第4話 その場限りの反省

 高校時代に、先生との逢瀬をあれだけ重ねていたのに、よく誰にも知られずに、卒業できたものだった。

 ひなたが好きではあったが、他の生徒は、先生のことをあまり好きではなかったようだ、

「あの先生、どこか気持ち悪いわよね、あの厭らしい視線には、皆ドン引きしていたもんね」

 と言っていたようだ、

 実は、先生も自分では気を付けているつもりだったようだが、生徒の方の目の方がえげつないと言えるのではないだろうか。

 ひなたの方は、完全に先生に対して贔屓目だったので、そこまでは感じなかった。ただ、好きなタイプの女性はどんなタイプなのかは分かっていたので、自分もそんな女の子になろうと健気に考えたことも事実のようだ。

 だが、他の生徒が先生を偏見の目で見ていたおかげで、正面から見ていなかったことで、ひなたとの関係が他の生徒にバレることもなかった。それに、先生のことを密かに思っている生徒も他にいなかったことも、ひなたにはよかったのかも知れない。

 他の先生も、ひなたのことはあまり意識していなかったようだ。

「典型的な大人しめの女の子で、目立つところもないので、問題を起こすような子ではない」

 と思っていたようだ。

 まさか、ここまで大胆な生徒ではないと思っていたのだが、ある意味誰も気付かなかったことで事なきを得たという、一種の結果オーライだったと言ってもいいだろう。

 さらにひなたという女の子は、感情が、

「熱しやすく冷めやすい」

 ところがあったようだ。

 一気に燃え上がった感情で、数か月澗突っ走った感じだったが、ホテルに最初に行った時をピークに、次第に感情が冷めてきていたようだ。感情にもタイムラグがあるようで、ホテルに数回行った時が本当に最高のテンションだったが、ある日、先生が淡白だった日があったのだ。

 体調が悪かったのか、それとも、何か心配ごとがあったのか、どこか上の空だったのだ。ひなたは、その時の先生の感情が分かったような気がした。

「どうしたの? 先生。心ここにあらずって感じだけど?」

 と聞くと、本当であれば、

「あっ、、いや、そんなことはないよ」

 とウソでもいいから、とぼけてほしかったのだが、先生はそのあたりは性格は素直にできているようで、自分の気持ちを隠し切れないようだった。

「先生って、こんなに感情の起伏が激しいんだ」

 と思うと、今度は、

「このままだったら、先生が二人のことをもし、他の先生や学校側から聞かれたすると、簡単に白状してしまうかも知れない」

 と感じた。

 その感情を抱いてしまったことで、冷めた気持ちは加速していった。それまでは先生は自分の不利になることは絶対にしない人だと思って、ある程度の安心していたのだが、今回のような落ち込みの前兆のような姿を見せられると、それまでの先生に対してのイメージが、どんどん崩れていっているようだった。

「先生と一緒にいられれば、それだけでいい」

 などと、健気に思っていた自分がバカみたいな気がしてきた。

 それでも、すぐに先生から離れることができないところまで関係は深くなっていたので、ひなたは、逆にゆっくりと状況を見つめることができる時間もあったということである。

 先生と一緒にいる時間が徐々に短くなっていった。あれだけ、

「毎日でも一緒にいたい」

 と思っていた気持ちが萎えてくる。

 今度は他の生徒と同じ目線で他人事のように先生を見ていると、

「先生って、こんなに生徒に対して厭らしい目をしていたんだ」

 と、やっと他の生徒と同じ感覚がもてるようになってきた。

 ひなたは、その時やっと、自分がいよいよ潮時であるということに気づいた。

「今までは、自分ではそんなことはないと思っていたが、ただ、学校の先生というものに憧れていただけで、特定の先生を好きだったというのは、錯覚だったに違いない」

 と感じたのだ。

 あれだけ好きだったと思っていたのは、ひょっとしたら、感情というよりも、セックスの相性が良かったからなのかも知れない。それとも性癖にマッチしていたと言ってもいいであろう。そうやって考えると、大好きだと思っていたことが錯覚だったとしても、それほどのショックではなかった。逆に、

「お互いに入れ込む前でよかったかも知れない」

 と思った。

 先生の方も、ひなたが冷めるよりも前から少し冷めていたようだった。それは、一緒にいれば分かるというもので、自分が先生のことを好きだと思っていたことで、まさか先生の方も自分を好きではなくなるなどありえないと、勝手に思っていたのだった。

 学校の方も家庭の方も、誰も本当に気付いていなかったというのは、本当なのだろうかと思ったが、それほど二人に関係が深くない人であれば、下手に介入しない方がいいと思って、様子を見ていたとも思えるが、どちらにしても、騒ぎになる前に、自分たちで収束させたのは、事なきを得たというべきなのだろうか。

「ひょっとすると、そういうケースも結構あるのかも知れない」

 と感じた。

 実際には先生と生徒の関係というのは、表に出ているのは実に氷山の一角であって、学校側の体裁からまわりに隠そうとしていたり、二人のように、誰にもバレなかった場合もあれば、処分だけは行われ、公表されないだけなのかも知れない。

 どちらにしても、実際にそれまで、

「私は先生になんか嵌るわけはない」

 と思っていたはずの人間が、いとも簡単に嵌ってしまうのだから、世の中というのは表だけを見ているだけでは分からない部分がかなりあるということであろう。

 さらにタイミングがよかったのは。先生が新学期になると、他の学校に転勤していったことだった。

 中途半端な時期だったので、何か不審なところはあったが、誰も先生のことなんか気にもしていない。そもそも、もう転勤して行ってしまったのだから、いまさら話題にしたとことで、何らメリットがあるわけでもなかった。

 ひなただけが、

「私とのことで、左遷させられたんだ」

 と感じたのだ。

 先生の相手が誰なのかということを調査している様子はなかった。たぶん、先生を処分することで、うまく収めようとしたのだろう。だから、

「先生が生徒に手を出した」

 などというウワサも広がることはなかった。

 もし、後で、何らかの問題が起こったとしても、学校側が先生を処分したということであれば、それ以上の詮索はないだろう。

 少なくとも、現時点で何か問題が起こっているわけではない。生徒が妊娠してしまったり、あるいは、その女の子の親が学校に責任を追及しに来なければ、何もなかったということで、時間の経過が、先生を処分したということで、解決したということにしてくれるに違いない。

 そんな状態だったので、先生の相手が誰だったのかを詮索されることもなく、何とか汚点を心の中に残したままではあったが、高校を卒業し。大学に入学できたのだ。

 ひなたは、結構すぐに重大なことであっても、忘れてしまうタイプであった。

 学校で問題にならなかったのをいいことに、大学に入学する頃には、先生と愛し合った時期があったこともすっかり意識の中で薄れて行っているようだった。

 ひょっとして、問題になっていたとしても、退学にでもならなければ、それほどのことをしたという意識が、ひなたの中に残っているわけではないだろう。

 ひなたは、大学に入ると男女共学になったので、誰かを好きになることもあるかと思ったが、意外とそういうことはなかった。

 男子の方も、ひなたに対して、高校時代と同じように、

「高値の女王様」

 のイメージが強いようで、声を掛けてくることはなかった。

 そもそも、この、

「高値に女王様」

 という、キャラクターは、先生との仲のカモフラージュに使っていたつもりだった。

 ただ、あまりにも露骨な態度を取ると、ひなたに対してのやっかみや厭らしいという思いから、その態度の裏を見てしまう人も出てくるかも知れない。あまりにも露骨にならないように、それでいて、実際にひなたに興味を持たないようにするには、

「高値の女王様」

 というイメージが一番よかったのかも知れない。

 他の先生もひなたには一目置いていて、まさか、特定の教師と、付き合っているなど、想像もしていなかったに違いない。

 高校時代の黒歴史は、ひなたが、喫茶店でのアルバイトを見つけたその時には、ほとんど意識の外にあった。記憶としては残っているのだろうが、それも、まるで他人事としてしか意識しておらず、今の高校生が、教師と不純異性交遊などという記事を見れば、

「今の高校生は何を考えているのかしら?」

 という人がいれば、隣で、

「うんうん」

 と頭を何度も上げ下げしていることであろう。

 これはもし、自分が何かの処分を受けていたとしても、時間的にほとぼりが冷めていれば、同じように他人事だったであろう。

 何かがあったその時、ひなたは、必死に自分の中での黒歴史になりそうなことを打ち消そうとする。そして、ほとぼりが冷めた頃には、

「もういいよな?」

 という気持ちになるのか、すっかり意識から記憶へと、封印されていくのだった。

 これが、都合のいい考え方ではあるのだが、ひなたは、簡単にそういう考えに持っていくことができるのだった。

 だから、実際に悩んでいるように見えても、実際にはその時だけであった。

 友達ができると、その中に必ず一人はそんなひなたの性格を看破する人がいて、彼女はひなたに決して近づこうとはしない。だからいつも仲間と思しき人ができても、少なくとも一人は、

「この人とは友達にはなれない」

 という人だったのだ。

 そんなひなたの性格を、高校時代に付き合っていた先生は知っていたのかも知れない。

 先生はひなたのことを横から見るわけではない、先生と生徒という立場もあるので、必ず上から見ていたはずなのだ。

 それは上から目線というわけではなく、どちらかというと保護者という感覚に近いものだった。

 上から見れば見るほど、彼女の性格は叙実に分かるもので、それでも、好きになられたという負い目のようなものがあるので、先生は深く考えないようにした。だから、先生もひなたの身体に溺れたのだし、悪い方に考えた自分を否定したいと思うのだった。

 先生は、ひなたのことを、

「この子は、何か反省することがあっても、その時には殊勝なことを言って反省しているように見えるが、実は、深く考えていないんだ。すぐに都合の悪いことは忘れてしまうんだ」

 と感じていた。

 だから、自分で何かの努力をしようとはしない。その分、人と反発することはない。反発しても負けることが分かっているからだ。

 もちろん、ひなたはそんなことを自分で知る由もない。ただ、まわりからは時々言われている。

「あなたは何かをすればすぐに謝って、恐縮するけど、それはその時だけのことで、すぐに忘れてしまうんでしょう?」

 と言われても、言い返すことはできなかった。

 それは、自分で分かっているからではない、分からないから、どう言い返せばいいのかが分からないのだ。それを人は、また、

「その時だけの殊勝な態度だ」

 と受け取るのだろう。

 しかし、実際にひなたはそんな感情ではない。言われていることの意味が分かっていないのだ。

 要するに、

「そんな簡単なことも分かっていないのか?」

 と思われるレベルの話であった。

 底辺に近いところで考えが前を向いていないのだから、平行線が交わるわけもない。それだけ、レベルというところで、まったく違う線を見ているのだから、話が通じるわけもなく。まわりからも、まともな角度で見られるわけもなかった。

 ただ、大学生になってから、

「あなたはその場限りの反省しかしない人だ」

 と言われると、少しショックに感じるようになっていった、

 高校時代までは、そう言われてドキッとしないわけではなかったが、それでいいという思いがあったからなのか、ひなたには、余計なことを感じないという思いが条件反射のように繋がっていたのだ。

「その場限りの反省」

 と言われてしまうと、言い返すのは難しい。

 何を言っても、言い訳にしかならないからだ。そういう意味では、その場限りの反省という言葉は実に都合がいいのかも知れない。本当にそうなのかどうかは、誰が言いきれるというのだろう。

 反省をするというのは、それまでの態度から正反対の態度を取ることである。追及を逃れるには、反省しているということを見せるしかないのだが、それを相手が分かってくれなければ、反省したことにはならないだろう。

 しかも、反省している態度を、その場限りと言われてしまうと、他にどのような態度を取っていいのか分からない。どのような態度を取ろうとも、結局は、その場限りと判断され、すべてを言い訳という形で片づけられてしまう。苛めの理論と言ってもいいだろう。

 昔の苛めは、

「苛められる人間には、苛められるだけの理由があった。しかし、今の苛めには節操がない。むしゃくしゃしたから苛めたいという理由で苛められたのではたまったものではない」

 と言われる。

「○○のくせに」

 と、昔からの人気漫画で、主人公のいじめられっ子が、苛めっ子から苛められる理由としてよく言われることであるが、まさにその理屈である。

 本人だって、好きで苛めっ子の嫌いなタイプになっているわけではない。もし性格が違えば、その子からは苛められないかも知れないが、他に自分をターゲットにするやつも現れないとも限らない。頭を出せば、いつハンマーが飛んでくるか分からない、もぐらたたきのようではないか。

 世の中にはこのような理不尽なことが山ほどあるだろう。だから、

「その場限りの反省」

 と言われたとしても、それは、苛めの理由として成り立っているのかどうか分からないが、そう言っておけば、大義名分になりそうで、それが怖いのだ。

 相手が理不尽な苛めをしているということが分かっていれば、自分への擁護も出てくるだろう。そうでなければ、

「その場限りの反省」

 という理由が苛めの大義名分になってしまえば、苛めをすることの理由の幅が広がってしまう。

 世間一般で、その場限りの反省を苛めの理由としてしまうと、いずれは自分が苛められた時に、

「どうして自分をターゲットにするのか?」

 と聞いた時、

「お前の反省は、その場限りなんだよ」

 と言われて、初めて自分がしでかしてしまったことの罪の重さに気づくだろう。

 都合よく使おうと思っている連中からマインドコントロールされてしまったかのようで、いつの間にか自分にブーメランとして立ちふさがってくるのであろうことを、想像できるはずもないに違いない。

 しかし、だからと言って、いつもいつも反省ばかりしているわけにもいかない。反省をすれば、必ずそこから何かが見えてくるもので、むしろその場限りの反省の方が、前向きだということを、どうして誰も気付かないのだろう。

 あたかも、その場限りということが悪いことだという先入観を植え付けてしまった方が勝ちだという、明らかに先手必勝ということになるのだろう。

 反省をすることは悪いことではない。そこから何かが得られれば、反省をした甲斐があるというものだ。

 だから、問題なのは、すぐに反省したということを忘れてしまうことであった。その場限りだと言われて、それを信じてしまうのが、そもそもの間違いなのだ。

「俺の反省はその場限りではない」

 と言えればいいのだろうが、それこそ言い訳でしかない。

 それが言えるだけの自分に自信が持てればそれでいいのだが、なかなか人間、いきなり指摘されてしまうと、そうも単純にはいかないものだ。

「その場限りの反省」

 その言葉がトラウマになってしまったことで、なかなか自分は、そうではないと自信を持って言えることもできなくなってしまった。本当に、マインドコントロールというのは恐ろしいものである。

 そんなその場限りの反省と言われ続けていると、今度はその感覚すらマヒしてくる。自分が言われているのに、他人が言われているような感覚になってしまうことで、次第にそう言われることを我慢できるようになってくるのだった。

 そのうちに、少々のことでも気にならないようになり、自分にいわれていることだとは思わなくなることで、反省をしなくなってきた。

 その場限りでも反省をしている分にはまだよかったのに、そんな態度はまわりにも分かるようで、

「怒ってるのに、何をヘラヘラしているのよ」

 と言って相手をさらに怒らせることもあったが、

「何言ってるのよ。あなたたちが、私はその場限りの反省しかしないっていうから、じゃあ、反省なんかしなきゃいいんだって思うようになるわよ」

 というと、相手は何も言えなくなる。

 そして、そのままその人は友達ではなくなっていくのだった。

 そんな風にしてどれだけの友達を失くしたか。相手は、

「そんなつもりはない」

 と言いたいのだろうが、ここまで来ると相手も、諦めてしまうのか、もう何も言わないかわりに、もう二度と口をきいてくれなくなる。

 ひなた自身はそれでいいと思っているが、これもよく言われる中で、

「人から言われているうちが花よ」

 という言葉を思い出させるのである。

 友達との仲がこじれてしまっても、修復しようとは思わない。どうせ、ロクなことしか言われないのだから一緒にいても、同じことだと思うのだった。

 友達との仲が、こんなにも薄っぺらいものだということを分かってはいたので、別に友達が自分からどんどん離れていっても、構わないと思うようになっていた。

 それは、先生と別れることになった時と感情が似ている。

「結局、私は、反省も寂しさもその時限りのことなんだわ」

 と感じた。

 それが自分にとっていいことなのか悪いことなんか、正直分からなかったが、ショックが少ない分、今のところ悪いことよりもいいことの方が多いような気がして、

「別にこのままでもいいか」

 と感じるようになっていた。

 この感情が、まわりから見ると、

「上から目線」、

「女王様」

 と言われるゆえんなのかも知れない。

 別に上から見ているつもりはないのだが、そんな態度に見えるのは、やはり、自分から離れて行こうとする人を目では追っているが、感情が籠っていないからなのかも知れない。

「皆私のことをその場限りだっていうけど、少し離れて見ていると、皆もその場限りに見えてくるんだよね。ということは、皆最初から私のことを、最初から距離をとって見ていたということなのかしら?」

 と思ったが、それが違うということを少ししてから気が付いた。

 人というのは、元々、誰かに近づいていく時、最初から目の前まで接近するわけではなく一定の距離から相手を観察するところから始まる。だから、相手がその場限りの人間だということを分かってうえで、付き合い始めるというわけだ。それなのに、ひなたは、いきなり相手の懐に飛び込んで行こうとするので、相手のことをよく分からずに、行動する。それがひなたを孤立させることになるのだが、それでもひなたというのは、誰に対しても臆することのないところのある性格だということで、ある意味、素直な性格が災いしているということなのかも知れない。

「それにしても、皆がそんなに打算的な目で人を見ているとは思わなかった。一体、いつ頃から皆そんな風になってしまったのだろう?」

 とひなたは感じたが、

「私が知らなかっただけで、思春期くらいの頃から、皆変わっていったのかも知れない。それが目立たなかったのは、個人差があったからで、一人ずつをそんなに気を付けてみているわけではなかったので、余計に気付かなかった」

 ということなのだろう。

 ひなたは、大学時代に一度、まわりから完全に孤立してしまった。

 しかし、それも半年くらいのもので、また友達と仲良くなったのだったが、どうして急に仲良くなれたのか、自分でも分からない。

 何かのきっかけがあったに違いないが、そのきっかけは、一体どこから来たというのだろう?

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