第3話 タイムスリップ……

シーン3

ガタンッ。


「――痛いッ!!」


 ヒトナリは背中に激しい痛みを感じて目を覚ました。すぐに引いてくれるような生優しいものではなかっため、その場を転げ回りながら痛みに耐える。

 しばらくして痛みが引いてくると、その場で大の字になって、身体の力を抜いた。

 そして、ようやく目を開けた。


「え……?」


 ここで声が出せた事をヒトナリは自分で褒めてやりたかった。目が覚めたらどこかも分からない場所にいて、パニックにならず、冷静でいられたのだから。

 ……いや、訂正しよう。見覚えはある。

 だが、ここは――。

 ヒトナリはぐっと両腕に力を込めて、今の状況を把握する為に、起き上がって周りに目を向けた。


「……嘘だろう。 こんな事あるはずがない」


 驚愕のあまり思った事が口にそのまま出てしまった。

 正面には勉強机と姿見、右隣には少し古いベッド、左隣には二段の本棚に漫画と小説がずらりと並んだ部屋。

 ヒトナリはこの部屋をよく知っていた。しかし、よく知っていたからこそ、今の状況の異常さに気付いたのだ。


「なんで、子どもの頃過ごした私の部屋にいるんだ……。あり得ない、ここはもうずっと前になくなった筈なのに」


 あるはずのない光景に、ヒトナリは頭を抱えた。

 その時、あることに気付いた。頭に感じた手のひらの感触が小さいことに。

 ヒトナリは恐る恐る、目の前に自分の手を持ってくる。


「ウソだ……」


 そこにあったのは、歳をとって血管が浮かび上がりシワが増えたものではない、血色が良く細胞にハリがあり、その下に微かに血管が見える健康的な手だった。

 ヒトナリはそれを目の当たりにして、ある推測に思い当たる。だが、そんな事はあり得ない。あり得るはずがないと、ふらりと立ち上がって机の横に立て掛けてある姿見の前へと立った。

 そこには以前とは違う自分がいた。


「……白髪のひとつもないくしゃくしゃの黒髪。眼鏡なしでもはっきりと見える目。シワひとつないハリのある肌。……間違いない、若返っている……」


 だが、今ひとつ納得の出来ないヒトナリはこれが夢が現実かを確かめる為に、右手に力を入れて思いっきり自分にビンタをした。


「……ッ!!」


 激しい痛みが顔を走り、これは現実だと確信した。

 あまりの痛さに目から涙が一筋、流れ落ちる。しかし、これくらいしなければ納得が出来なかったのだ。

 タイムスリップなどただの絵空事で、起こりうるはずがないのだから。


 たが、この痛みで目が覚めないならば、ここは現実で間違いない。


 ヒトナリはとりあえず落ち着くため姿見から離れ、ベッドの上に上がり、胡座をかく。

 その時に壁に掛けかけてあるカレンダーとデジタル時計を確認した。どうやら今日は6月の月曜日で、今は朝の6時という事が分かった。だが、分かった所でどうすればいいというのか。

 ヒトナリは自分の手を目の前に持ってきて、じっと見つめる。若返ったのいい、タイムスリップも未だ頭の中は混乱しているが、じきに落ち着いて受け入れられることだろう。しかし、自分をタイムスリップさせた目的が見えてこない。


「……彼女が消える前に救い出せってことなんだろうが。しかし、それにしては時期がおかしい。たしか彼女が消えたのは8月の中旬だったはずだ。救い出すにしても、中途半端なような……。いや、時間に猶予があるにこしたことはないが、あの場面で彼女を止める事が一番じゃないのか……?」


 あの時、ヒトナリが告白の答えを先延ばしにしたその後に黒部ユカは姿を消した。それならば、その時に彼女を引き留めれば解決するのではないか。ヒトナリはずっとそう考えてきた。

 だが、タイムスリップしたのは2ヶ月も前の6月。


「もしかして、それだけじゃ彼女を救う事はできないということか? いや、しかし……たまたまこの時期にタイムスリップした可能性も捨てきれない……。あぁ! ダメだ! 目的は分かるが、詳しい事が不明すぎる!」


 突如としてヒトナリの前に現れた黒部ユカ。彼女はヒトナリがタイムスリップする前、泣いていた。

 それだけ辛い事が行方不明になっている間に、彼女の身に降りかかったのだろう。そして、ヒトナリに助けを求める為に現れたのではないだろうか。

 自分を救ってもらうために。

 これはヒトナリの想像でしかないが、少なくともタイムスリップしたのはとんでもないチャンスだ。

 彼女を行方不明になる前に助ける事ができる可能性があるのだから。


「ーーよし。なら、やる事は決まってる」


 目標は彼女を救う事。だが、その過程に至るまでにはやらなければいけない事がある。


「まずは、黒部ユカと友好関係を築くとこから始めないと。告白してくれるまで、彼女と私は一言も喋った事がなかったからな……」


 当時のヒトナリは人と接する事を極端に嫌っていた。特に誰かと接点を持ち、友情や愛情を育むのが怖かった。

 そのせいで、当時のヒトナリには友人と呼べるような人物は皆無で、学校の中で口を開くことなど滅多になかった。


 だが、黒部ユカが消え彼女を探してゆく中、様々な人物と関わる事でヒトナリは少しずつではあるが、変わっていったのだ。


「……よし。気合を入れろよ、倉井ヒトナリ」


 今から震えている体を必死に抑えて、ベッドから降りた、その時だった。


「ん……?」

 

 自室のドアの隙間から食欲をそそるいい匂いが入ってきてる事に気が付いた。そして聞こえる、まな板の上で何かを切る包丁の音。


 (そうか。タイムスリップしたなら、あの人もまだ生きている)


 ヒトナリはドアを開け、廊下を進みキッチンへとゆっくりと足をすすめる。

 その先にいたのは、細いシルエットの女性だった。

 青いエプロンをつけて、朝ごはんを作っている。

 茶色に染めた長い髪は、料理の邪魔にならないように頭の上で束ねられていた。


 女性は後ろにいるヒトナリに気づいた様子もなく、鼻歌を歌いながら楽しそうに料理をしていた。

 そんな女性の姿を見て、さまざまな感情が押し寄せてくるが、それを必死に抑えてヒトナリは口を開いた。


「……おはよう、ございます。」


 とても小さな声だ。だが、女性はヒトナリのいる方へと振り向いて、少し驚いた顔をした後、にっこりと微笑んだ。


「おはよう。なんだ、ヒトナリくんから挨拶してくるなんて珍しいこともあるんだね。ささっ、もうすぐ朝ご飯ができるんだから、早く座りなよ」


 ヒトナリは女性の言葉に従って、スタスタとテーブルの椅子を引くと、そこに座った。

 ヒトナリはいまいち現実感のない光景だと、女性の顔をじっと見てしまっていた。


「……ん? どうしたんだ、私の顔なんか見て。なんかついてる?」

「あッ……、いえ。なんでもありません……」

「そう? なら、いいんだけど」


 女性は特に気にした様子もなく、料理を続ける。

 その光景がとても懐かしくて、そして温かくて溢れ出しそうになる感情を押さえつけるのに精一杯だった。


 名前は倉井トモコ。すらりとした体型で、茶色く染めた髪を頭の上で結んだ女性。どこにでもいる平凡な女性ではあるが、一つ特徴があるとすれば右眼の下に一つホクロがあるくらいだ。

 そして、天涯孤独になったヒトナリを引き取ってくれた人である。親類ではあるが、とても遠い親戚だったとヒトナリは記憶していた。


 そんな事を思い出しながら、目の前に出された料理に手を合わせた。


「いただきます」

「はい、どうぞ!」


 トモコは配膳した後、ヒトナリの前に座って食べる様子をニコニコとしながら見ていた。

 あぁ……、昔は叔母の顔も満足に見る事も出来なくて気付く事はできなかったが、こんな笑顔で朝ごはんを食べる自分を見ていたのか。

 ヒトナリは少し恥ずかしい気持ちになりながら、黙々と食べてゆく。


「……ごちそうさまでした」

「お粗末さまでした!」


 ずっと見つめられながら食べる朝食は少しばかり食べずらいものがあったが、どうにか食べ終わりヒトナリは食器を片付けるために席を立つ。

 朝早くに起きてご飯を作ってくれたのだから、洗うくらいはしなければと思ったのだ。しかし、そんなヒトナリをトモコは慌てて止めた。


「ちょ、ちょっと! 後は私がやるからヒトナリ君は学校へ行く準備をしなよ」

「いえ、これくらいはさせて下さい。私のために朝早くに起きてご飯を作ってくれて、さらには片付けまでしてもらうわけには……」

「えー、そりゃあ嬉しいけど私が好きでやってる事だし。それにヒトナリ君、大丈夫なの? 無理してない?」

「大丈夫ですよ。無理なんかは――」


 トモコのヒトナリを心配する声に、平気だと答えようとしたのだが、そこで気付く事があった。

 学生の頃、両親が自殺した自分をトモコは何かと気にかけてくれて、周りのあらゆる事をやってくれていた事を。

 ヒトナリはそれに無自覚に甘えてしまい、色々と苦労をかけてしまったのだ。


 では、タイムスリップした自分はトモコにまた甘えるべきなのか。それは、違うだろう。

 トモコには大きな恩がある。そして、伝えきれない感謝があった。だから、皿洗いなどちょっとした事で少しずつ恩返しがしていきたいのだ。

 

 大人になってトモコの愛がどれほど深かったか、自分がとても愛されていたことに気付いた時には、もう手遅れだったのだから。


「無理なんてしてないですよ。それに皿洗いぐらいさせて下さい。まだ登校までは時間がありますから……」

「本当に? ……なら、お願いしようかな」

「ええ、任せてください」


 ヒトナリは自信たっぷりに頷いて、皿洗いを素早く済ませた。


「――よし」

 

 その後、自室で登校までの準備をしようと思ったのだが、ふとトモコの事が気になってリビングのドアの前で立ち止まった。

 トモコは座りながら、カーテンの隙間から見える外の景色をボーッと見つめている。

 そんな彼女の指を見れば、何個か絆創膏が貼られておりそれが料理の時にした怪我なのだと簡単に想像できた。


「トモコさん」

「ん、どうしたの?」

「……いつもありがとうございます。私はトモコさんと一緒にいられてとても幸せです」

「へ……? きゅ、急にどうしたのさ! 突然の嬉しい言葉にお姉さんパニックだよ!?」


 ヒトナリの言葉に慌てふためくトモコに、ちょっとおかしくなってクスッと笑ってしまう。

 でも、どうしても伝えたかったのだ。本当に最後の最後にしか伝えられなかった感謝の言葉を。

 だって、このタイムスリップが永遠なのか、それとも一時的なのものであり、問題が解決すれば元の時代に帰ってしまうものなのかまだ分からないのだから。


「いえ、いつもお世話になってるのにお礼の一言も言ってなかったと思いまして……。迷惑でしたか……?」

「迷惑なんてとんでもない! すごく嬉しいよ! その言葉でこれからのお仕事も頑張れそうなくらい!」

「そうですか、それは良かったです。では、そろそろ学校に行く準備をしなければならないので」

「うん! 学校、頑張ってね」


 ヒトナリはトモコのその言葉に大きく頷いて、自室に戻る。

 やっと伝えられた感謝の言葉。その事にきっと鏡を見れば自分はニマニマと気持ち悪い笑みを浮かべてるに違いない。

 ちょっとだけ浮き足立ちながら、机の上にある時間割を見ながら今日の準備を開始した。

 

 

 

 

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