第31話 再びの別れ

 三十分がたとうとしていた。

 目も耳も駄目なちくわが懸命に首を持ち上げ、千絵をはっきりと見てひと鳴きした。「ありがとう」か「さようなら」か「またね」かもしれない。

 その後すぐに倒れ、意識が混濁し、走っている様な仕草を見せる。夢の中で走っているのだろうか。


次第に呼吸は三十秒に一度のペースにまで落ち、最期は口を大きく開け、嘔吐するように「カッ」と言い、呼吸は止まった。心臓も動いていない。

「ダメやね。ちくわ、よく頑張ったな」と松尾は声をかけて撫でながらボロボロと泣いた。


 ちくわの亡骸を抱きながら、千絵はなぜ涙が出ないんだろうと考えていた。

 腕に何度も大粒の水滴が滴る。汗かと思ったらそれは涙だった。こみ上げてこない、自然な涙。こんなものは初めてだ。


 約一時間後、鼻、口、肉球と血の気が引き真っ白になっていく。死後硬直も始まったので目と口を閉じさせた。その後(松尾が用意してくれた)ダンボール箱にビニールをひき、使っていたタオルと共にちくわを寝かせ、飯、おやつを入れて身体をドライアイスで冷やした。

 千絵は松尾が帰った後も一日ちくわを見て撫で続けた。時が経つのも忘れていつまでもそうした。


 翌日の昼過ぎ松尾が葬儀の予約を取り、抜け殻のようになった千絵を車に乗せ、ペット霊園まで松尾が連れて行ってくれた。

 最後の最後まで千絵はちくわを膝に乗せ離さなかった。葬儀といってもモコの時と同じく至極単純な簡易的なもので、焼香し別れをしたら火葬だ。


 松尾はずっと泣いていた。「ちっちゃくなっちゃったな」と呟く。

 各部位の説明を受け二人で骨壺に骨を入れたが、骨壺の半分にも満たない量だった。

 実感が沸かない。家に帰ったらきっとちくわがあの汚い声で出迎えてくれる。

 なぜかそう思えて仕方がない。

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