銀貨

西順

銀貨

 銀貨を拾った。記念銀貨だろうか? 普通に道端に落ちていたのだ。表には知らないオッサンが浮き彫りされていて、裏には見た事の無い文字が刻印されていた。


 興味をそそる代物ではあったが、日本の道端で普通は落ちていない物だ。俺はスマホで写真を撮るに留まり、それを近くの交番に届け出た。日本の法律では、運良く3ヶ月以内に遺失者が現れなければ、俺が拾得者としてこの銀貨を自分の物とする権利が得られる。それを期待してみた。


 3ヶ月の間に、スマホの写真からこの銀貨について調べてみた。日本の記念銀貨で無い事は分かり切っていたので、まず裏面に刻まれた文字が、どの国や地域で使用されているものなのか調べてみたが、どの国や地域でも使われていない文字である事が分かっただけだった。


 次に表面に浮き彫りにされているオッサンを画像検索に掛けてみたのだが、これにも引っ掛からなかった。となると、いたずらで造られた物なのだろうか? それにしては銀貨はやり過ぎではないか?


 いたずら? お遊び? ゲーム? もしかして何かのゲームで使用されるアイテムじゃないか? 例えば流行りの脱出ゲームとか。と国内の脱出ゲームなんかの体感型ゲームを調べてみたが、該当する文字を使用しているゲームは無かった。


 ◯ ◯ ◯ ◯ ◯


「どうしたんだ? 馬田」


 大学の講義室でスマホとにらめっこしていたからだろう。友人の鹿谷が俺の前で手をパタパタさせる。鬱陶しいな。と思いながら、俺は鹿谷にスマホの画面を見せ、事の経緯を説明した。


「へえ。未知の言語が刻まれた銀貨か。なら言語学の鴨下教授を訪ねたらどうだ? あの教授、古今東西の言語を調べているからな。この間の講義も、イースター島の謎言語の話で授業時間が潰れたよ」


 そう言えば鹿谷は選択科目で言語学を取っていたっけ。鴨下教授か。他の教授や講師たちからも一目置かれる変人と噂の人物だが、一人で調べても埒が明かないとは思っていた。ここは背に腹は代えられないと思って、教授に助けを乞うか。


 ◯ ◯ ◯ ◯ ◯


「教授、宜しいですか?」


 ノックを済ませた鹿谷は、勝手知ったると言った感じで、鴨下教授の研究室にズカズカ入っていった。それに続こうとして、俺はいきなり躓きそうになった。部屋が本で埋もれていて、それが足下まで埋め尽くしていたからだ。良く鹿谷はこの中をスイスイ進めたものだ。と思いながら、俺は足を大きく上げ下げしながら、なんとか鴨下教授の元まで辿り着いた。


「君が馬田くん?」


 ボサボサ頭に眼鏡の教授は、隈のある目で椅子に座りながらこちらを見上げてきた。それが睨んでいるようで一瞬気が引けた。が、


「ふああ〜〜」


 鴨下教授は俺になんて興味無いのだろう。欠伸をして手を差し出してきたのだ。


「え? はい」


 と俺が握手で応えると、その手を振り払われた。


「違うよ。何か僕に見せたいものがあるんだろう?」


 どうやら教授は俺との用などさっさと済ませてしまいたいらしい。それはそうか。と俺は銀貨の写真を教授に見せた。すると、


「これをどこで?」


 と食い付いてきたのだ。


「いや、先日道端に落ちていまして」


「道端に? これが? 現物は?」


「警察に届けましたけど」


「馬鹿か君は!?」


 馬鹿って! 確かに俺は馬田と鹿谷の二人で馬鹿コンビと呼ばれているけど、面と向かって言わなくても。


「いや、済まない。つい興奮してしまったな。僕の悪い癖だ。そうだな。本物ではなく、ゲームに使われている可能性もなくはない」


「そこら辺の可能性はもう俺が潰しているので、無いと思いますよ」


 と俺が言えば、あからさまに肩を落とす鴨下教授。そんなに実物を見たかったのか。


「この銀貨ってそんなに貴重だったんですか?」


「馬田くんだったね。君はヴォイニッチ手稿と言うものを知っているかな?」


 そんな名前初めて聞いたので、俺は首を左右に振った。


「1912年にイタリアで発見された古文書でね、名前は発見者で古書蒐集家のヴォイニッチ氏にちなむ。内容は多岐に渡るが、植物に関しての絵が多く描かれており、そこに添えられている文字は未知の文字だ」


「その未知の文字が、この銀貨に刻まれていたと?」


 首肯する鴨下教授。


「このヴォイニッチ手稿の最初の持ち主は錬金術師だと言われていてね、このヴォイニッチ手稿にはその錬金術の精髄が書かれているとも言われているんだ」


「錬金術の精髄?」


「賢者の石だよ」


 それは様々なフィクションに出てくるから、俺でも名前くらいは知っている。なんか凄い石だ。


「まあでも、そうなると誰かが趣味で作った創作物の可能性の方が高くなってきましたね。俺が拾った銀貨は、凄え綺麗で未使用品って感じでした。古物品なら錆びてますよ」


 金貨ならともなく、銀貨は錆びるからな。


「実はそうとも言えなくなってきているんだ」


 俺の発言は鴨下教授に否定された。


「近年になってこれと同種の物が北イタリアで見付かってね。そこからヴォイニッチ手稿の一部が解読されたんだ」


 マジで?


「その銀貨の側面に、ヴォイニッチ手稿が書かれた15世紀のイタリア語で文字が刻まれていたんだ。それが裏面の文字に対応していたんだよ。ロゼッタストーンと同じ仕組みさ」


 成程、側面にまで注意は向かなかったなあ。


「しかもその銀貨も、馬田くんが見付けた物と同じく、未使用品のように綺麗だったそうだが、何をやっても傷付けられない、不思議な銀貨だと言う話だ」


「そんな凄い代物だったんですね」


「はあ。せめて側面の写真があれば……」


 まあ言語学者からしたら喉から手が出る程欲しい逸品だったのは分かった。


「一応、拾得物として届け出たので、もしかしたら3ヶ月後には俺の持ち物になるかも知れないので、その時にでも……」


 と口にした所でスマホが鳴った。しかも警察からだ。出れば、あの銀貨の持ち主が現れたと言う。しかも三人。内二人は外国人だそうだ。それぞれが自分こそが本物の持ち主だと主張していると言う。


「どうやって主張しているんだい?」


 鴨下教授が険しい顔で俺に尋ねてきた。なのでその旨を警察に伝えると、銀貨の写真を三者とも持っていたのだと言う。


「行こうか、馬鹿コンビ」


 これを聞いた鴨下教授は立ち上がると、俺たちを連れて件の交番へと向かったのだ。


 ◯ ◯ ◯ ◯ ◯


「全員違いますね」


 鴨下教授は交番に着くなり、遺失者を名乗る三人の写真を強引に見せて貰い、全員を偽物だとバッサリ切り捨てた。


「この写真は近年北イタリアで見付かった類似品の写真で、今回馬田くんが届け出た拾得物とは文字列が違います」


 こんな感じである。切り捨てられた三人は、警察に睨まれてその場から早々に逃げ帰り、警察からの信頼を勝ち得た鴨下教授は、ちゃっかり今回の銀貨を直接見せて貰い、表面、裏面、そして側面の写真をきっちり撮って研究室に戻ってきた。


「ふふふ。これは面白くなってきた。馬鹿コンビ。3ヶ月後にはヴォイニッチ手稿が収蔵されているアメリカのイェール大学に行くから、それまでに金を貯めておき給えよ」


 鴨下教授のこの言葉が実現する事に、そしてヴォイニッチ手稿を巡る陰謀に巻き込まれる事に、3ヶ月後の俺たちは戦々恐々とするのだった。

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