第2話 追憶の学校

シーン2

 ゆっくりと瞳を開ける。すると、すぐ横からタバコのどこかツンとする匂いと共に男の声が聞こえた。

 この匂いをヒトナリはよく知っていた。


「お、やっと起きたか。死んだように眠ってやがるから、このまま起きないかと思ったぜ」

「……すみません。運転してもらっている上に、居眠りなんて」

「別にいいってことよ。俺も助手席にいる時は毎回爆睡しちまうからな」


 そう、車のハンドルをにぎりながら笑うのは、ホワイトグレーの髪を後ろへ撫でつけた中年の男。名前を田中コウイチと言い、スーツの上からでも分かる鍛え抜かれ盛り上がった肉体と、鋭い眼光は威圧感があるが、にかっと笑う顔は人懐っこさを感じさせた。


「それに、ちょうどいい時に起きたもんだ。もうすぐ目的地に着くぞ」

「もうすぐ、ですか……」


 その声に、ヒトナリは小さなため息を吐く。

 

「なんだ、嬉しくないのか? お前の青春がつまった場所じゃねえか」

「嬉しさは、もちろんあります。でも、訪れる理由が廃校じゃなかったらですけどね。灰色の青春が詰まった学校といえど、無くなるのは寂しいですから」

「仕方がねえよ。リモート? が進んで学校に登校する意味がなくなったんだ。今じゃ家から出ることなく教育を受けることができちまう。すげえ時代になったもんだ……」


 タバコの煙を吐き出しながら、感情に浸るコウイチ。

 ヒトナリにはあの学校に良い思い出など数えるほどもなく、その少ない思い出も良いものとはいえない。しかし、その思い出が今の自分を形作る重要なピースになっている事はわかっていた。だから、コウイチに自分の出身校が廃校になると聞かされた時、少なからずショックを受けたのだ。


 廃校になるなら、自分へのケジメとして一度見に行きたい。

 その言葉を聞いたコウイチがどうせ暇だからと運転手として一緒に着いてきてくれる事となり、今がある。


「それでお前はどうするんだ? 薄々気付いてたが、もう終いにするつもりなんだろう?」


 コウイチは短くなったタバコを車の灰皿に捨てると、そう尋ねてきた。コウイチの言う、終いにするとはもしかしなくてもアレの事だろうと、頷いた。


「ええ、そのつもりです。黒部ユカが神隠しにあってから、長い時間が流れました。彼女の唯一の家族だった養父母も先月亡くなりましたし、区切りをつけるには丁度いいタイミングだと思うんです。それに私が思いつく限りのことは、全てやり尽くしましたから」


 黒部ユカが消えてしまったあの日から、ヒトナリはずっと一人で探し続けた。告白の返事をうやむやにしてしまった罪悪感もあったのかもしれない。だが、どうしても彼女が消えてしまったことに納得ができなかったのだ。

 プロに任せるのが確実なのだと、ヒトナリも充分わかっている。刑事や探偵、素人のヒトナリよりも何倍も優秀だ。それでも自分の手足で彼女を探したのは、意地もあった。


 しかし、流石に一人で探し続けるなど無理がある。もう駄目だと諦めかけたとき、ヒトナリの前に現れたのが隣にいる田中コウイチだった。彼は刑事でヒトナリと同じくあの事件を追っていた。それもたった一人で。

 そんな彼とヒトナリは驚くほど馬があい、すぐ意気投合した。そして、今に至るまであの事件を二人三脚で追っていた。


「たしかに、もう手詰まりとしか言いようがねえな。むしろ手がかりがほとんど無い状態で、充分すぎるほどの手は尽くしたと思うぜ」

「彼女は本当に突然世界から存在ごと消えたみたいに、いなくなりましたからね」

「そうだな。むしろそれが奇妙で気色悪い部分ではあるんだが……。ここまで来るとオカルトにしか思えねえ。世間で神隠しって呼ばれてるのも分かる気がするぜ」


 ヒトナリはコウイチの言葉に頷いた。

 手がかりが一つもない……、それは彼女の事件が神隠しと言われる所以でもある。なんでも、ある界隈ではこの事件はとても有名であり、神隠しと検索するとこの事件がトップに出てくるのだ。

 そのホームページでは近代最大のオカルト事件だの好きなように書かれ、それを閲覧したヒトナリはひどく不快な気持ちになった事を覚えている。


 それを思い出して生まれた苛立ちを紛らわすため外を眺めていると、ある民家の壁が目に入った。

 気になったのは壁というよりも、そこに貼られたポスターだった。


「ん? あぁ、アレか。俺は政治はさっぱりなんだが、最近勢いが凄い政党らしいぞ。たしか名前は――」

「日本神党……でしたっけ?」

「おお! それだ、それ! ニュースでよく聞くから嫌でも耳に入ってきやがる」


 ヒトナリがボソリといった言葉に、コウイチが大きく頷いた。

 

「たしかにあの政党の名前を聞かない日はないかもしれませんね。何かと話題にでるところですし……」

「胡散臭い割に、言うことは至極真っ当だからな。それに日本神話を現代に再現する?だったか。それを大真面目に言うもんだから、面白えんだろう」

「それにポスターがすごく派手なので、目を引くんですよね」

「そうそう、つい目についちまう」


 ピンクがポスターの大部分に使われ、縁は虹色で飾られている。アレでは視界に入ると、ついつい目で追ってしまうし、見てしまった人の印象に強く残るだろう。だが、選挙ポスターには、何か決まりとかがあった気がするのだが、大丈夫なのだろうかとヒトナリは首を捻る。


 そんな事を考えている間にも、車はどんどん進んでゆく。

 これまでは新築の家が時たま視界に入っていたのが、学校が近くなるにつれて古い民家やアパートが増えてくる。

 ヒトナリが学校へ通っていた頃と変わらない景色に、自分はタイムスリップしたのではないかと錯覚した。だが、ふと目に入る通行人が手に持っている携帯端末で現実に引き戻される。たとえ、景色が変わっていなくても、たしかに時間は経過しているんだと。


「お、見えてきたな」


 コウイチの言葉通り、そこには老朽化が進んだヒトナリの母校が鎮座していた。

 車の中からでもわかる大きなヒビが所々に入っており、校舎正面にある巨大な時計は動く気配もなく、夕刻になり茜色に染まった空も相まって何処か不気味な雰囲気を醸し出している。

 その学校に向かって車を進め、開けられた正門をくぐり、校内へと入る。

 コウイチは車を校庭の隅に停めると、エンジンを切った。


「よし。着いたぞ」

「運転、ありがとうございました」

「なに、部署が移動してから暇だったからな。気にすることはねえさ。それよりも少しばかり約束の時間が過ぎちまったからな。早く中に入ろうぜ」

「ええ、行きましょう」


 下駄箱の奥にある事務所で手続きを済ませ、何十年ぶりかになる校舎へと入る。少しだけ手が加えられたようで、ヒトナリが通っていた時と違う所がちらほらとあるが、大まかな所は変わっておらず、当時のままだった。

 だから、かもしれない。

 あんな幻を見てしまったのは……。


「嘘だ……」


 コウイチと二人で、当時通っていた教室へ向かう途中、廊下の奥にひとりの女子生徒が現れたのだ。

 その女子生徒は長い前髪で目元を隠し、片口で切り揃えた黒髪を風で揺らしている。そして、にっこりと笑ってこちらへ手招きをしていた。

 間違いない。学生の頃から探し続けていた、彼女の姿だった。

 ヒトナリが突然のことに唖然としている間も、彼女は手招きを続けている。


「どうした?」

「コ、コウイチさん。あ、あれ……!」


 ヒトナリが彼女が立っているところを指差し、その存在を伝えようとしたのだが、コウイチは首を捻った。


「あれって、何にもないぞ?」


 コウイチに自分をからかっている様子はなかった。つまり本当に彼には見えていないのだ、彼女の姿が。

 だとしたら、ヒトナリが見ているのは何なのか。この年までオカルトを否定してきた自分が幽霊でも見ているとでもいうのか。そして、幽霊だとしたら彼女はもうこの世には……。


 そんな考えが頭の中をぐるぐると回る中、手招きしていた彼女は突如その動きをやめ、そしてゆっくりと背中を向けて歩き出した。


「あ……」


 あれは幻だ。それは痛いほどわかっている。幽霊など人間がみる幻覚であり、そこには存在しないもの。

 しかし、ヒトナリの足は彼女が進む方向へと踏み出していた。

 彼女の歩く速さはどんどん早くなっていき、ヒトナリもそれに合わせて早足になってゆく。

 その様子にコウイチが慌てた様子で声をかけた。


「お、おい! 懐かしいのは分かるが、そんな早足だと初めてきた俺が迷っちまうだろうが! 待てって……!」


 遂にはコウイチをも振り切って、ヒトナリは早足で……いや、もはや走っているといってもいい速度で、彼女を追いかけ始めた。

 ヒトナリ本人でさえ、なぜ自分がこんな行動に出てしまっているのか不可解極まりない。あんなものまぼろし意外の何者でもないはずなのに。しかし、未だ足が止まることはなく、彼女に追いつくため、全力で突き進んでゆく。不思議なことにもう中年と言っていいはずのヒトナリの息が切れることはなく、むしろ若返ったかのように身体が軽かった。


「はぁ……、はぁ……」

 

 そして、ヒトナリがたどり着いたのは校舎裏。当時は土が剥き出しだったのに、今では雑草が元気よく地べたを埋め尽くしていた。

 ここへ来て、自分がどれほど馬鹿らしい行動に出てしまったのかと痛感した。久しぶりの全力疾走で足がガクガクと震えてるのもあるが、この学校へ連れてきてくれたコウイチを置き去りにしてしまった事に今になって気付いたのだ。


 振り返ってもやはりそこにコウイチの姿はない。きっと後でぐちぐち言われてしまうだろうが、置き去りにしたヒトナリが悪いので、何もいえない。

 そのことに小さくため息を吐くとともに、正面に目線を戻せば、そこには当時と変わらない姿の彼女、黒部ユカがニコニコと笑いながら立っている。


「君は、何者なんだ……?」

「……」


 ヒトナリの問いかけに、ユカは答えず笑ったまま先程と全く同じ動作で手招きを始めた。


「そっちへ行けばいいのか……?」

 

 彼女が本当にユカなのか、それとも幻なのか。それを確かめる為だと自分を納得させて、慎重に近づいてゆく。

 そして、彼女との距離が1メートルほどになったとき、朧げだった彼女の表情をはっきりと知ることができた。


 ――彼女は泣いていた。


 とびきりの笑顔だと思っていたものは引き攣った歪な笑みで、前髪で隠れたら瞳から涙がとめどなく溢れ出していたのだ。


「君は――」

「……くん」

「え?」

「ヒトナリくん」


 彼女は震える唇からヒトナリの名前を呼んだ。そして、手招きをやめて右手を差し出してくる。

 ヒトナリは迷った。この得体の知れない存在に触れて良いのか。だが、ヒトナリはその迷いを一瞬の内に振り払う。自分が迷ってしまった事で、勇気を出して告白してくれたユカに答えを伝えることが出来なかった。ならば、ここで迷うことなどできない。


 あれから数十年立った今も自分は後悔し続けている。

 ならば、これからは後悔のしない選択と行動を。

 ヒトナリはぐっと唇に力を入れて、彼女が差し出した右手をがっちりを掴んだ。

 酷く冷たい手だ……。そのことに驚いて顔を上げると、そこに彼女はいなかった。


「え!?――と、なんだこれは……?」

 

 代わりにヒトナリの手に残っていたのは一冊のノートだった。

 消えた黒部ユカに、ノート。狸にでも化かされたかと本気で思ったが、先ほどの彼女の表情が嫌に脳にこびり付いて離れない。

 そして、意味深く手元に残ったこのノートは何なのだろうか。

 それに、彼女は本当に黒部ユカだったのか。

 第一にもし仮に本人、つまりは黒部ユカだとして当時の姿のままで、それも突然消えるという人ではあり得ない現象を引き起こした彼女は、何者なのか。

 次々と噴き上がってくる疑問に、冷静さを取り戻していく中、やはり気になるのはあの悲しげな表情と共に手に握られていたノートだった。


 なんて事ない普通のノート。色はピンクで、まだ新品なのか傷ひとつなく艶やかな光沢を放っている。一度も使われた事のないのかと首を捻るが、その中に黄色い付箋が一枚貼ってあるページを見つけた。


「……よし」

 

 ヒトナリはほんの少し震える手で、そのページをゆっくりと開いてゆく。もっと慎重になった方がいいとはヒトナリも分かってはいたが、あの黒部ユカが消えて現れたノートだ。もしかしたら、とても重要な手がかりなのではと我慢が出来なかったのだ。


 ……しかし、ページを開いてみれば――なんて事ない白紙のページがあるだけだった。

 

 汚れひとつないとても綺麗なページ。

 ヒトナリの期待した黒部ユカに繋がる手がかりなどひとつも存在しなかった。

 彼女を探す中で何度も体験した落胆だが、今日ほど落差が酷かった事はないと、ヒトナリは乾いた笑いを漏らす。

 そして、ヒトナリがそのページを閉じようとした時だった。

 強烈な光がそのページから溢れ出し、ヒトナリを視界を覆い尽くした。

 その光に驚いて、思わずノートを手から落としてしまう。


「ま、眩しい……!」


 その光は収まる気配を見せず、むしろどんどん強くなってゆく。

 目を閉じているのに、それを貫通するほどの眩しさ。ヒトナリの意識は光が強くなっていくにつれて、薄くなってゆく……。


「――ヒトナリ!!」


 そんな時、聞こえてきたのはコウイチの焦った叫び声だった。

 ザッザッと激しく土を蹴り上げて、こちらへ走ってきているのが分かる。

 だが、コウイチの声にヒトナリは答える事が出来ない。

 そして、ヒトナリが意識を手放しそうになった時、恐らくコウイチの手であろう、ゴツゴツとした硬い手が肩に触れた。


 ――それを最後にヒトナリは意識は暗い底へ沈んだ。


 


 


 

 

 

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