第4話 黒部ユカ

シーン4

学校へ登校する。学生時代はそれが当たり前で、それも少しばかり億劫であったことが、今はとても懐かしく、通学路が輝いて見えていた。

 しかし、通学路にはまだ学生の姿はなく、とても静かな道をヒトナリは進んでゆく。それはヒトナリが黒部ユカに接点を持つために、とても早い時間に出たためだった。

 自分の記憶が正しければ黒部ユカは朝の早い時間に登校し、教室の中でぽつんと自分の席で本を読んでいた筈なのだ。それも行方不明になる日まで、欠かさず毎日。


 ヒトナリが知る黒部ユカとは、そういう人物なのだ。記憶の中に残っているのは、物静かな姿ので誰かと喋っている所など見た事がなかった。だからこそ、クラスの中に黒部ユカしかいない時間帯を狙って、話しかけようと思ったのだ。

 他のクラスメイトがいると、落ち着いて話す事が出来ないだろうから。


 そんな事を考えているうちに、ヒトナリは学校の正門を通り過ぎ、教室の前へとたどり着いていた。

 少しばかり緊張しているのか、正門をくぐったあたりから、心臓の音がうるさい。

 この先には黒部ユカがいる。タイムスリップする前に会った、黒部ユカの幽霊ではなく、生きている本人がいるのだ。

 ヒトナリは唾を飲み込みながら、教室のドアに手をかけた。


「いた……」


 ずらりと並んだ机。その1番後ろの席の窓側。

 そこに黒部ユカはいた。

 ヒトナリの記憶の通りに、静かに本を読んでいる。そんな彼女のいる机に向かって歩き出す。

 心臓の鼓動が速くなる。もう飛び出てしまうのではないかと思うくらいの激しさだった。


「おはよう。黒部さん……」

「ん……? 君は……」


 ヒトナリはカラカラになった喉の奥から、どうにか声を絞り出して挨拶をした。

 黒部ユカは反応を返してくれたが、どこか怪訝そうな顔を向けてくる。

 そして、読んでいた本を傍に置くと、長く分厚い前髪を両手でかき分けてヒトナリの顔をじっと見つめてきた。


「あっ! 倉井ヒトナリくんだね。おはよう、君がわたしに挨拶なんて珍しい事もあるものだ」

「そんなに珍しい事?」

「そうさ。珍しさを通り越して、奇想天外さ。だって、わたしはこの学校に入ってから、今日という日まで、君と一言も言葉を交わした事がなかったのだからね」

「……」


 たしかにそうだ。ヒトナリは入学してから、同じクラスになってからも黒部ユカという人物と接点を持つ事をしなかった。

 だからこそ、彼女はヒトナリに対して怪訝な表情を向けてきているのだろう。


「でも、嬉しいよ。君もそうだが、他のクラスメイトにも話しかけられる事はなかったからね。それに、君に話しかけられた事で、ある事が達成された」

「あることって?」

「そう、実は――」


 ユカは怪訝そうな表情を一変させて、ニコニコとした満面の笑みを作ると、紙を一枚、懐から取り出してヒトナリに渡してきた。

 そこには住所が書かれ、その下には簡単な地図が載っている。


「この住所は今、わたしが住んでいるところだ。あと、簡単だが地図も書いている」

「え……?」

「驚くのも無理もない。だが、君はわたしに話しかけてきたのだ。こんな本を読んでいるわたしに」


 ヒトナリに思考の時間を与えないように畳み掛けてくる彼女。

 ユカの読んでいる本とは、机の隅に寄せられた分厚く赤い何処か禍々しい模様の本だ。

 その本をユカは手に取って、ヒトナリの顔の前に持ってくる。


「古今東西怪異譚……」

「そう! あからさまに怪しい表紙に、この題名! オカルトに興味のない人間ならまず話しかけてきはしまい。そして、今日! 君はこれを読むわたしに話しかけてきた! という事は、君はオカルトに興味のある人間というわけだ」


 得意げにウンウンと頷く黒部ユカ。

 だが、彼女の推理は大きく違っていた。

 ヒトナリが黒部ユカに話しかけたのは、2ヶ月後に起こる事件を未然に防ぐべく、接点をもち友好関係を気づくためだ。

 それにヒトナリはむしろ、オカルトが苦手というか否定的な考えを持っている。

 しかし、嬉しそうなユカに姿にそれを否定するのはどこか野暮な気がして、口にする事はできなった。


「わたしはね、ヒトナリくん。オカルトが大好きなんだ。でも、オカルトに興味をもつ人は残念ながら少ない……。そこで、誰でもいい。オカルトの話が出来る同士を見つけたくて、ここで本を読んでいたのだよ」

「黒部さんが本を読んでいた理由は分かった。でも、それが僕に黒部さんの住所を渡す理由にはならないと思うんだけど?」

「うむ、そうだね。それは――」


 ユカがその理由を告げようとした時、カラカラと音がして教室のドアが開いた。

 そこからぞろぞろとクラスメイトが教室に入ってくる。それによって、今まで静かだった室内が急に騒がしくなり始めた。

 ユカは言いかけた事を止めて、何やら考えるように首を傾げた。


「――まぁ、詳しい事は放課後に話そうじゃないか。とりあえず、その住所に来てくれたまえ。いつまでも待っているよ、ヒトナリくん」

「分かったよ。じゃあ、放課後に」

「うん、また」


 ユカが小さく手を振るので、それに応えてヒトナリは席についた。

 もう自分が学生時代、どこの席に座っていたのかなど忘れていたが、親切な事にこの学校は机の隅に小さく名前のシールが貼ってあるのだ。

 ヒトナリは安心して、鞄の中のものを机への中へと入れてゆく。


 時は流れ、放課後。

 学生の頃は遅い時間の流れにやきもきしたものだが、改めて過ごしてみると、あっという間だった。

 授業を退屈に感じなかったのも大きいだろう。それに久しぶりに食べる給食はとても美味しかった。この為に毎日学校に来ようと思えるほどだ。


 ヒトナリは今日の給食のメニューの一つであったフルーツポンチを思い出しながら、帰り支度をする。

 その時だった。自分の席の後ろから、男子の話し声が聞こえてきたのは。


「へぇー。それって、本当の話なのか?」

「そうじゃないか。部活の後輩が肝試しに行って、実際に見たって話だし」

「でも、お前が実際に見たわけじゃないだろう」

「たしかにそうだけどさ。鬼を見たってすぐ分かるような嘘を、あいつらがつくようには思えないんだよなぁ」


 鬼……。

 鬼というのは日本の昔話に出てくる有名な怪異。それくらいは、オカルトに疎いヒトナリでもすぐに分かった。

 男子たちは、その鬼を見たという後輩の話をしているようだ。

 ヒトナリは馬鹿馬鹿しいと思ったが、自分の今の状況も充分におかしいかったと思い出し、一概には否定できないと思い直す。


 そういえば、ヒトナリは黒部ユカの自宅へと放課後来るように言われている。

 これは会話のネタになるかもしれない。しかし、この男子たちの会話をユカが聞いていたら意味がないなと思いユカの席を見ると、そこに彼女の姿はなかった。すでに下校したらしい。


 招待を受けているのにあまり遅れるのも失礼かと、ヒトナリも急いで帰り支度をして、下校した。

 

 


 

 

 


 

 

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