第8話 不倫
お互いにずっと一緒にいると二人は本当に似てきたようだ。男の方が女に近づいてきたかのように表面上は見えるが、実際には、お互いに、それぞれで近寄っている。
二人の優劣は明らかに男の方が上に見えた。男が上というよりも、女の方が下だと言った方が分かりやすい。だが実際には男も他の男性に負けないほどの能力を備えていたのは間違いないようだ。
少なくとも、ひなたを夢中にさせるだけの何かがあったはずだ。最初の頃のひなたは、譲二に対して、あまりいいイメージを持っていたわけではなかった。明らかに年下で、
「付き合うなら、年下がいいな」
と思ったのも、高校時代の先生との一件があったからだ、
先生に対して、自分から誘惑したくせに、先生と別れてしまうと、そんな自分の行動をすっかり消し去ってしまっていた。それは、単純に時間が経ったというだけのことで、時間の経過というものが自分にもたらす力の偉大さを、思い知らされた気がしていた。
それでも、自分でも知らない間に、年上の男性に対して、何かトラウマのようなものができていたのか。それとも、出会った年下の譲二が、あまりにも年下の印象が強すぎて、最初から筋書きがあったのではないかと思うほどだったのだ。
頭の中では、すでに先生の記憶は希薄になっていた。もし、今先生と街ですれ違ったとしても、気付かないと思うレベルである。
ひなたは、人の顔を覚えるのが苦手ではあるが、人の顔を忘れることに対しては、そこまで他の人と差異はないと思っていた。しかし、先生の顔がまるでのっぺれぼうのような気持ち悪さでしか覚えていないことで、人の顔をすぐに忘れてしまうようになってしまった。
これは先生の影響が大きいのは明らかで、高校時代は先生に溺れていたのは確かであるし、自分から誘惑したというのもあったが、付き合っている間は、
「本当に私は、この人のことを好きなのだろうか?
と思っていた。
その理由の一つに、
「先生と付き合っている以上、卒業するまで、誰にも知られてはいけないんだ」
という思いがあった。
付き合っていることをまわりに自慢することが、男女交際の醍醐味であり、まわりに自分たちのことを嫉妬してもらうことで、優越感に浸りたいと思っているのが、ひなたの恋愛論だったはずなのに、相手が先生であれば、付き合っていることを公開するわけにはいかない。
下手をすると、退学になりかねないし、先生はクビになってしまうだろう。
それに近いことになったわけだが、付き合っている時は、そのことを無性に恐れた。しかし、まわりに公表できないという思いをどうすることもできず、まわりへの自慢はできないが、密かに自分の中でまわりに対して、
「どうだ。羨ましいだろう」
と言わんばかりの視線を送っていた。
「最近、ひなたの視線、おかしいんだよね。何かを訴えているような気がするんだけど、人にはいえない何かの秘密があるのかもね」
と、そこまではある程度、まわりは分かっていたようだ。
ただ、まわりからは、
「ひなたに、どこまで度胸があるかだよね」
と思われていたようだ。
ひなたは、どちらかというと小心者だと思われていた。友達と一緒にいても、時々上の空であったり。自分の殻に閉じこもっているように見えることがあった。
それが小心者に見えるのだろうが、実際にはそうであった、
しかし、先生とお付き合いをしている時は。別に小心者だとは思わなかった。もし、そう感じていたとすれば、いくら先生と一度過ちを犯したとしても、それ以上深入りはしなかっただろう。
「ひょっとすると、私って、男に溺れてしまうほどの淫乱なのかしら?」
と真剣に悩んでしまったこともあった。
だが、先生との間がぎこちなくなってくると、その思いも瓦解してきた。お互いに冷めてくると、後は破局は早かったからである。まさか、他の人にバレルとは思わなかったのは、冷めてきた時に、ガードが緩くなってしまったことだった。先生を見ていないつもりでも見てしまっていたり、先生も同じようにひなたを見てしまったりしていたのだ。やはり、ひなたは小心者だったということだろう。
大学に入ってからは、そんな小心者のような自分をなるべく感じないようにしようと思った。自分が感じていると、それ以上にまわりが察知すると思ったからで、
「他人のことは自分の目で直接見ることができるけど、自分のことは、鏡などの媒体を使わないと見ることができない」
という構造理論を頭の中に思い浮かべていた。
そのことがあって、今度は自分から彼氏を作ろうとは思わないようにしようと思った。
もし、自分が、自分で感じているよりも成長できていれば、勝手に男が寄ってくると思ったからだ。
しかし、一つ懸念があったのは、
「ロクでもない男が寄ってきた時、本当に自分がちゃんと、その男を見極められることができるか}
ということだった。
その男が口八丁と寄ってきたとすれば、その言葉に惑わされないほど、自分が信じられるかであるが、今の自分だったら、男が寄ってきたことで、かなり成長したと思い込み、有頂天になって、自分をなるべく否定しないように考えるであろう。
そうなってしまうと、今度は口八丁だけではなく、手八丁まで使われると、簡単に騙されてしまう気がしたのだ。
特に、まずは口だけで相手を油断させるという男性のテクニックもあるらしい。まずは口だけで相手を安心させる。これは、最初から自分に邪な気持ちがないことを示したいという思いと、口八丁でも引っかかるほどの相手であれば、安心させてしまってからは、少々積極的になっても、失敗はないということで、相手に自分の感覚の確信を抱かせることになるということであった。
ひなたは、そのあたりの見極めに対して、まだまだ自信はなかった。元々自分に自信があるわけでもない。小心者だという思いはないくせに、思い切ったことができないのは、自分に自信がないということに気づいていなかったのは、この見極めに自信がなかったからだ。
そんな思いを打ち消してくれたのが、譲二だった。
譲二は、ひなたと似たところがあった。
「俺には、大きなコンプレックスがあるんだ。こんなに子供のようで、しかも、女っぽいところがあるのは、自分で好きでやっているわけでもないのに、まわりは絶対にわざとやっていると思っている感覚があるからなんじゃないかって思うんだ」
と言っていた。
それを聞いたひなたは。
「そうでしょうね。私もあなたがわざとやっているとは思えない。わざとやっていると思われているのは、そう思っている連中は知っているのよ。自分にも似たようなところがあるってね。そして、そんな連中の自分への見方は、たいていが自分の否定から始まると思うのよね。自分を必死になって否定しようとするから、相手の行動は肯定しようとする。だから、あなたのような行動をあざといと思って、決して否定しようとしない。そうすることが自分と他人とを差別化させることなんじゃないかって思うの。あなたは、そんな意識を持ってはいけないの。他人と比較するなんて、あなたには似合わない。あなたには、百年早いのよ」
と、最後は皮肉を込めた言い方をしたが、譲二に伝わっただろうか。
ただでさえ、まわりの目を必要以上に意識しているのに、本当にその考えでいいのだろうか?
譲二に伝わっているかどうかというよりも、今のひなたの言葉が、そもそも本心だったのかどうかから考えてしまった。もし、これが本心からの言葉でなければ、まったくこの話は最初から成立していない。
しかし、ここまで話が通じてくると、成立していない話ではない。成立というのは、
「結論が合っている」
という意味ではなく、
「結論まで話が繋がっている」
という意味で、少し前者よりも、ハードルが低めであった。
譲二の意識は、ひなたに分かっているのかいないのかというよりも、
「もし、譲二さんの気持ちが分かるとすれば、それは私しかいないのではないだろうか?」
とひなたは感じた。
まわりの目を一番気にしていたひなたがいうのだから、それなりに信憑性があるだろう。小心者かどうかというのは、ある意味この際あまり関係がないような気がした。
「コンプレックスというのは自分でそう思っているからコンプレックスなのであって、案外まわりは、それを普通に見ていたりするものだ。むしろコンプレックスを感じてしまったことで、まわりに伝染してしまったとすれば、あっという間に、まわりに充満する可能性を秘めていることになる」
と、言えるのではないだろうか。
この時に直感で、
「結婚するなら、もうこの人しかいない」
と思ったのは、普段、どちらかというと、優柔不断であまりすぐには結論を急がないひなたとすれば、実に異例のことだった。
ただ、ひなたには、買い物をする時の特徴があった、
「高い買い物や、安い買い物をする時に迷うことはないが、中途半端な値段の時に、すぐに迷ってしまう」
というものであった。
値段の安くて、五百円くらいまでのものに迷うことはなく、却って五千円を超えるような高額商品の購入には、そんなに迷わない。
ここでいう、
「迷う、迷わない」
というのは、買うことは決定していて、何を買うのかを迷っているということではなく、
「買う買わない」
ということを迷っているということで、五千円以上のものは、種類は別にして、最初から、必要なものだということが確定しているからだった。
しかし、中途半端な値段のもの、例えば、一人で街にショッピングなどの目的として出かけた時、
「何かを食べよう」
と思って、駅のグルメ街などを徘徊していると、どうにも決めることができなくなってしまう。
「食べようか、どうしようか?」
ということよりも、まずお腹が減ってきていることで、食べるものだということを最初に頭の中に浮かべ、そこから徘徊することになる。
値段的に中途半端だということが頭の中にある。店によって、料理によって値段が違うのは当たり前で、ファストフードのようなものから、高級レストランまで、いろいろである。
確かにファストフードは見た目安いと思われがちだが、ハンバーガ屋みたいなところは、セットで頼んでも五百円を超えるということで、ファストフードにしては高いという意識になり、では、単品でオリジナルのものをと考えると、やはり少し高くなる。それでもオリジナルの方を食べたいと思うのは、好き嫌いを自分で選定できる自由さと、さらにオリジナリティというアマチュアとしてのクリエイターの意識があるからだろう。まずは、頭の中で、ハンバーガー屋はキープすることにある。
では、さらに中途半端な店は?
ということになると、これも、意識としては、マトリョシカ人形のような意識で、迷ってしまうことになる、
では、高級レストランなど、今までの経緯から考えると、最初から意識にないのではないかと思うのだが、考えてみれば、そんなにしょっちゅう、食べ歩くわけではない。
例えば、二週間に一度だったとして、高級レストランで、三千円のものを食べたとしても、日数で割れば、二百円である。毎日、缶コーヒーを一杯分、飲んだことを思えば、それに近い値段になるというものだ。まるで言い訳のような感覚であるが、ひなたの頭が動く構造は、そのようにできているのだった。
それらのものを頭に描き、まず値段の幅から考えるのだが、歩いていて、ショウウインドウのサンプルを見ているうちに、次第にお腹の感覚が満たされてきて、最初に感じた空腹感が、それほどでもなくなってくる。
それなのに、まだ迷っている自分が、不思議な感覚になり、そのまま食事を摂らずに帰ってしまうことも結構あるのだ。
迷っているうちに、心境が変わるのは、食事の時だけではなく、中途半端な値段のものを決める時は、最初に思った欲求が、迷っている時にどんどん低下していくことに、いつの間にか気付いてしまっている。
そこで考えるのが、
「時間の無駄はしたくない」
と思うことで、普通ならさっさと何を買うかを決めようと感じるのだろうが、ひなたの場合は、さっさと購入を諦めてしまう。
もし、そこで割り切らなければ、ずっと迷ってしまっているだろう。要するに、最終的には買わないので、いつどこで割り切ることができるかというのが問題なのだった。中途半端な値段というのは、外食での空腹感から伝染しているものなので、結局迷うことになるのだった。
たとえとしては、おかしなものとなってしまったが、彼との結婚を安易とも言える感覚で、ハッキリと下覚悟を持つこともなく行ったのは、それが高いと思ったのか、安いと思ったのか、自分でもハッキリと分かっていなかった。
むしろ、中途半端な値段のものを買う感覚だったくらいなのに、すぐに判断できたのは、自分の中で、覚悟というか、いや、後から思えば、どこかそれを覚悟だと思うような諦めの気持ちが先に働いていたのかも知れない。
「いずれは誰かと結婚することになるのだから、結婚相手で迷うことをしてしまうと、結局中途半端な相手しか選ぶことはできない」
と、そんな風に考えたのだろう。
それでも、さすがに学生結婚はありえないと思い、少なくとも、譲二が大学を卒業し、就職してから落ち着くまでは、焦ってはいけないと思っていた。
そうなると、おのずと交際期間は長くなる。その間にどちらかが他に好きな人ができたりすると、その時はお互いにどのようになるのか、想像もしていなかった。喧嘩になるかも知れないし、修羅場になるかも知れない。相手に気づかれないように、浮気をするかも知れないなどと、いろいろな想像が頭をもたげていたのだ。
だが、幸いなことにそのようなことはなかった。だが、交際期間が長くなると、自分が想像していたのと少し違った思いがあった。
「交際期間の間、少なくとも、四年近くは結婚までにかかるのだから、お互いに気持ちは変動するものだろう」
と思っていたが、変動することはなかった。
しかし、変動することがなかったというだけで、四年という歳月は、感覚をマヒさせるには十分だった。相手を愛するという感覚が、次第にマヒしていっていることに気づいてはいたが、どうしてもマヒした感覚で考えるので、大好きだった気持ちもそれが本当なのかどうか分からなくなる。
普通なら考えることとすれば、付き合い始めた時の純粋な気持ちであったり、楽しかった時のことを思い浮かべることで、士気の低下を招かないように、気持ちの上でのテンションを保っていこうと考えていたのだろう。
だが、マヒという感覚は、そんな甘いものではなかった。そもそも、自分が感じるであろう痛みを感じないようにするための、無意識の条件反射のようなものなので、その感覚はお互いに持っていて、同じようにマヒしていったことで、結局お互いに別れるという度胸もなく、同じように結婚相手を他に想像することもできなかったので、考えていた頃に計画通りの結婚に至ったということだ。
その間、喧嘩することもなく、相手に何ら不信感を抱くこともなかった。
嫉妬を感じることもなければ、相手のことを無意識に感じているということもなかった。
感覚がマヒしたと言っても、それは、自分の頭の中で、絶えず何かを考えていたからだということであり、恋愛感情が最高潮のカップルであれば、考え事のほとんどは、付き合っている相手のことだったに違いない。
だが、この二人に限っては、結婚というのは、ある程度までは、既成字jつのようなもので、いつ婚姻届けを出すかということが一番だった。
結婚してしまえば、そこから先はやることは決まっていて。新居をどこにするか、あるいは、結婚生活の中で、どのようなルールを決めておくかなどというものであった。
大恋愛の末の結婚であれば、そのような儀式的な考えは嫌だったに違いない。まるで戦前の頃の許嫁などというそんなマヒした考えは、なかなか許せるものでもなかったであろう。
それを許す許さないという考えは、あくまでもそれぞれの考えなので、なかなか夫婦間と言っても分かるものではない。そのことを分かると考えるのが大恋愛の末の夫婦にあることであり、今まで、
「相手が一番だ」
などと感じていたことで、実際に一緒になってみると、まったく想像もしていなかったことから、相性が合わないと思い、すぐに離婚してしまう夫婦もいる。
「成田離婚」
などという言葉が、平成の最初の頃に流行ったが、まさにそのことに結び付いてくるのであろう。
昔のように、家だ、家族だという時代と決別し、大恋愛がまるで美徳のように言われていた時代のその反響が、このような成田離婚などという不名誉な名をいただくような時代になっていたのだろう。
譲二とひなたの結婚は、そんな大恋愛だというわけではない。どちらかというと、まわりから見れば、
「惰性での結婚」
に見えなくもない。
本人たちはそんなつもりはなかったのだろうが、結果的にそう見えてしまったのであれば、本当に惰性だったのかも知れない。
よく、
「結婚するのに、何が決めてだったんですか?」
という質問をされることがあったが、二人は、それに対して明確な答えを用意できるであろうか?
今まで聞かれたことがなかったので、あまり気にもしていなかったが、実際には、訊かれることがあれば、何も答えることができなかっただろう。
そもそもそういうことを聞く人というのは、単純に興味本位の人も多いだろうが、それ以外では、聞くのが男であれば奥さんを、女であれば旦那を、好きだと思っている人が多いのではないだろうか。
そういう意味で、誰も聞くとがなかったのは、誰も二人の結婚には興味がなく、それぞれの相手を好きだと思うこともなかったということである。まわりにとって二人の結婚は興味もなければ、嫉妬の対象でもないという、ある意味、どうでもいいと思われている結婚だったのだ。
下手をすれば、結婚したことを公表していたのに、後から、
「結婚していたんですか? 知らなかったです」
と言われてしまうほどだったことだろう。
実際に結婚生活というのは、実につまらないものだった。交際期間が長かったことで、ほとんど惰性の結婚だったと言っても過言ではない。逆に、結婚してからも、交際期間の延長であり、ただ、一緒に暮らし始めたというだけのことだった。
お互いの性格はよく分かっているつもりだった。だから一緒に暮らし始めても、何ら変わりはないと思っていたのだが、
「こんなはずではなかった」
と思うことが、新婚生活の中で徐々に見えてきたのだ。
お互いに、相手に対して、
「結婚したのだから、今までとは違うんだから」
ということを求めていたはずなのに、相変わらずの交際期間と変わらぬ雰囲気や態度、自分が変わっていないことを棚に上げて、
「何で、この人は態度や行動が変わらないの?」
と思うのだ。
自分が変わっていないことを理解していない。それが相手の気持ちを逆なでする。お互いに、苛立ちが募っていくのも仕方がないだろう。
その気持ちはセックスにも表れる。
「あれ? こんなはずではなかったのに」
という思いは、結婚前であれば、
「これで、毎日だってできるんだ」
と思っていたにも関わらず、実際に毎日できるようになると、どこかに違和感を感じた。
すべてを知り尽くしているつもりの身体だったが、交際期間中は、飽きることはなかったのに、結婚してしまい、自分のものということが、公然の下に晒されたと思った瞬間、達成感のようなものがあったのかも知れない、それは、
「これでいつでもできるんだ」
という思いに至り、本当なら、
「毎日する必要もなければ、義務でもないのだから」
と思いながらも、男の方が勝手に、
「毎日してあげなければいけない」
と思い込むのだった。
女もすでに身体ということでいえば、飽きが来ていた。そこに男が義務感だけで、自分を抱こうとしていることに気づくと、抱かれることが億劫になってきた。完全に気持ちがすれ違ってきた。
身体が求め合うのであれば、少し冷却期間をおけば、元に戻る可能性もあるのだろうが、身体にお互いに飽きが来ているところに持ってきて、気持ちが完全にすれ違ってしまっていれば、身体を求め合うことはないだろう。
結婚してすぐくらいから、セックスレスになるという夫婦も少なくはない。結婚してしまったために、セックスが求め合うことから、形式的な義務に変わってしまったのだ。
「これが結婚というものか?」
と考えさせられる。
昔であれば、
「子孫繁栄であったり、家名を守るため」
ということで子作りという儀式的な意味があったのだろうが、今はそんなものは何もない。
そうなると、他にセックスのはけ口を求めるという考えが生まれてくる。そこに不倫や風俗などというワードが生まれてくるのも、正直無理もないことだ。
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