第29話 大樹
痩せ細るちくわに反して、千絵の腹は徐々に大きくなっていった。
千絵の彼氏の名前は大樹という。
常々大樹は嬉しそうに「千絵、お前妊娠したんやねーか?」と聞いてくる。
「ちゃうわ。食い過ぎただけや」といつも顔を見ずに答えていた。
日曜日千絵が作った肉じゃがを突きながらの事だ。「千絵が妊娠したら俺仕事するわー。今はせんけどなー」テレビでは若手のお笑い芸人が踊っている。今一番売れているらしいが、どこが面白いのだろう。
「なんでや?」悪阻で吐きそうな所を隠して聞いた。
「だってお前貯金あるやろ?キャバで身体売ってただけあるなー。あ、この肉固いわ」大樹はわざとのようにペッペッと排水溝に肉を吐き出す。
もう説明するのも煩わしいし、理解してもらう気も無い。
「頼むから帰ってや。千絵ちくわの事でせわしい(忙しい)ねん」
「おー、俺ゆっくり観なあかんしババアの飯食うし帰るわ」ゆっくりとは音声合成ソフトを利用したゲーム実況動画で、ババアとは母親の事だ。
「ちくわには?挨拶せんの?」この頃和大樹が家に居ると眉間に皺が固まって仕方がない。
「ちくーまたなー」と一瞥もせずに帰って行った。
緊張が解け安堵感が訪れる。
遠慮なくトイレに駆け込み肉じゃがを嘔吐した。
胃が軽くなった所、すぐにちくわの点滴や強制給餌を行う。抱きかかえると常々思うが随分と軽くなったものだ。ちくわの体重は元の四分の一程であろうか。
点滴も難しくなってきた。同じ場所に針を打つためにすっかりと固くなり、骨と皮になった皮膚を無理に引っ張り針を注射する。その時だけは少々嫌がりひと鳴きする。
「ほんまにごめんなー、ごめん、痛いなぁ、ごめんなー」五月蠅くない様に静かに声をかける。
耳は聴こえなくなっている様で、動かない。
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