第2話

 私が生まれるずっと前、シャナ達の先祖のアーネ族は地球に降り立った。

 アーネ族は地球の環境によく馴染み、人間との関わりを最低限にすることを条件に住むことを許され、人間達とは住む場所を隔てて概ね平和に共存していた。

 しかしアーネ族の心は地球に馴染んだが、体は馴染まなかった。

 大きな体に見合わず人間の胎児の半分程度の小さな卵を産むアーネ族だが、地球に移り住んでから卵が無事に孵る確率が極めて低くなってしまった。

 なんとか孵っても弱々しい子どもで、これはアーネ族の社会問題になったらしい。

 地球は好きだが子孫を増やせないならいずれ滅びる。他の星に移り住むべきでは。すぐに良い星が見つかるとは限らない。何か他の方法を模索するべきでは。そんな議論がなされる中、解決策が見つかった。

 それは卵を人間が温めることだった。アーネ族の親達が温めるより遥かに健康的に卵が孵ることが明らかになったのだ。

 それまで人間との関わりは最小限にされていた為に知られていなかったが、アーネ族は人間と触れ合う時にストレス値が下がる。

 卵もそうなのだろうと結論付けられ、アーネ族は安全に卵を孵すことが何より大事だと、自分達が差し出せるものはなんでも差し出すから人間が欲しいと訴えた。

 人間の中でも特に年長者は依然としてアーネ族に対する恐怖心があったものの、人類全体で考える少しずつアーネ族に対し好奇心が顔を出している頃でもあった。

 最初は罪人を引き渡すなどの案もあったが、世界で話し合った結果仕事という形で人間は卵に触れ合うことになった。

 卵が一つの施設に集められ人間が交代制で卵を温める、この形式は今も続けられているが、人間に満足にお金を払えない貧困層に限られる。この形式ならばアーネ政府からの支援があるのだ。

 大抵のアーネ族は卵を常に自分の目の届かない施設に預けることを嫌がるし、できれば一人の人間がずっと卵の側にいることを望む。

 だから最近は専属になっても良いと思っている人間がアーネ族に雇われるケースが増えている。

 人間の方に決定権があるから、アーネ族はいかにスマートに人自分の卵の面倒を見ることが利益に繋がるかを伝えるのだ。


 正直なところ私はアーネ族に昔から僅かな嫌悪感があったし、お金に困ってないからこの仕事をする気はなかった。

 けれど友人である莉子が産卵希望のアーネ族に会うパーティーに初めて参加することになり、一人では心細いとしつこく誘ってくるから仕方なく行くことにしたのだ。

 マッチングで選ばれて一対一で会う形式も合理的だと流行っているが、昔ながらのパーティーの方が富裕層のアーネ族が多いから条件も良いことが多いらしい。

 莉子はアーネ族に好かれるというふわふわしたファーのついた服を着ていたが、私は普段着のままパーティー会場に行った。

 着いた途端に数字の書かれた細身のチェーンを手首に丁重につけられる。

 アクセサリーみたいで綺麗だと莉子は喜んでいたけど、何故か私は友人の猫の首輪を思い出した。

 飲み物も食べ物も好きに取っていいと言われた。寒くないか熱くないか不快なことはないかと職員のアーネに気遣われる。

 一応椅子は置いてあるが、疲れた時にはアーネを伴って個室に入ることもできるのだそうだ。体調を崩した場合は奥にいる人間の医者が出てくるらしい。

 参加料金はアーネ族の十分の一しか払わないで良く、この待遇の良さならほとんど無料と同じだなと思う。

 アーネ族のひしめく空間に向かうのを少し躊躇い、今時アーネ族が街中にいることも珍しくないのにと自嘲する。

 近くの店で自分の卵の為に雇っているのであろう人間を伴って買い物をしている姿をよく見かけるじゃないか。

 どのアーネ族も皆、人間が怪我をしないように自分の卵を守るのと同じように過保護にしている。

 あんな風に壊れ物のように扱われるのってどんな気分だろうと思いながらお勧めの飲み物を聞いているうちに莉子はさっさと歩いて行ってしまう。

 甘いものが好きで少し食べるだけで体重が増えやすく柔らかでふくふくとした笑顔がいつも愛らしい莉子はすぐさまアーネ族に囲まれた。

 ああ、ふくよかな方がアーネ族には好かれるんだっけ。確か卵を温めるのに向いてるとか。

 莉子はこの前、勇気を出して告白したのにスタイルが好みではないと断られていたから嬉しいのかもしれない。

 私は告白に対していちいち容姿のことを言う人なんてろくな人じゃないと言ったのだけど、莉子は結構気にする方だから。

 果実酒を呑んでいると三つ目のアーネが私に近寄ってきた。



「それはお酒かな? 身体に毒だろうに。ここにいるからには君も私達の子を温めたいと思っているのだろう? 大事にしなければ」



 初対面なのに親しげに話しかけられて眉を寄せてしまう。初対面でたかだか飲酒にとやかく言われる筋合いはない。



「……お酒で体温が上がるから喜ぶ方もいると聞きましたけど」


「ああ、それは君たちの脆く柔らかな肌で温めるだけならば、そうだろうね」



 意味深な答えはきっとそれ以上のことを求めているのだろう。

 人が近くにいて話しかけたり温めたりするだけでアーネ族の卵は孵りやすくなるけれど、それ以上に効果的なのは人間の体に卵を埋め込んでしまうことだ。

 手術が必要で、拒絶反応を起こすこともある。後遺症が残ったニュースもたまに聞く。昔は多くの人が死んだそうだ。

 年々技術は発達しているが、それでも人間側に負担が大きすぎるからアーネ側から頼むことはできず、人間の好意による申し出を待つことになっている。

 私は小学生になったばかりの頃、貧困層のアーネにお菓子をあげるからと卵を埋め込まれそうになったことがある。

 すぐ大人に助けられてそのアーネは逮捕されたけど、その頃の私は自分が何をされそうだったのかよくわかっていなかった。

 成長するにつれて理解してゾッとした。あのまま着いて行っていたらと思うと夜も眠れなかった。実際腹を切り裂かれる夢を何度も見た。

 あのアーネは人間の子どもを死なせてでも自分の子どもを生かしたかったのだ。そのことがとても怖かった。だって本能に突き動かせる獣のようじゃないか。

 このアーネは自分の地位ならば仄めかす言葉を言っても構わないと思っている。堪らなく不快だった。

 あなたはあの時のアーネと何も変わらないと言ってやりたい。きっとこのアーネはひどく不愉快な顔をするだろう。見てやりたいくらいだ。



「従業員なんかと話してないで、こっちにおいで。それともこの従業員に誘われていたの? 人間の望む姿も与えられるものも持っていないというのに」



 十六個の目を持つ従業員のアーネが見下ろされている。ただ親切にしてくれただけなのに、なんて言い方だろう。こんなアーネの卵を温めるなんて幾ら金を積まれても嫌だ。

 従業員が可哀想で、これ以上酷いことを言われないようにその場を離れるために首を振る。



「いえ、ただ飲み物を貰っていただけで」


「それはよかった。私は君が気に入ったよ。芯が強そうだ。きっと卵を途中で投げ出したりはしないだろう」



 そもそもあなたの卵を温めたりしない、とはさすがに言えない。

 どうしたものか、と思って莉子を見るがどうやら彼女は既に候補を見繕った後のようで、三体のアーネから口説かれるのを真剣な顔で聞いていた。



「おや、あのアーネが気になる? 変人と思われたくないのなら、やめておいた方がいい」



 莉子の向こう側の窓辺で一人佇んでいるアーネを見ていると勘違いされたらしかった。

 小馬鹿にするように笑うのはあのアーネの目が一瞬見ただけでは数え切れないほど多いからだろう。



「いくらお金と地位があっても人間相手にあの見た目ではね。滑稽だね、ここはアーネ族のお見合い会場じゃないのに」



 私から見ればあなたもあのアーネもさほど変わりませんけど、と思いながら「友人と来てますので」と言って離れようとすると、するりと毛を絡められた。



「私の何が気に入らないんだ?」



 本気で不思議なのだろう。誰もが金さえ払われれば喜んで自分の身体を切り開いて卵を大事にしまい込んでくれるとでも思っているのだろうか。



「人間は模様があるのが好ましいと聞いたけど? ああ、毛の色かな? 君のためなら染めてもいいよ」



 三色に分かれた毛並みが自慢なのか、人間でいうと恐らく胸に当たる部分を逸らしながら言う。



「あなたは見た目で卵を温める人間を選ぶの? 中身の脂肪分の多さの間違いでなくて? そうならば私も見た目でなくて『中身』で選ぶわ」



 私の嫌味に絶句しているアーネを置いて窓辺のアーネに近づく。

 莉子に近寄っても迷惑だろうし、どうせ時間を潰すためにアーネと話さなきゃいけないのなら、少しでも偉ぶってない人がいい。



「ねえ、あなたは声をかけないの?」



 そのアーネのずらりと並ぶ二十八の目の半分が私を見た。

 ぞわ、と感じたことのない感覚が身体に走り抜けたのをよく覚えている。これがシャナとの出会いだった。



「……どうせ私は人間に好かれない」


「どうして?」


「……言わなくてもわかるだろう」



 投げやりな態度は私を接待しようとはしていなくて、その素直さに惹かれた。



「わからない。だって私はあなたに興味がある。私って人間じゃなかったのかしら」



 多分シャナも私の言葉に興味を持ってくれたのだと思う。

 今度こそ全ての目を私に向けて、他のアーネの目に止まりにくい端に移って話が始まった。といってもほとんどシャナばかり喋っていた。



「大体アーネは元々目が多い方が良いとされる文化を持っていたんだ。具体的には二十を超える者は特に重宝されていた。だけど人間は何故か少ない方がいいって言うだろう? 敵がいる場合多い方が絶対にいいのに! 少なければ少ないほど喜ばれるんだ。でも何故か一番少ない『一つ』はさほど好かれない。『二つ』が一番いいんだ。わけがわからないね」



 少し慣れるとシャナはペラペラと話し始めた。人間に媚びる風でないのも好ましかった。

 シャナの言っていることは本当だ。目が多いと怖さが勝つ人が多く、少ない方が「猫っぽい」と好かれるのだ。

 アーネ同士の場合は多い方が「モテる」と聞いたことがあるけど。

 こんな場でこれだけ好き放題に言えるなんて、と思わず笑ってしまう。



「かわいい」


「は?」


「あなたって本当に可愛いから、あなたの産んだ卵なら、きっと同じように可愛らしいんでしょうね」



 さっきシャナは友人に無理やり連れて来られたけど、その友人はさっさと人間を見つけて個室に入ったと言った。

 卵を温めてもらいたくないわけではないが、どうしてもと思っているわけでもないとも。

 卵を産んで子どもを育てるだけが人生じゃないからと、その言葉があったからこそ「この人ならばいい」と思えた。



「私が温めてあげる」



 そうして私はシャナに雇われることになったのだ。

 今でもシャナはよく喋るけど、本当にリラックスしている時はただ黙って私を抱いていることもよくある。

 私が慣れるためにと卵を産む前から雇ってくれているからできることだ。

 もうすぐシャナは卵を産む。その卵を大事に大事に温める日のことを私は心待ちにしているのだ。

 シャナの卵に真っ先に触れられるのが私だと思うと楽しみで仕方なかった。

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