第7話 年下の彼氏

 そういう思いがあるからか、図書館で声を掛けてきた少年に、何か惹かれるものがあった。だが、そこがどこなのか、ハッキリ分からない。そもそも、好きなタイプでもないのに、なぜなのだろう? しいて言えば年下だからということになるのだろうか。

 彼は、大学にストレートで入ったという、ということは一つ年下ということになる。

 大学生でなければ、一つの年の差くらいはそれほどでもないのだろうが、一年生と二年生ではまったく違う気がする。今の法律では、満二十歳で成人となるわけだが、来年には十八歳で成人だ。

 浪人していなければ、二年生から三年生の間で、成人ということであるが、来年からは、高校生でも成人ということになる。

 今の法律では、一番若く成人になることができる可能性を秘めているのは、女性の十六歳だけである。男性も二十歳を待たずに十八歳で成人という括りになるのだが、それは結婚できる年齢である、結婚してしまうと、その時点で成人とみなされるので、そのあたりが現行法の難しいところである。

 現行法では、普通に成人は二十歳から、男性が結婚できる年齢は十八歳から、女性は十六歳からになる。

 ということは、成人になるのは、結婚してからになるので、結婚前が年齢的に未成年であれば、親の同意が必要とされる。

 そのあたりが、厄介なところであった。

 しかし、来年の令和四年になると、結婚できる年齢が十八歳で統一される。

 ということは、成人年齢も、結婚できる年齢も男女統一されて、十八歳だということになるのだ。

 そうなると、すべての人が成人を迎えてからの結婚になるので、親の同意を必要としないということである。

 成人するということは、結婚することと同じで、親の同意などの束縛がない代わりに、すべての責任を自分で負わなければならない。

 いわゆる、

「少年A」

 という表記ではなくなるということだ。

 結婚するために、親の許しが必要ではなくなるのだが、それだけ、責任は大きくなってくる。

「結婚しているけど、未成年」

 という言われ方はもうこれからはありえないのだ。

 話は逸れたが、十八歳から二十歳という年齢は、いろいろな意味で大きな二年間である。二十歳から十八歳に成人年齢が引き下がることで、今後どのようなトラブルが怒らないとも限らないだろう。

 ここでの一つの年齢差は、ひなたの方には意識できたが、少年の方はどうであろうか? 見た目は少年なのだが、果たして中身はどうなのか、よく分からなかった。

 ただ、見つめ合っていると、その目力に引き寄せられそうに感じる。ドキッとする感覚に、自分が少女になったような感覚だった。

「自分が年上なのに」

 と思うと、少年のその目に引き寄せられる自分が腹立たしく感じるほどだ。

 名前を聞くと、

「僕は西垣譲二というんだ」

 という。

 見た目は少年なので、名前負けしているようにも思えたが、あの目力を思うと、譲二という名前はふさわしいと思えてきたのだ。

「譲二さんは、どんな小説を書いてみようと思っていたんですか?」

 と聞くと、

「今のところは、ハッキリとしたスタンスはないんです。とにかく何か小説を自分で完結させることができれば、それでいいと思っているんです」

 というではないか。

「じゃあ、プロになりたいとかいう意識ではないわけ?」

 と聞くと、

「なれればいいのかな? とも思うんだけど、でも、しっくりこないんだよ。プロになると、自分の書きたいものが書けなくなるような気がして、それくらいなら、自分の書きたい作品を、どんどん書いて、言い方は悪いけど、『質より量』だと思っているんですよ。でも僕は結構曖昧な考えを持っているので、よくまわりからは、『その場限りの男』って言われたりしているんだよ」

 というのだった。

 ひなたは驚愕した。その場限りというのは、自分もよく言われていることで、その言葉はどんな表現をされようとも、褒められた表現ではないだろう。

「その場限りのどこが悪いっていうのかしらね?」

 と、少し捨て鉢な言い方をしたひなただったが、

「それは僕もそう思うんですよ。だけど、僕はその言葉をなるべく聞き流すようにしているんです」

「聞き流すことなんかできるの? 結構、厳しい言葉なんじゃないかって思うんだけど、だから私にはできない」

 とひなたが歯ぎしりでもしそうな勢いでそう答えた。

「うん、僕にはできるよ。その場限りという言葉だって、悪い意味で使うことが多いけど、そうではないことだってあるはずだからね」

 と意味深な言い方だが、しょせん中途半端な言い訳にしか聞こえなかった。

 だが、彼の顔を見ていると、どこか自信に溢れているように見えるのは、やはりその目力のせいではないか。押し切られそうなその顔に、説得力があるように感じられ、

「あなたを見ていると、本当にそうなのかも知れないと思うんだけど、でも、私はすぐに我に返ってしまって、我に返ると、自分がその言葉を言われた時のことを思い出して、背筋が寒くなるのを覚えるのよ」

 とひなたは言った。

 その日から、ひなたは、譲二の顔が瞼の裏にちらついてしまい、気が付けば目を閉じていた。

 ひなたは、人の顔を覚えるのが苦手だった。人の顔を覚えようと思えば思うほど、忘れていく。

 忘れていくというよりも、次に見た人の顔が頭の中に残ってしまい、前に見た人の顔を忘れるという構造になっているのだと自分なりに理解していた。

 それなら、どうして他の人は他人の顔を一目見ただけで覚えられるというのか? 自分にとっての、七不思議のひとつのようだった。

 そもそも、七つも自分の中に不思議なことがあるのかとも思ったが、逆に七つでは足りなかったようで、新しい疑問が湧けば、今まで感じていた最初の疑問が次第に消えていく。押し出されると言っても過言ではないだろう。

 ふと考えると、人の顔の意識もそういう構造になっているのだと自分で考えていたのだ。それはきっと勝手な妄想ができることをできないというように錯覚させる感覚、

「そうだ、これこそ、小説を書けないと思い込んでしまう心理と同じなのではないだろうか?」

 と感じた。

 同じ発想が、まるで「わらしべ長者」のように、発想の連鎖反応を起こしているのではないだろうか。

 ひなたは、元々人の顔を覚えるのが苦手だったわけではない。あれは、中学の頃だっただろうか。友達と待ち合わせをしていて、その人とは数回しか会ったことのない人だったが、見間違えてしまうほど、特徴のない顔でもなかった。

 待ち合わせをした時、後ろ向きだったのだが、髪型も見覚えのあるものだったし、実際に待ち合わせた場所にドンピシャでいたのだから、間違いないはずだった。

 そこで、脅かしてやろうという、小さな悪戯を思いついたのだが、後ろからそっと近づき、まるで恋人同士のように、

「だぁれだ?」

 とばかりに、目いっぱいのおちゃめな姿で、その人に抱き着いたのだ。

 その女性は、こちらを向いてビックリしていた。よく見ると、友達とは似ても似つかぬ大学生くらいのお姉さんだった。

「あっ」

 と思ったが当然のごとく、もう遅かった。

 相手の女性は完全に凍り付いて、その場に立ちすくんでいた。その表情を見て、ドキッとしてしまったが、こっちも臆してはダメだと思って、精いっぱいに虚勢を張ったが、しょせんは空元気であり、相手からはさぞかし、酷い顔に見えたことだろう。

 ひなたも、彼女の顔を恐ろしく感じ、その時のことがトラウマになって、人の顔が覚えられなくなった。一度誰かに会うとその顔が頭にこびりついてしまって離れない。逆を言えば、いくら覚えても次に違う人の顔を見ると、またしても頭から離れなくなって、他の顔が入り込む余地がなくなるのだった。

 しかも、頭の中のキャパシティもそんなに広くない。印象付けることが人の顔を覚えることになるという意識が、無条件反射のようにこびりついているので、そこは外せない。そうなると、本当に人の顔が覚えられないのは、残ってしまったトラウマと無条件反射の矛盾した意識から来るものなので、どんなに努力をしても、自分でどうにかなるものではないのだ。

 それは記憶という感覚とは違うものだ。覚えることが、すべて記憶することだというわけではなく、印象付けることが覚えるということだというのを、本当は無条件反射で分かっていたはずなのに、自業自得とはいえ、自分自身でその構造を破壊してしまったのだ。

 そうなってくると、もう二度と自分が人の顔を覚えることができなくなってしまうのだろうか?

 それを思うと、どこまでが自分の思いなのか分からなくなってくる。自分の感情というのは、元来自分に味方をするものなのだが、いくつかのリズム、そう、バイオリズムが噛み合わないと、感情は、自分の思い通りには動いてくれない。それが、ひなたの場合、

「人の顔を覚えること」

 だったのだ。

 ひなたにとって、他にもいくつかの理不尽な思いから、できなくなったこともあるようだが、人の顔を覚えられなくなるほどの大きなものはない。だから、

「私は営業職や、サービス業のように、人の顔を覚えていないとできないような仕事はできないんだわ」

 と感じていた。

 だから、本当なら、大学時代に手に職をつけるか、教職員になるかなどの資格を持っていなければいけないと思っている。

 もっとも、どの仕事につこうとも、人間相手であれば、人の顔を覚えられないというのは致命的なことだろう。

 また、同じ人であっても、その顔がまったく違っていて、すぐには分からないことがある。服装で変わってみたり、髪型や化粧で変わることもあるだろう。それも見分けることができない。人の顔を覚えることができないのだから、それくらいのことは当たり前に違いない。

「ねえ、ひなたは、どうしてそんなに人の顔が覚えられないの?」

 といじわるっぽく聞かれたことがあった。

 その時は、今のような分析を自分でできていない時だったので、何も言えなくなってしまっていた。

「どうしてなんだろう? 次に違う人の顔を見たら、その人の意識が移ってしまって、覚えていた顔が急に消えてしまったという感じなんだと思うわ」

 と、自分が感じている中で、一番無難に思える考えを話した。

 これで一番無難に聞こえるというのだから、ひなたとしても、自分が普段から何を考えているのか、よく分かっていない証拠であろう。

「私が分析などという言葉、どうにも曖昧な答えをする時に、ごまかす方法として使っているのではないだろうか?」

 と感じたのだ。

 譲二は、そんな人の顔を覚えることのできないひなたに対して、

「ひなたちゃんは、人の顔を覚えられなくても、僕がひなたちゃんの代わりに覚えてあげるよ」

 という、おかしな言い回しをした。

 人によってはドン引きする言葉だし、何を考えているか、疑いたくなってくる。何よりも、相手に対して失礼な言い方なのではないかと、当事者のひなたはそう思い、不愉快な気分になった。

「そんな慰めにもならないことを言わないでよ」

 と、さすがに不愉快なので、一応気を遣ったつもりでそういったが、どういっても、皮肉であることには変わりない。

 皮肉には皮肉で返すという、まるでジュリアス・シーザーのような言い回しではないか。だが、その後、譲二は必至で謝った。譲二という名前にふさわしくない慌てふためきようだ。少年だと思えば、いかにもその通りなので、気になることはないのだろうが、やはりどこか曖昧な雰囲気に、どう考えていいのか、迷うところであった。

 それでも、ベタでもいいから、何かを言ってくれるかと思ったが、結局は気まずくなっただけで、彼は何も言おうとしない、モジモジした態度で、その様子を見ていると、

「何よ、結局最後は何もできずに、私に丸投げじゃないの。どうして私は、こんな人と付き合うことにしたんだろう?」

 と自分に訴えかけてみた。

 図書館で出会ってから、二度目もやはり同じ図書館の同じ席に座った。その偶然をいたく喜んだのは譲二だった。

「いやぁ、こんな偶然ってあるんですね。僕は感謝しかないけど、ひなたさんも感謝してくれれば嬉しいな」

 と言っていた。

 これが彼の、付き合ってと思った気持ちなのかどうかは分からなかったが、本心なのだろうという気持ちに変わりはなかった。

「ええ、私も何か嬉しいと思っていますよ。漠然とした思いではあるんですけどね」

 というと、

「運命を感じる時なんて、そんなにたくさんはないと思うんだけど、こうやって今感じることができて嬉しい」

 という彼を見ていると、何やら不思議な気持ちになってきて、少し腹立たしくもなった。

 こういうベタなセリフというのは、相手によっては、無性に腹が立つものだということは高校時代から知っていたが、譲二に関しては、無性に腹の立つ部類の人であった。

 少年のように無垢で、素直な性格だということを最初に感じてしまったことで、ひなたは彼の中に勝手な、彼のイメージを作ってしまった。だから、少しでも違和感があれば、そこに腹が立つのだ。

 ひなたには昔からそういうところがあった。人の性格を勝手に想像して、勝手に決めつける。だから、最初に

「この人は、どうも苦手だ」

 と感じた相手と、その後心境が変わって、親密になったということは皆無だったのだ。

 譲二もそういう相手なのかも知れないと思った。せっかく偶然が重なって、再会できたというのに、再会したことが、苦手意識を作ることになってしまったのだという今までになかった皮肉めいた状況に、今度は、彼のことが変な意味で気になり始めたのだった。

 人の顔を覚えることのできないことは、初めて会った時に話をしていた。ひなたは、初対面の人でも臆することはないので、二回目以降に急にぎこちなくなることもあるので、男性から見ると、きっと取り扱いが難しい女なのだろうという自覚はあった。

 それで偶然二回目の再会ができたことで、彼も有頂天になったのだろう。言葉とすれば、まるでプロポーズのようだとも受け取れがちで、そのために、相手のことを考えない無神経な発言に聞こえたのだ。

 ひなたが、戒めたことで、譲二はひなたが、自分を無神経な男だと思っていると感じたのだろう。だからこの時は言葉で何を言おうとも、同じだと思ったのだ。

「これ以上何かをいうと、火に油を注ぐようなものだな」

 と感じたのだろう。

 だから、その後後ろ髪を引かれる思いでありながら、結局何も言えなかったのだ。

 だが、ひなたは、それからも譲二と会い続けた。いつの間にかデートに出かけるようになり、何も言わなくてもお互いの気持ちは分かっているという状態は、どうやらその緩和には、時間だけで十分だったようだ。

 それだけお互いに、一緒にいない間は、相手を気にしていて、気が付いたら気になっていたというそんな関係になっていったのだった。

 ひなたは、相変わらずm人の顔をなかなか覚えられなかった。最初に言っていたように、

「俺が、ひなたちゃんの代わりに、人の顔を覚えてあげる」

 と言っていたのだが、そうもいかなくなった。

 最近では、譲二の方が、人の顔を覚えきれなくなったようだ。

「おかしいな、こんなに若いのに、痴呆症なのかな?」

 と、冗談を言っていたが、それは強がりでしかなかった。

 なぜなら、顔が笑っていなかったからである。

 とは言っても、ひなたほどの重症というわけではなく、あくまでも覚えが悪くなったというだけで、まだ人並みのレベルである。

 しかし、ひなたのように、小さい頃からのことではないので、少々のことでも深刻だ。若いと言っても、実際には若年性痴呆症という言葉があるくらいなので、細かいところを気にする人は、どうしても、気になって仕方がないだろう。

 譲二は、神経質で細かいところを気にするわりには、大雑把だと言える。

「大雑把の反対語って何なんだろう?」

 と考えてしまうが、ここでいう反対語というと、神経質ということになる。

 しかし、神経質というのはあまりいい意味で使われることがないイメージなので、その反対が悪いことだというのは少し変な気がする。そういう意味での大雑把の反対語はというと、

「綺麗好き」

 という言葉に代表されるような、細部にまで気を配るという意味になるのだろう。

 実際に辞書で調べてみると、大雑把の反対語は、

「細かい」

 ということであった、

 つまりは、すべての面において、細かいという広義の意味が反対語になるようだ。

 そういう意味でいけば、神経質というのも、一緒に細かいということになるのではないだろうか、そもそも神経質というのは、意味としては悪いことではない。細部に気を配ることに変わりはなく、ただ神経質な人が引き起こす問題に対して、いい意味で取られないということであり、しでかしたことの結果が影響してくることではないはずだ。

 大雑把という意味で。最近叙実に感じることとしては、

「モノが捨てられなくなってしまった」

 ということだった。

 一度、何も考えずに、モノを捨ててしまい、その時に捨ててはいけないものを捨ててしまって、それが友達から借りた、友達にとっては大切なものだったことで、たくさん謝罪をしたが、それでは収まることのない蟠りができてしまったことで、二人の間に亀裂が生じた。

 そして、一度掛け違えたボタンは元に戻ることなく、仲たがいをしたまま、絶交することになってしまったのだ。

 その経験からか、モノを安易に捨てられなくなった。

 そのうちに、部屋の掃除もしなくなり、掃除をしないから、何がどこにあるのか分からなくなる。そもそも大雑把だったことから、そうなってしまうと、部屋をいじるのが怖くて仕方がない。掃除をするということ自体が怖いのだ。

 それは、面倒くさいなどという感情とは違う。

「自分が何もしなければ、何も悪いことは起こらない」

 という発想から来るものだった。

 ひなたは、譲二のそんな気持ちがなぜか手に取るように分かったのだ。最初はなぜ分かるのか理解できなかった。分かるとすれば、同じところがどこかにないと分からないはずだ。

「自分も整理整頓ができないのかな?」

 と感じた。

 今のところ、部屋が散らかっているということも、大雑把ということは気にならなかった。

 しかし考えてみると、モノを捨てられないということだけは、自分の中にあると思っていた。今まで考えたこともなかったが、それが、自分の中の何かを誘発しているのではないかと思った。

 これが起爆剤かと思っていたが実は違った。かつての大きなトラウマから、モノを捨てられない感情になってしまったのだ。

 それが何かというと、それは、

「人の顔を覚えられない」

 ということだった。

 人の顔を覚えられないのは、きっと大雑把という感情の裏返しなのかも知れない。

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