五目炒飯

増田朋美

五目炒飯

暑い日だった。本当に疲れてしまいそうな、暑い日だった。暑いときには、どうしても麺類が食べたくなるものであるが、日本人の好きな麺類というと、そばかうどんなどが候補に上がるのだけど、それ以外の麺類も、日本の食卓には並ぶのである。そうなると、日本人は結構グルメな民族なのかもしれない。

その日、杉ちゃんは製鉄所で、咳き込んでいる水穂さんの背中を擦ったり、叩いたりして内容物を出しやすくしてやったりしていたのであるが、水穂さんは咳き込んだままだった。もういい加減にしろとか、杉ちゃんなら平気で言えるのだろうが、他の人であれば、絶対に朱肉みたいに真っ赤に染まった液体が噴出するのを眺めたら、絶対目をそむけてしまうだろうなと思うのである。

とうとう、咳き込んだ中身が溢れ出して、ああほらほら、と言いながら、杉ちゃんが内容物を拭き取った。由紀子は、杉ちゃんが、勇敢に吐き出した血液を拭き取るのを、ずっと眺めていた。

「あーあ、これではいつまで経っても回復しないんだよねえ。もう食べないからそういうことになるんだよう。そうじゃなくて、ちゃんとご飯を食べるってことをしないとね。」

杉ちゃんは拭き取ったちり紙を捨てながらそういった。由紀子は、苦しそうに咳き込んでいる水穂さんを眺めて、なんだか可哀想だと思った。

「こんにちはあ。イシュメイルです。ラーメンを届けに参りました。」

と、製鉄所の入り口から声がした。

「イシュメイル、ぱくちゃんか。こんな暑いときに、ラーメンなんか誰が注文した?」

と、杉ちゃんが言うと、

「私よ。」

由紀子は小さな声で言った。

「どうしても、食べてもらいたくて私が先程アプリで注文したんです。」

「はい、五目冷やし中華2つと、水穂さんに五目炒飯を一つ。」

ぱくちゃんは持ってきたラーメンの箱を開けた。それと同時にお邪魔しますと言って、女性が一人入ってきた。なんだか、背丈こそ大人の女性の大きさなのであるけれど、なにか事情がありそうな、そんな感じの女性だった。

「真由美ちゃん、冷やし中華とチャーハンを出してあげて。」

ぱくちゃんがそう言うと、真由美ちゃんと呼ばれた女性は、ラーメンの箱をすぐに開けて、

「はい、これ何処に置きましょう?」

とチャーハンのお皿を出した。

「あれ、ぱくちゃんいつから弟子を取ったの?彼女の名前は?」

「望月真由美ちゃん。先月から、僕の店で働き始めたんだ。なんでも、ラーメンの作り方を勉強したいってさ。僕も初めて弟子をとったので、ちょっと照れくさいな。」

ぱくちゃんがそう言うと、女性も小さい声で、

「望月真由美です。よろしくお願いします。」

と、小さい声で言った。

「ハイハイ。僕は影山杉三で、こっちは、親友の今西由紀子さん。そして、こっちに居るのは、磯野水穂さん。よろしくな。」

杉ちゃんが、彼女に三人を紹介すると、水穂さんも由紀子も、よろしくお願いしますと言って頭を下げた。真由美さんは、しばらく呆然とした顔で水穂さんを見ていたが、

「はい。よろしくお願いします。」

と頭を下げた。

「それでは、みんなで、ここで食べちゃおうか。どうせ他の家によっていく予定もないんでしょ。だったら、少し待っていてくれれば、すぐお皿は返却できるから。」

と、杉ちゃんが言った。そして、にこやかに笑って、いただきますと言って、ぱくちゃんに渡された割り箸をとって、冷やし中華にかぶりついた。由紀子も、冷やし中華を食べたかったが、由紀子はそれより先に、チャーハンをお匙にとって、水穂さんにたべさせようとしたが、水穂さんは顔を反対の方へ向けてしまった。由紀子は、もう一度お匙を水穂さんの口元へ持っていくが、食べようとしない。由紀子は、水穂さんの口へお匙を無理やり突っ込むと、水穂さんは、苦しそうに咳こんで吐き出してしまった。中華麺を頬張りながら杉ちゃんが、

「ああ、だめだこりゃ。」

とすぐに言った。水穂さんは更に咳き込んでまた内容物を出してしまった。由紀子は急いで水穂さんの口元を拭いてあげた。

「なんだか、昔のカップルで言えば、ショパンとサンドみたいですね。」

不意に真由美さんという女性が言った。

「もう変な例え話はしないでくれ。それより、水穂さんに、なんとかして食べて貰わないと、困るんだよ。」

杉ちゃんに言われて、由紀子も、困ってしまったようであった。ぱくちゃんが、

「せっかく、心を込めて作った料理を、そうやって吐き出されては困るな。」

と、言ったけれど効果なしで、水穂さんはご飯を食べようとしないのだった。

「水穂さん、口がまずいのか。それとも食べようとしないのか?それともご飯を口に入れると吐き出したくない理由でもあるのかい?黙ってないでちゃんといいな!」

杉ちゃんに言われるが、水穂さんは咳き込んでいた。由紀子が水穂さんに、吸い飲みを渡して、中身を飲ませてくれて、やっと咳き込むのをやめてくれた。薬には眠気を催す成分があったのか、水穂さんは咳き込むのをやめてくれた代わりに、静かに眠ってしまうのだった。

「やれれ。結局、薬で腹いっぱいか。そして、このチャーハンは手もつけずか。せっかく由紀子さんが注文してくれたのにね。」

と、杉ちゃんが言うと、由紀子は目にいっぱい涙をためて、泣き出してしまうのだった。

「由紀子さんが悪いわけじゃない。お前さんが泣いても、彼は食べようとしてくれる訳じゃないんだぜ。まあ、ホント、これをなんとかするのには、専門家の手を借りなければならないかもしれない。」

杉ちゃんがでかい声で言った。

「本当だ。僕からしてみれば、ご飯を食べないなんて、最高のわがままだよ。僕たちウイグルの間では、ご飯なんて、天からの授かりものだったのに。」

ぱくちゃんは、いかにも少数民族らしい言い方を始めた。

「僕らの村では、さつまいも一個食べるだけで、ほんとに嬉しかったのに。」

「あの、ちょっとよろしいですか?」

と、真由美さんと呼ばれた女性が言った。

「私の知り合いで、セラピーを受けて成功した人がいるんです。水穂さんとは、理由が違うかもしれませんが、彼女はダイエットのつもりで、ご飯を食べなくなったそうです。それで、どんどんダイエットにハマってしまって、ご飯を食べないで当たり前だと言ってしまうほど、ダイエットしすぎていて、ついには、体重が25キロまで落ちてしまっても、平気な顔でいたんだそうで、それでご家族が、彼女にセラピーを受けさせました。セラピストの先生とも協力して、彼女は、食べるということを再開するようになって、ついには一番嫌っていたとんかつも食べるようになったそうです。」

「はあ、それが何だって言うんだよ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「ええ。ですから、水穂さんも同じ事をさせればいいと言うことです。その知り合いに紹介すれば、きっとセラピストの先生を紹介してくれると思いますよ。」

と、真由美さんは言った。

「セラピーって具体的にはどういう事をするんだよ。なんか超能力みたいなことして、水穂さんにご飯を食べさせるってやつか?そんなもん、高いお金ばっかりとって、どうせ碌なやつじゃないさ。」

と、杉ちゃんは反論するが、

「いえ、そういうことではありません。アメリカとか、そういうところでは、普通に保険で診療できる治療法です。日本では、精神医療というと、薬だけと思われているようですけど、アメリカとかでは、いろんな治療があるんです。例えば、交流分析療法とか、箱庭療法とか、そういうふうに。だから、水穂さんにも、それを受けてもらえば楽になれるんじゃないかしら。」

真由美さんはそれを嬉しそうに言った。

「あーあダメダメ。そういうのはね、ちゃんと身分が保証されているやつじゃないとだめなんだよ。水穂さんみたいに、日本の歴史に取り憑かれて行きているようなやつは絶対変えられない現実にぶち当たるから、それは無理。」

今度ばかりは、由紀子も杉ちゃんに賛同するしかなかった。そういうつらい現実に当たらせてしまうのは、水穂さんには可哀想な気がするのである。

「私、先生に連絡をとってみます。ご飯を食べないということは命に関わることだし、体を維持するために必要なことだから、大至急食べさせることが必要ですよね。」

真由美さんは、すぐに立ち上がって、スマートフォンで電話をかけ始めた。杉ちゃんが思わず待って!と声をかけるが、車椅子の杉ちゃんには、それを止めることができなかった。由紀子も、思わず彼女を止めようとして立ち上がろうとしたが、ぱくちゃんに腕を掴まれてしまい、それはできなかった。

「水穂さんには、セラピーを受けてもらうことが必要だ。だったら、真由美ちゃんに任せたほうがいい。ご飯を食べないってことは、僕は社会への反抗のような気がするんだよね。」

いつもヘラヘラしているぱくちゃんが、そういう事を言うのであるから、きっと水穂さんの持っている問題は、深刻なのだろうと由紀子は思わざるを得なかった。

「でも、水穂さんには事情が。」

由紀子はそう言うが、

「いや、僕たちウイグルも、大変バカにされているけど、ご飯をたべることはちゃんとしてるからね。いくら貧しくても、不自由でもご飯はちゃんと食べなくちゃ。もし、意図的に食べないんだったら、意識の書き換えをやってもらわなければね。」

ぱくちゃんにそう言われて、由紀子は黙ってしまった。なんで、水穂さんに、改めて辛かった過去というか、身分制度の事を感じさせなければ行けないのだろうか、それが可哀想でならなかったのである。由紀子にしてみれば、もうそのことで苦しむことはなく、静かに毎日を過ごしてもらいたいと思うのであるけれど。

「今、先生に連絡が取れました。明日、来てくれるそうです。ちゃんと私の方から、事情を話しておきますから、水穂さんの経歴や、学歴などを教えてもらえないでしょうか?」

真由美さんは、四畳半に戻ってきた。

「先生ってどんな人?」

杉ちゃんがそう言うと、

「はい。北野まひる先生です。」

と、真由美さんは答えた。

「北野まひる?あのテレビで有名な療法家ですよね?」

由紀子は思わず言ってしまう。

「ええそうです。確かにテレビでは有名な方ですけど、ちゃんと普段はこういう困っている人の治療に当たっているんです。」

「それで治療費はお幾らですか?」

と、杉ちゃんが言うと、

「ええ、それは北野先生から直接お話があると思います。大丈夫明日はテレビ出演の話も無いそうですから、来てくれますよ。大丈夫。私達に任せてください。それより、水穂さんの経歴や学歴を北野まひる先生にお話したいので、教えてもらえませんか?」

真由美さんは言った。由紀子は、今ここで水穂さんの事を言わなければならないという重大な事件に立ち会わなければならないなんて、本当に悲しい気持ちになってしまった。

「まあ、正直に言えば、正式名称は、磯野水穂さんで、旧姓は右城だ。旧姓のほうが結構知られている。学歴は、桐朋学園大学音楽学部。あとは、悪いけど、そういうことだけにしてくれ。」

杉ちゃんがそれだけ言った。

「わかりました。じゃあ、皆さんは、水穂さんの学生時代とか、そういう事はご存知ないんですね?」

真由美さんがそう言うと、

「いやあ、そこまでの事はよく知らないよ。」

と、杉ちゃんは言った。

「それなのに、こんなに一生懸命世話をしてるの?」

真由美さんは杉ちゃんに聞いた。

「そうだよ。」

と、杉ちゃんが単純素朴に答えると、

「へえ。そうなんですか。皆さんは、水穂さんを世話して、水穂さんからなにか報酬をもらっているわけではありませんよね。それなのにどうしてそんなことができるの?普通の人間であれば、できないと思うけど。現にサンドもショパンの事を、最後まで看病することはできなかったのよ。そうなると思うんだけど。」

真由美さんは言った。

「ああ、それは僕が歩けないのと一緒で、そういうふうにしてやらないと水穂さんが生きていけないから、そうして居るんだよ。それだけのことだぜ。」

と、杉ちゃんは平気な顔で言った。

「そうなんですか。でも何か事情があるのではないですか?そういう事情が無いと、無償で彼を世話してやることはできないでしょう?」

真由美さんはそう言うのであるが、

「まあ、歴史的な事情としておこうかな。」

と、杉ちゃんは言った。

「そうそう。僕が、ウイグル人として、差別されたのと一緒だよ。」

ぱくちゃんも急いでそう言った。

「今でも、差別されている民族はいっぱいいるじゃない。ユダヤ人とか、クルド人、最近ではロヒンギャみたいな人も居るじゃないか。そういう人と同じだよ。」

「へえ、そうなの?でも、水穂さんの出身地は、北海道でもないし、沖縄でも無いでしょう?」

彼女は、そう聞いた。

「ええ。それは無いよ。」

ぱくちゃんがそう言うと、真由美さんは、

「それじゃあおかしいわね。何処かの外国のハーフとかそういう人だったのかしら?でも、中東系でもなさそうだし、その顔から見ると、ヨーロッパ人にちかい顔つきのようだから、それも違うのでは?」

と言った。どうやら真由美さんという人は、細かいことまで気にしてしまうというか、そういうことだったらしい。もしかしたら、それは発達障害とか、そういうものに当たるかもしれない。そんな雰囲気もある女性だった。

「それではヨーロッパで嫌われていた人たちの子孫だったということかしら?バスク人とか、そういう、、、。」

そういう真由美さんは、なにか考える仕草をしていたのであるが、由紀子は、水穂さんの事を根掘り葉掘り聞きたがる、この女性のことを悪質な女性なのではないかと思ってしまったのだった。由紀子は、彼女が連れてきてくれる、有名なセラピストというのも、多分水穂さんの事情を理解することはできないなと思ってしまうのだった。

「いやあ、日本の歴史ってのは、難しいんだよ。ヨーロッパみたいに、いろんな民族がいてそれでいいで済む国家じゃないからね。日本は、ずっと同じ王朝が続いてきた国家ではあるが、それをしたいために異民族は徹底的に潰してしまうということも、学んで置こうね。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。

「そうそう。異民族で貧しかった人がスターになったケースはいっぱいあるでしょ。そういう境遇で俳優になったりした人だっているじゃない。具体的に誰なのかは、名前を上げるときりがないけどさ。まあ、こういう着物を着て、生活しなければならない事を、ちゃんと知っておくことだね。」

杉ちゃんは眠っている水穂さんの着物の袖をちらりと見せた。

「これ、何ていう着物で誰が着ていたか知ってるか?他の一般的な着物とはちょっと違うくらい、お前さんは知ってるよな?」

「いいえ、わかりません。」

真由美さんはそう答える。

「なんで?お前さんは日本の歴史の事は殆ど知らないの?」

杉ちゃんがそう言うと、

「ええ。大学では、ヨーロッパの歴史ばかり勉強していて、日本の事は殆ど聞かされてきませんでした。今でも、習ったことはレポートに書いたりしてましたからよく覚えてますけど、日本の歴史は、、、。」

と、真由美さんは答えるのだった。

「馬鹿だねえ。日本人でありながら、ヨーロッパの歴史ばっかり勉強して、西洋文化ばかりに憧れるなんて実に馬鹿だ。それだから、日本の学生は、役に立たない人材になるんだな。まあ、そこらへんは、お前さんも本でも読んで勉強してみろ。お前さんはそうすれば、簡単に人に治療を頼めなくなるぞ。」

杉ちゃんに言われて、真由美さんはちょっと嫌そうな顔をした。もちろん杉ちゃんの実に馬鹿だという言い方は、ちょっと問題があるとは思うけど、でも、由紀子はそれと同じくらいの感情を持ってしまったのであった。

「ごめんなさい。だけど、勉強することは大事なことでもあるからと思って勉強してきたんですが。」

真由美さんはそういうが、由紀子は本当にじれったいというか、そういう彼女に、なんとか真実を伝えなければならないなと思ってしまって、早口に真由美さんに言った。

「異民族とかそういうものじゃないわ!水穂さんのような新平民と呼ばれた人は、ずっと銘仙の着物しか着られない、貧しい暮らしを強いられてきて、医療費を作ることだって難しかったし、ましてや音楽学校に行くことだって難しかったのよ!だからこそ、今こうして苦しんでいるんじゃないの!」

「由紀子さん。もうそこまでにしておきな。どうせ、ヨーロッパの歴史ばっかり学んでいるやつは、日本が好きではなくて、西洋文化ばかり憧れているやつだから、話をしても通じないよ。」

杉ちゃんにそう言われて、由紀子は涙が溢れ出してしまった。

「そうだねえ。漢族とウイグル族が仲良くということは、何年経ってもできないのと同じことだ。」

と、ぱくちゃんも、ハアとため息をついていった。

「でも私は、水穂さんが可哀想で。そういう、偉い人に引き渡しても、治療してくれるなんてできやしないってわかっているから、それを知らないで、偉い人に見せるのは本当に悲しくて。」

由紀子は、涙が流れ落ちるのではなくて、一本の線になって出ているような感覚に陥りながら言った。

「そうなのね。」

真由美さんは言った。

「ごめんなさい。日本の歴史的な事情があるんだと言うことはなんとか理解できた。それと同時に、あなたが水穂さんのことを、心から愛していることもわかったわ。あなた、まだ恋愛したこと無いでしょう?それなら、あたしもあなたに教えてあげる。好きな人ができたら、本当の気持ちをすぐに打ち明けるべきなのよ。それは、民族がどうのとかそういう事は関係ないの。人に打ち明けることは大事なことなのよ。」

「そんな事できたら苦労しないよ。なあ、由紀子さん。」

杉ちゃんがそう言うと、由紀子は線になっていた涙を拭くのを忘れて黙って頷いた。

「まあ、人間だから、そういうことでもあるんだな。難しいねえ。」

ぱくちゃんはみんなが食べ終わった、ラーメンのお皿を片付けながらそういったのだった。まだ五目チャーハンはたくさん盛られて居るままだった。






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五目炒飯 増田朋美 @masubuchi4996

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