え揃っている。そして、右手にはこれまたでかい棍棒を持っていた。


 ヒトナリは呑気に絵本に出てくるような鬼だなと思った。

 正しい判断が出来たならばすぐに逃げるべきだが、脳みそがショートしていた。

 だが、鬼の瞳がぐるりと周り下にいたヒトナリと眼があった時、脳みそがフル回転し、自分は命の危機に瀕しているのだと理解した。


「っ……!」


 このままではいけない。

 唇を噛むことで、恐怖で固まった身体を再起動させた。

 そして、震える足に喝をいれて全力で逃げ出した。


「黒部さん、手を!」

「うむ!」


 ヒトナリはユカに手を差し出し、しっかりと握られた事を確認すると、林の中へと逃げ込んだ。

 道すらない木々の間を駆け抜ける。

 不思議と体力の限界はやってこない。

 しかし、走る二人の後ろからは地響きと共に、おどろおどろしい声が迫ってきている。


「くそっ……! 引き剥がせない!」

「おお! まさか鬼に追いかけられる日が来ようとは! オカルト冥利に尽きるね!」

「そんなこと言ってる場合じゃないから!」


 命の危機に晒されてるというのに、ユカはとても楽しそうだ。

 満面の笑みで、ヒトナリの手を握っている。

 彼女の手はとても暖かい。たが、ヒトナリにはそれがとても恐ろしい。

 もし鬼に追いつかれれば、手の温もりは失われてしまうからだ。


 ヒトナリは必死に走る。

 彼女を失うなんて、二度とごめんだ。

 足にさらに力をこめて、速度を上げた。

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