第2話 匂いの条件反射

 大学に入ってからのひなたは、自分が平均的な女の子で、平均的な受験をして、平均的な大学に入学したことで、あまり自分が目立たない女の子だという意識を持っていた。

 高校時代に、

「高値の女王様」

 などと言われていたことは知っていたが、だからと言って、その言葉を真に受けていたわけでもなかった。

 それは、家族の仲に微妙な亀裂が入りかけていることで、余計なことを考えないように、感覚をマヒさせようという意識があったからかも知れない。

 その思いが、大学の入学も、大学生活も、余計なことを考えないでもいいような、波風の立たないように、感覚をマヒさせていこうという考えを持つようになったのだった。

 ただ、大学生になると、アルバイトをしなければならないと思うようになった。

 他の人がどのように感じているのか分からないが、ひなたは、それほどお金に執着しているわけではなかった。洋服に興味があるわけでも、化粧品にもさほど興味があるわけではなかった。さらに、彼氏がいて、彼とのデートにおめかしをするわけでもない。彼氏がいない歴は、年齢と同じだった。

 その思いもあってか、

「アルバイトというものは、しないといけないものなんだ」

 という感覚になっていたのだ。

 皆は、お金を稼ぐことで、好きなものを買ったり、旅行に行ったり、楽しむための軍資金を稼ぐという意識が強いのだろうが、もちろん、アルバイトをすることで、新しい出会いを求めようと思っている人も少なからずいるのも知っていた。

 だから、一緒にアルバイトを探す友達からは、

「ひなた、これなんかいいんじゃない?」

 と言って、喫茶店やファミレスのウエイトレスという接客業を推してくるのだった。

 嫌ではなかったが、どうもずっと立っているのが辛い気がしたので、渋っていると、

「それを言っていると、どこもないわよ」

 と言われてしまった。

「立ち仕事が辛いという意識を感じさせないような楽しい仕事を見つけるしかないのかな?」

 と感じたので、ひなたはその中から、喫茶店をチョイスした。

 その店は、いわゆるチェーン店のカフェという雰囲気ではなく、昔からの純喫茶という雰囲気のところであった。大げさに言えば、

「昭和の匂いがする喫茶店」

 という雰囲気なのか、だが、そういうレトロな感じも嫌いではないひなたは、そこでアルバイトをするようになった。

 時間帯は朝の七時から、夕方の四時までということであり、少し早い気がしたが、早起きは苦手でもないことと、四時終わりであったら、夕方結構早く上がれることで、帰りにどこかに寄ったりすることもできるのがありがたかった。

 友達は、

「それいいんじゃない。ひなたにはピッタリだと思うわ」

 と言って賛成してくれたのだが、その友達もどこか皮肉っぽいところがあったので、ひなたに似合うと言ったのは、半分皮肉でもあったのだ。

「ありがとう、これ連絡してみることにする」

 と言って、ひなたはすっかりその気になっていた。

 もう、友達のことなんか、どうでもいいという感じだったが、これもひなたの性格であり、自分が何かを決めてしまうと、そこで自分だけ先に進んでしまって、まわりの人を置いてけぼりにしてしまうところが往々にしてあった。

 そのあたりが、まわりから非難されるところでもあるのだが、ひなた自身はまったく自覚がなかった。

 人によっては、

「あれが、ひなたの天真爛漫なところで、癒されるのかも知れないわね」

 と贔屓目に見てくれる人もいたが、実際には、

「何よ、あの子は勝手に自分だけで突っ走って、結局自分だけがよければそれでいいのよ」

 と言われることが多かった。

 本人にそんな自覚がないため、余計にたちが悪いのだった。

 天真爛漫というのは聞こえはいいが、まわりから見ていると、

「いいところだけを一人で持っていってしまって、結局出がらししか残っていないのを、私たちが面倒見る形になるのよ。理不尽極まりないわ」

 と言われるだろう。

 しかし、なぜかそんな風にまわりから言われているわりには、ひなたから離れていく友達はそれほどいない。一つには、天真爛漫さによって、心の中で理不尽だと思いながらも、癒されているという意識は友達にあるからなのかも知れない。ひなたから離れることのメリットとデメリットを比較すると、離れない方がメリットが大きいという思いがあるのかも知れない。

 だが、そのような損得勘定だけで、ひなたから離れないというわけではないだろう。癒しというものが、その時だけではなく、じんわりとその人の中で継続していくことで、次第に自分が離れられなくなっているという意識が強いのかも知れない。

 ひなたが、嫌われていることを危惧している友達が一人いた。彼女は他の友達とは一線を画していて、皆がひなたと一緒にいる時は自分だけではなく、他に誰かがいないとダメだということを感じているのだったが、つまりは、ひなたと二人きりで会うということはなかったのだが、その友達だけは、いつもひなたと二人きりで会うようにしていた。

 他の人との会話が明らかに違っていることをひなた自身も分かっていたし、そういう意味では、

「必要な友達なんだ」

 という意識は持っているようだった。

 他の女の子は、ひなたに対して、決して余計なことはいわない。それなのに、その友達だけは、嫌われても構わないという気持ちがあるのか、言いにくいことでも結構ズバズバ言ってくるのだ。

 たまに、

「そんなにひどいこと言わないでよ。あなたはいつも私に対して辛辣で厳しいことしか言わないんだけど、どうしてなの?」

 と聞いてしまうことがある。

 訊いてしまってから、

「聞かなければよかった」

 と思うことが結構あるのだが、訊いてしまった以上後には引けない。

 彼女は、普段は辛辣にズバズバ言ってくるくせに、ひなたが、優勢に攻撃してくれば、自分が完全に臆してしまうのが分かっているのか、何も言えなくなってしまうのだ。二人の立場が逆転した瞬間だった。

 だが、これはお互いの関係の均衡を保つという意味でちょうどよかったのだ。二人の県警は、それぞれにイーブンであることが均衡の取れている関係なので、日頃ひなたに対して強く言える友達も、たまに、こうやって逆襲を受けることで、我に返るというか、その時にひなたとの関係を顧みることができるというものであった。

「ひなたとは、ずっと友達でいられる気がするわ」

 と言っていたが、実際に友達関係は長く続いていくことになる。

 その友達の名前は、彩名と言った。

 彩名は、大学を卒業すると、就職した会社ですぐに彼氏ができて、就職二年目で結婚し、そのまま、寿退社をしたのだった。

 これは、今後の話の展開でも出てくることなので、まずは話を時系列に戻すことにするとしましょう。

 彩名以外の友達との話で、アルバイトを喫茶店にしようというところまで話をしたが、その喫茶店に面接に行ったのは、電話をかけてから、三日後のことだった。

 お店は家から近いということも、朝が早くてもいい理由の一つだったのだが、その喫茶店が、住宅街にあるということで、ひなたは何か嬉しい気持ちになっていた。

 店構えが昭和で、住宅街にあるということは、有閑マダムなどという言葉を思い起こさせるものがあり、思わず自分が高校時代に、

「高値の女王様」

 と言われていたのを思い出した。

 果たして、その記憶がどのように作用したのか、自分でも分からなかった。

 住宅街と言っても、昔とは様変わりしているのだろうが、喫茶店は、昔のドラマや映画で見たものと似たような感じだった、扉を開けると、

「カランコロン」

 という重厚な鐘の音が聞こえてきて、喉の渇きを誘発しているようで、思わず、レモンスカッシュでも注文してしまいそうな感じがした。

 とは言いながら、ひなたは、レモンスカッシュを飲んだことがなかった。その感覚を思い出すような懐かしさを感じるのは、映画で見たからなのか、それとも、夢か何かで見たからだったのか分からなかったが、喫茶店というものは、今のカフェのようなところとはまったく違っていたことだけはハッキリと分かった。

 今のカフェは、チェーン店になっていて、大きな駅前であれば、チェーン店の数だけ視点があるのではないかと思うほどで、中には、出口の数だけ店を構えているところもあり、まるでコンビニとどっちが多いかということを考えさせるほどだった。

 これだけ店があるにも関わらず、店の客は結構いるのだ。団体の客も結構いるが、一人の客もかなりいる。団体客の目的はそれほど種類はないだろうが、一人でやってくる客には結構バラエティに富んだ理由があるようだ。

 昔からのパターンで待ち合わせであったり、勉強している人もいる。細菌では、ネット環境が繋がる店も多く、ノマドとして使用している人も多いようだ。ノマドというのは、何かの略語かと思ったが、

「遊牧民」

 あるいは、

「放浪者」

 という意味から来た、

「時間と場所に捉われずに働く人、あるいは、そういう働き方」

 という意味に派生していったということである。

 要するに、これらのノマドワーカーの人が、行動しやすいようになったことで、そこで仕事をこなしたり、勉強したり、趣味の時間に費やしたりということができるのだ。

 昔の喫茶店では、どうしても電源を借りることも難しく、何よりもパソコンなどのない時代であれば、ノートを持っていって、そこに書くという程度のことしかできなかったので、ノマドのような人の出現は、パソコンが普及してからになるだろう。

 何しろ、喫茶店で電源を借りようものなら、店の人に許可を得て使わなければいけない。なぜなら、勝手に電源を借りるというのは、窃盗罪に当たるからだ。それを店側も分かっているので、電源を使う人がまだ少なかった頃は、店側が圧倒的に強く、電源を使わせてはくれなかったらしい。

 一度、中学時代の担任が、授業中の雑談で、

「昔、喫茶店でボイスレコーダーの電源を借りようとしたことがあったんだよ。十数年前くらいだったかな? 私がまだ大学生で、卒論のための取材にボイスレコーダーを使ったんだけど、それを充電しながら聞きとって、原稿にしようと寄ったカフェで、電源を使っていると、どうもうまく充電できていないみたいだったので、電源が故障しているんじゃないかと言ったことがあったんだ。そしたら、勝手に使っているから、こっちで電源に電流を流さないようにしたんだ。だって、あなたのやっていることは窃盗だって言われたんだよね。今だったら考えられないことだけど、それだけノマドは肩身が狭かったし、店は立場が強かった。そして、客もそれが当然だと思っていた時代だっただけに、今の君たちがある意味羨ましいと思うんだよ」

 と言っていた。

 ひなたも、よくパソコンを持ち歩いて、喫茶店で広げて、いろいろなことをやっていることが多かった。

 大学に入って一年生の頃までは、自分は何がしたいのか、何ができると思っているのかということがよく分かっていなかったので、カフェでいたずらに時間を潰してしまうことも多かった。ネットで調べて、楽しめるものがないかということでいろいろ探していたのだ。

「スマホで探せばいいのに」

 とよく友達が言っていたが、スマホではできないことだってあるだろうと思って、スマホは本当に補助程度に使って、ほとんどはパソコンを使用していたのだ。

 最初から、

「パソコンでしかできないこと」

 という意味で探してみると、意外と限られてくるのが分かった。

 しかも、パソコンの優位性はなんと言っても、大きな画面と、キー入力の素早さである。

 どんなにスマホで入力が早くとも、パソコンのブラインドタッチに適うわけはない。それを思うと、おのずと見えてくるものもあるというもので、どんどん、視野は狭まって行った。

 ひなたが始めた趣味というのは、絵を描くことだった。デッサンのようなものと言ってもいいだろう。実際にはキャンバスや画用紙に描いたことはなかったが、ネットで見ていると、絵を描くアプリを入れれば、ペンタブのようなものを使って描けるのだった。

「それだったら、パソコンにしなくても、タブレット端末でもいいんじゃない?」

 と言われたが、

「だって、それだったら、スマホと被るじゃない。パソコンでしかできないことがあるんだから、そっちは譲れないわ」

 と言って、意見を却下した。

 とはいえ、パソコンを使って何かをしようという発想も思い浮かばなかったので、タブレットでもよかったのかも知れないが、タブレット端末はあまりにも陳腐に見えるのが嫌だった。

 元々絵を描くのは苦手だったのだが、パソコンで描き始めるようになってから、描けるようになったというのを見ていると、自分にもできるのかも知れないという気になっていた。

 そもそも、ひなたは暗示にかかりやすい方で、今ならできるのではないかと思ったことは結構できていたりした。それを可能にしてくれたのが、劇画タッチの絵をパソコンで見たからだった。

 細かい線の入れ方によって、影になったりするのを見ていると、そこから人であれば、表情になったり、その表情が感情を写し出したりしているのだ。

 絵を見る時に、細かい部分から広がっていく雰囲気と、逆に広く最初は見てから、どんどん拡大していって、焦点が一点に定まってくるというそれぞれの見方がある。

 自分がどちらなのか分からないと思っていると、とりあえず一点を中心に見るようになった。

 中心を見ることによって、絵というものが、バランスと遠近感にあるのだということに気づいたのだ。

 それはきっと、実際に筆や鉛筆などで描いた手書きの絵であれば分からなかった感覚ではないかと思うのだ。それに気づかせてくれたパソコンによる技法が、自分の絵の才能(あるかどうか分からないが}を芽生えさせてくれたのだと感じた。

 実際にアプリを入れて、パンタブを買ってきて、描いてみると、結構面白いくらいに形になっていった。

 いくつか自分で部屋にあるものなどを描いてみて、ネットの中にある、投稿無料サイトに会員登録をして、作品をアップしたりしていた、

 別にプロでもなく、販売目的でもないのだから、そういうサイトがあるのはありがたい。人によっては、批評してくれる人もいて、中には辛辣な批評をする人もいるが、何も反応がないよりもありがたい。こちらはプロではないだろうから、辛辣な批評は聞き流せばいいだけのことだった。

 友達の中には、小説を書いている人もいる、それは別に珍しいことではない。自分たちの大学は文学部なのだから、

「小説を書けるようになりたい」

 という気持ちは皆が普通に思っていることだろう

 その気持ちをいつどこで断念することになるかは、その人の性格にもよるだろう、諦めの早い人もいれば、一生懸命にやっていれば、報われると真剣に信じている人もいるのである。

 ひなたは。最初から小説という意識はなかった。大学を文学部に選んだのは、

「女の子なら文学部が多いだろう」

 という意識と、歴史が好きなので、

「歴史関係の勉強をしたい」

 という気持ちが強かった。

 三年生になれば、専攻学科を決めて、ゼミに入らなければいけない。二年生になった頃のひなたは、歴史学を勉強するという気持ちに変わりはなく、三年生では入りたいゼミも大体検討をつけていた。

 ひなたの好きな歴史は、日本史だった。

 最初に歴史を好きになったのは、中学生の頃、最初は平安貴族に憧れたからであったが、そのうちに時代が進むにつれて、戦国時代に入ってくると、戦国武将に興味を持ち始めた。そして戦国武将と同じように興味を持ったのが、城だった。天守閣を持った本格的な城から、櫓に毛が生えた程度の、ただ防衛するだけのための城、目立つことはないが、その発見された構造は、今の建築技術に勝るとも劣らないほどであった。

 何しろ当時は、守りが悪ければ、あっという間に染め堕とされる。籠城戦というのは、攻めるよりも守る方が数倍強いと言われる。そうなると、攻める方は持久戦に持ち込もうとするだろう、いわゆる、

「兵糧攻め」

 と言われるものだ。

 城では攻撃された時の防御だけではなく、籠城戦にも持ちこたえられるだけの力がないといけない。

 実際に籠城戦に持ちこたえられると、今度は援軍が来た時、攻めてを挟み撃ちにすることができる。

「戦というのは、籠城戦で一気に片が付く場合は、守る側が有利であり、兵糧攻めが始まると、攻め手が有利だ、しかしそれを持ちこたえることができれば、またしても、形勢逆転となるのである」

 と、本には書いてあった。

 それを見て。

「本当に面白いわ」

 と、まるでゲームをしているかのような感覚になってきた。

 そういえば、ゲームの中には戦国時代のものも多く、歴史が嫌いなくせに、マイナーな戦国武将の名前まで知っているのはどうしてなのかと思っていたが、それがゲームのキャラクターだったというのは、実に皮肉な気がする。

 ひなたは、戦国武将の肖像画を見ながら、ネットの絵を描くことも多かった。マネしているだけにしか見えないのが、少し気になるとことであったが、そのうちにオリジナルで描けるようになるくらいになれればいいと思うようになっていたのだ。

 歴史系のドラマや番組もよく見るので、その時に演じている俳優のイメージが頭に残っているので、肖像画というよりも、そのイメージを描くことが多い。ネットでは番組の公式サイトなどが公開されているので、絵を描こうと思えばできるのであった、

 自分では、

「番宣のための、ポスター作りをしているような感覚だ」

 と思っていた。

 そのイメージから、城の絵も描きたくなった。天守閣にはいろいろな施しがあり、それを基礎知識として頭に入れていると、どんどんイメージが膨らんでくる。最初は戦国武将が多かったが、途中からは城郭の絵を描くようになってきた。

 絵を描いていると、自分が芸術家にでもなったかのような気分になってくるから不思議だった。

 一度、パソコンで絵を描いていると、どこからか、絵の具のような臭いがしてきた。最初に感じたのは、自分の早だったのか、それともどこかのカフェだったのか思い出せない。ただ、カフェであれば、近くで工事していたり、店自体が店内改装していた可能性も無きにしも非ずであった。

 絵の具の匂いなので、シンナーのようなきつい匂いではない、ただ、印象に残る匂いであることは確かであった。

 気になるのは、その時だけではなかったことだ。パソコンを開いて絵を描こうとしているその時、どこからともなく、絵の具の匂いが感じられるのだった。

「条件反射のようなものなのだろうか?」

 と感じた。

「パブロフの犬」

 というたとえのように、梅干の匂いを嗅ぐと、唾液が出てくるという発想と同じではないだろうか。

 ただ、この条件反射というのは、いわゆる、「反射」と呼ばれる、

「無条件反射」

 とは違うものだ。

「こけそうになると、手をついてしまう」

 であったり、

「熱いものに触れた時に、思わず手を引っ込める」

 などという、人間が先天的に持っているものが無条件反射であり、条件反射というのは、経験などにより後天的に取得するものを条件反射というのだ。

 つまり、誰もが起こすことではなく、自分の経験でかつて絵を描いている時に、絵の具の匂いがしたことを思い出して、その意識の強さが、匂うはずのない匂いを感じさせたとしても、それは無理もないことであろう。

 絵を描いているから、匂いを感じたのか、それとも、匂いが頭のどこかに引っかかっているから、絵を描きたいと思ったのか。

 普通であれば前者であろうが、後者というのも絶対にないとはいえない。それが条件反射というものの力なのではないだろうか?

 カフェで絵を描くようになってから、コーヒーの匂いにも敏感になってきた。今回、バイトをしようと思ってやってきたこの喫茶店では、コーヒーの匂いは独特で、ひなたの知っている匂いではなかった。しかし、懐かしさがあるのはハッキリと分かった、サイフォンを使ってコーヒーを淹れるという昔ながらのやり方は、以前、高校の時の担任の家に遊びに行った時に、嗅いだのを思い出していた。。

 あの時は、ドキドキしていた。先生に自分の気持ちを悟られそうで怖かったからである。ずっと受験勉強だけをやっていて、先生との二人だけの時間が心地よいと思っていたのを悟られるのが怖かったのだ。

 先生が途中から、ひなたを見る目が少し変わってきた。危険な香りがするということであった。だが、それを自分から拒否することはできなかった。心の奥に、

「先生にだったら……」

 という思いがあったのも事実だった。

 実際には先生は堪えてくれたのだが、怪しい時がなかったわけではない。その時はちょうど、家族の仲のバランスが壊れかけていたからだった。

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