黄金と少女とタイムスリップ
独身紳士
第1話 その瞳
シーン1
白昼夢というものを、ご存じだろうか。
これは現実ではなく、夢なのだと自分ではっきりと自覚できる夢のことだ。
どうやらその夢の中に自分は迷い込んでしまったらしい。なぜそんな事が分かるのか。それはこの夢は何度も見てきたものであり、目線の先にいる夢の住人が現実の世界では二度と見ることの叶わない綺麗な瞳で、自分を見ていたからだった。
あの日と変わらない中学2年生の姿。そして、忘れることなどできない印象的な太陽のように熱い瞳。しっとりとした黒髪は肩の長さで切り揃えられ、時折吹く風で靡いている。
体型は今にも折れてしまいそうな弱々しい印象を受けるのに、瞳だけは猛烈に輝いていた。
そんな女の子が、ヒトナリの前に立ってこちらを真っ直ぐに見つめている。逃れる事はを許されないとばかりに、とても強く。今の自分なら耐えられるが、当時はその真っ直ぐな瞳に怯えてしまって目を合わせられなかった。
もし可能ならその瞳をずっと見続けていたい。しかし、これは追憶の旅だ。すでに終わってしまった出来事であり、しかも夢の中でさえ自由に体を動かす事はできないため、ただこれから起こる事を俯瞰するしかできないのだ。
その事に歯痒さを感じていると、夢の中の彼女はその桃色の唇から言葉を紡ぎ出した。
「あなたのことが、ずっと好きでした」
綺麗な声だ。あれから何十年と経っているのに夢の中では、はっきりとヒトナリの耳へ届く。
もう一度、聞くことができたらと何度も何度も思っていた声が、頭の中に響く。
嬉しかった。彼女にその気持ちを今すぐにでも伝えたかった。でも、それが叶う事はない。当時のヒトナリが彼女に向かって口を開く。
「ごめん。考えさせてほしい」
彼女に向かって、深く頭を下げる。その目線の先にある自分の足は小刻みに震えていた。
理由はわかっている。彼女から向けられた好意が、とてつもなく怖かったのだ。今だったら素直に受けいられる彼女の好意も、当時の自分には恐ろしいのでしかなかった。
「……分かりました。また明日、この校舎裏で待ってますね」
「うん」
顔を上げた先の彼女はにっこり笑って、去ってゆく。
この夢の意地悪な所は、ここに至るまで指先ひとつ動かせなかったのに、ここで初めて右手だけ動かせるようになる事だ。
後ろ姿を見せる彼女に意識を向け、右手を伸ばす。
この夢を見るたびにやってきた、無駄だと分かっていてもやめられない、ヒトナリの過去の後悔からの行動。
ここで彼女を呼び止めなければいけない。
だが、これは夢だ。幻想なのだ。
たとえここで動けたとしても、過去を変える事などできやしない。
ヒトナリの視界はぼやけ、現実へと戻り始める。
毎度見る夢の最後は、彼女の後ろ姿を見つめ続けて終わるのだ。
いつもこうだ。夢の中でさえ、倉井ヒトナリという人間は情けなく惨めなままだ。
そう思い伸ばした右手を下げた時、ピタリと目線の先にいる彼女が立ち止まった。いつもは彼女が立ち止まる事はなく視界から消えたところで、夢が終わるはずなのに。記憶の中でも、そうだったはずだ。だが、彼女は立ち止まっている。
ヒトナリが突然のことに固まっていると、彼女が振り返り口を開く。
「お返事、いつまでも待ってますから。必ずきて下さいね」
その言葉を聞いたと同時に、ヒトナリの意識は真っ暗闇へと落ちてゆく。
どうして、なぜ今になってそんな言葉をヒトナリに向かって投げかけて来たのか。もう彼女にその返事を返すことも出来ないというのに。
ヒトナリの記憶では。
彼女、黒部ユカは次の日、校舎裏に現れることはなかった。そもそも学校に登校すらしていなかった。
次の日も、そのまた次の日も……。
以後、彼女がヒトナリの前に姿を見せる事はなかった。
その後、黒部ユカが行方不明になったと知ったのは、彼女が姿を消してしばらくした地方のニュース番組でのことだった。
それから学校中はその事で持ちきり。しかし、時が経つと彼女の存在などなかったように、ぴったりと話題に出なくなった。人は自分と深く関わりのないのものだと、時間と共に忘れていってしまう。だが、ヒトナリだけはずっと忘れる事ができなかった……。
あれから数十年。
ヒトナリは長い時間が経過した今でも、黒部ユカの事を探し続けている。
たとえそれが無駄だとしても、どうしても止めることなどできなかった。
それがあの時、しっかりと答えを伝えなかった自分への償いでもあるからだった。
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