1章・旅の始まり

第6話

 微睡みの中、ドアをノックする音がはっきりと耳に入って目を開く。もう学校の時間か………と思ったけれど、見慣れない部屋が目に映って、一瞬だけ思考が止まって………すぐに昨日の事を思い出し、あれが夢じゃなかったのだと思い直す。正直、あれだけ非現実的な事が起こっていたのだから、夢の可能性だって捨てきれていなかった。

 お腹に乗る重みに視線を降ろすと、そこにはルナが私のお腹の上で丸くなりながらこちらを見ていた。


「おはよう。よく眠れた?」

「………うん、おはよう」


 実は、これが夢でなかったことに少しだけホッとしていた。もし夢だったなら、起きればきっと両親がいて、学校を抜け出した私をこれ以上ない程怒っただろうから。あれ、そういえばさっきドアをノックされた音が聞こえてたような………?


「起きてるかい?」

「あ、はい!今起きました!」

「そうかい。昨日は何も食べてないんだろう?朝食の時間だから、早く食堂においで」

「分かりました!ありがとうございますっ!」


 そういえば、この世界に来てから何も口にしていなかった。人間は食べ物が無くても3週間は生きていられると聞いた事があるけれど、色々とカロリーが高い日だったからお腹は減っている。それにしても、どうして女将さんは私がご飯を食べていないって分かったんだろう?

 そんな話はしていないはずだけど………うん、してない。ちょっと気になったけど、女将さんはもう部屋の前からいなくなってるみたいだ。後で聞いてみようかな。

 私は私はベッドから出て姿見の前に行く。やっぱり、その姿は昨日までの美羽とは全くの別人のままだった。ちょっとだけ跳ねている髪の毛を手櫛で梳いて、簡単に整えるとルナが私の肩に跳び乗る。

 そのまま私は部屋を出て、ロビーに着く。しかし、カウンターに立っていた女将さんは私を見て硬直する。まぁ、そうなるよね………


「………あんた、誰だい?」

「驚かせてごめんなさい。私はアリスです」

「………何の冗談だい?」


 未だに信じられないと言うような女将さん。全くの別人と言っても良いのだから、それも仕方ないかもしれない。それでも声とか顔は変わっていないらしいから、全くの嘘だとは思っていないみたいだけど。


「えっと………ちょっと事情があって、昨日は魔法で姿を変えていたというか………」

「そうかい………まぁ、深くは聞かない事にしておくよ。さっさと朝食を食べてきな」

「………なんで私がご飯を食べていないって分かったんですか?」

「あんなに疲れた顔をしていたからね。そう言うのは沢山見て来たのさ。ほら、さっさと行きな」

「えと………ありがとうございます」


 私は小さく頭を下げて、ロビーから続く食堂の方に入る。やっぱり朝食の時間は人が一番多いのか、そこそこ広い食堂の席は見渡す限りの殆どが埋まっていた。今更ながら、姿が変わった私を周りに見られると言うことが恥ずかしく感じてしまって、咄嗟にローブのフードを被って顔を隠す。すると、それを見たルナは不満そうな声を上げる。


「ちょっと。なんで顔を隠してしまうの?勿体ないわ」

「だ、だって………」

「あら、お客さん?昨日お泊りになったの?」


 ルナとそんなやり取りをしていると、私と変わらない程度の少女が声を掛けてくる。一瞬だけ何故声を掛けられたか分からなかったけれど、その服装が可愛らしい給仕服なのを見て、彼女がここで働いていると言うことに気が付いた。


「あ、はい………えと、こんな所に立ってたら邪魔ですよね」

「気にしないで。この宿は初めてでしょ?最初は空いてる席を見つけるのも大変だから。空いてる席に案内するから、付いてきて」

「あ、ありがとうございます………」


 私は食堂の奥の方に案内され、その途中で少女が声を掛けてくる。


「私はアイラ。お父さんとお母さんのお手伝いでここに働いてるんだ。あなたは?」

「アリスです………」

「じゃあアリスちゃんって呼ぶね?後、あなたも敬語使わなくてもいいよ?そんなに歳も離れてなさそうだし」

「あ、いえ………慣れたらで………」

「そっかぁ………」


 少し残念そうに呟くアイラさんに付いていくと、一番奥の方に空いている席があった。彼女にお礼を言ってそこに座ると、アイラさんは不思議そうに私の顔覗き込んだ後に小首を傾げる。


「なんでフード被ってるの?綺麗なのに」

「えっ!?あ、や………その、特に深い理由は無くて………」


 褒められたことに少しびっくりしてしまったけれど、人に見られるのが恥ずかしいから、なんて言うのも恥ずかしくて誤魔化す。すると、アイラさんは傍に近付いてくると、私が被っていたフードをひょいと下ろしてしまった。


「わっ………」

「わぁ、綺麗な髪………うん、やっぱりそっちの方がいいよ」

「え、あ、うん………」


 凄くアクティブな子だなぁ………なんて思いながら、私はやっぱり恥ずかしくて、髪をくるくると弄って気を紛らわす。更にアイラさんが何かを言おうとした時、厨房から彼女を呼ぶ女性の声が聞こえてくる。


「あ、やば………ごめん!すぐに朝食持って来るね!」


 アイラさんはそう言って、慌てたように厨房の方に小走りで向かう。その勢いに返事を返す暇もなく、私は暫くの間黙って彼女が消えた厨房の方を見つめていた。

 すると、肩から降りて私の膝に座ったルナがくすくすと笑い始める。


「元気な子だったわね」

「う、うん………」

「でも、言ったでしょう?折角綺麗になったんだから、隠すのは勿体ないわ」

「ん………」


 恥ずかしいのは変わらないけれど、それでも褒められたのは嬉しい。アイラさんが綺麗だと言ってくれた髪を見ながら、私の頬は少しだけ赤く染まっていた。








 それから、私はアイラさんが運んできてくれた朝食を食べてギルドに向かうために宿を出ていた。こちらの世界でも朝食はそんなにあちらと変わりはなく、一般的なパンが主食の洋食と言った感じだった。向こうにいた頃から朝食はパンだったから、そこにも違和感はなかった。まぁ、今日出て来たようなサラダとかベーコンみたいなのはなかったけど。

 まぁ、美味しかったけど。それで、今は街を歩いているんだけど………


「ギルドってどっち………?」

「せめてアイラに聞いておけば良かったのに」

「忙しそうだったし………」


 始めてきた街で、ギルドの場所なんて分かるはずが無かった。朝食を運んできた後に、慌ただしく厨房に戻っては他の席に行ったり来たりを繰り返していたアイラさんを見たら、声を掛けようとは思えなかった。


「ギルドはこの道を戻って左よ」

「先に言って!?」


 びっくりするくらい意地の悪い猫だった。それから私はルナにちょっとだけ文句を言いつつ道を戻り、ルナに教えて貰った通りの道を進む。文字が読めないから、見逃したらどうしよう………なんて思っていたのはそれを見つけるまで。

 間違いなくこれなんだろうなぁ、って思えるほど、他の建物とは比べ物にならないくらい大きくて立派な建物があった。鎧とか、武器を持った人が出入りしているし。


「見つけたわね。行きましょうか。昨日言ったことは覚えているわよね?」

「うん、魔法使いだって名乗ればいいんだよね?ルナの事は………ライルさんの時と同じで使い魔って言って良いの?」

「えぇ、それで大丈夫よ。後は年齢とか名前を聞かれるくらいだと思うから、そんなに身構える必要はないわ」


 昨日ルナは身分とか素性に関係なく登録できるって言ってたし、多分深い詮索とかはしないみたい。でも、悪い人でも登録できるってことは怖い人も多いのかな………


「まぁ、いるでしょうね。別の国から逃げて来た罪人が別の国で冒険者として名を上げるって事もあるみたいだし」

「なんか、やな話だね………昨日から思ってたんだけど、ルナはこの世界について詳しいんだね」

「まぁ、ね。でも、何故かは秘密よ?」

「………答えてくれるとは思ってなかったけど」


 そんな風に話しながらギルドに入る。そこには沢山の机と椅子が並んでいて、その奥にはカウンター、入り口を入ってすぐの所にはボードが掛けてあって、そこには幾つかの紙が張り付けられていた。そして、その貼り付けられた紙を数人の武器を携えた人たちが見ていたけれど、ギルドに入ってきた私に気付いて一斉にこちらを見る。そして、その中の一人の男性が声を掛けて来た。


「嬢ちゃん、ここは冒険者ギルドだぜ。迷ったんなら、宿は反対側の道を進んだ先だ」

「え、や、あの………登録、しにきたんですけど………」

「………そうかい。ならあっちの受付に行きな。手続きはそっちでしてくれる」

「あ、ありがとうございます………」


 筋骨隆々と言うべき鍛え上げられた肉体に無数の傷が刻まれた男性は、その風貌とは反して親切だった。いきなり因縁付けられたらどうしようかと思ったけど………私はホッとしながら男性に教えられたとおりに受付に向かう。受付は幾つかカウンターが並んでいるけれど、私はその中の一番端っこのカウンターの前に立った。そこのカウンターは輝く金色の長い髪をした綺麗な女性が担当していた。


「いらっしゃいませ。今日はどのようなご用件でしょうか?」

「えっと………冒険者登録をしたいんですけど………」


 私みたいなのが、冒険者登録をしたいと言うことに変な顔をされるかと思ったけれど、受付の女性は特に気にすることもなくカウンターの下から一枚の紙を取り出して、カウンターの上に置く。


「かしこまりました。文字の読み書きは出来ますか?」

「で、出来ないです………」

「では、お名前と年齢、可能であれば戦闘技術の有無など簡単な自己紹介をお願いできますか?」

「アリスです。16歳で、魔法使いです………あと、この子は私の使い魔のルナって言います」

「にゃー」

「………」


 わざとらしい鳴き声に私はジト目を向けるけれど、ルナは悪戯っぽく私の方を見る。女性は机の上に置いた紙に色々と書き込んでいき、それが終わってからもう一度私を見た。


「暫くお待ちください。すぐに戻ってきます」

「はい、分かりました」


 そう言って女性はカウンターの奥に向かう。そして一分ほどで戻ってくると、一枚のカードを持っていた。


「こちらのカードをお受け取り下さい」

「あ、ありがとうございます」


 私は女性からカードを受け取る。しかしその瞬間、受け取ったカードが淡い発光を始め、突然の事に私は慌て始める。


「え!?こ、これ何ですか………!?」

「大丈夫です。正常な反応ですので」

「そ、そうなんですか………?」


 落ち着いた様子の女性を見て、私も冷静さを取り戻す。そうしてカードの発光が終わった時、カードの中には私の姿が証明写真のように描かれていた。そのことに少し驚いていると、女性が話し始める。


「登録は完了です。では、あなたの今後の活躍に期待しております。是非上のランクを目指して頑張ってくださいね」

「あ、ランクなんてあるんですね………」

「ご存じありませんでしたか。では、ランク制度について簡単に説明させていただいてもよろしいでしょうか?」

「あ、はい………お願いします」


 それから女性はランク制度と言う物を説明し始めた。簡単に言えば、依頼を解決したり魔物を倒したりして実績が増えたら、ランクが上がってより難易度が高い依頼を受注できるという事らしい。難易度が高い分危険は大きいけれど、報酬もその分上がるからお金には困らなくなっていくとの事だった。

 私のランクはFでその上がE、D、C、B、A、Sの上がっていくみたい。大体はDランクで止まる人が多くて、Cまで行けば一流の冒険者として生活に困ったりすることは無いと言っていた。Bランク以上は富豪と言っても良いらしい。

 まぁ、私はそこそこで生きて行ければいいし………Dランクか、頑張ってCランクくらいを目標でいいかな。


「以上がランク制度の説明です。何かわからない事はありましたか?」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございました………」

「どういたしまして。それでは、今後ともよろしくお願いいたします」


 そう言って女性は頭を下げる。私も同じように頭を下げながら、カウンターから離れた。依頼はあのボードに張り出されているのかな?


「………ルナ。文字読める?」

「えぇ、読めるわよ」

「………依頼内容、読んでもらってもいい?」

「勿論。任せなさい」


 とにかく、少しでも依頼をやって見なきゃ。そう思った私はボードの前に立つのだった。


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