第5話

「お、お邪魔します………」


 完全に日が沈んだ頃、私はライルさんに教えてもらった宿屋の扉を開く。看板の文字は読めなかったけど、ベッドの絵が描かれていたからここのはず………合ってるよね?ただの民家だったりしたらどうしよう………

 不安になりながら建物に入ると、受付のようなカウンターに一人の女性が座っていた。


「あら、いらっしゃい。こんな時間に来るとは珍しいね」

「あ、えっと………ここが宿屋で合ってますか………?」

「ん?そりゃそうさ。外の看板にも書いてあっただろう?」

「う、ご、ごめんなさい………」


 こんな時間に来て宿屋かどうか確認するなんて、確かにおかしな話だった。女将さんは困ったような顔をしながら手帳を取り出す。


「怒っちゃいないけど………お嬢さん、文字は読めるかい?」

「読めないです………」

「そうかい。泊るんだろう?じゃあ名前を教えて貰うよ。手帳にはあたしが書くから」

「み………アリスです」


 危ない。咄嗟に本名を言おうとしたのを止めてルナから貰った名前を名乗る。ただ、不自然な誤魔化し方になってしまったのはどうしようもなくて、一瞬だけ女将さんは怪訝そうな顔をしたけれど何も聞かずに手帳に書いていく。


「冒険者かい?」

「………いえ、旅人です」


 一応遠くから来たって事にしておかないと駄目だったから、咄嗟の嘘にしては上手く出来た方だと思う。冒険者って言うのが良く分からないけど、旅人とはまた少し違いそうだし………


「へぇ。冒険者登録をしてない旅人ね………訳ありかい?話せないのなら話さなくてもいいけど」

「ほぇ!?あ、いえ!わ、訳ありとかじゃないんですけど………!」


 前言撤回。不用意な発言で寧ろ疑われることになってしまった。詳しいことは知らないけど、こちらの世界じゃ旅人は冒険者登録と言う物をしてるのが一般的なのかな。そんな私の態度を見た女将さんは少しだけ呆れたようなため息を付く。


「………ま、あんたみたいな気弱そうな子が悪事を働くとも思えないね………銅貨6枚で一泊だよ」


 私はルナに出してもらった硬貨を6枚、ポケットから取り出す。しかし、それを見た女将さんは慌てたような声をあげた。


「銅貨6枚って言っただろう!?まさか数年泊まるとは言わないだろうね!?」

「えっ………えと、ごめんなさい、間違えました………」


 私は咄嗟にその中から一枚だけ金貨を渡す。それでも多いと言った様子だったけれど、先ほどよりは納得した様子だった。多分、数ヵ月分………なのかな?


「ったく………まさか貴族令嬢か何かかい………?ほら、あんたの部屋の鍵だ。あっちの廊下の一番奥の部屋だから迷うんじゃないよ」

「あ、ありがとうございます………」

「あと、その猫ちゃんには出来るだけ静かにしてもらってくれ。他のお客の迷惑になっちゃうからね」

「はい、分かりました」


 女将さんから鍵を受け取って、教えて貰った廊下の方に進む。そうして少し進んだところで私は歩きながら大きなため息を付いた。


「はぁ………追い出されるかと思ったよ………」

「無事に泊まれて良かったじゃない」

「そうだけど………ねぇ、ルナ。冒険者ってなんなの?」


 私はルナに尋ねながら、廊下の奥にあった扉に鍵を差し込み、鍵が開いたのを確認して中に入る。扉を閉めた後に鍵をかけ、私は部屋を見渡す。

 決して広い訳ではないけれど、一人で泊まるには十分なスペースだった。寧ろ、これ以上広くても落ち着かないし。ルナは窓際にあった机の上に私の肩から跳び移ると、私の方を見てさっきの問いに答え始めた。


「一言で言えば、フリースタイルな何でも屋かしら。依頼と言う形で仕事を受けて、その報酬を受け取ってお金を稼ぐのよ。あっちにあったゲームでも似たようなのはあったでしょう?」

「………一応、お仕事なの?」

「そうね。各地にあるギルドへ委託された依頼を受注するためには冒険者協会への登録が必要だから、特に旅人のような身分の人間は現地で仕事を探す手間が省けるのよ」

「そうなんだ………」


 何でも屋かぁ………具体的には何をするんだろう?ちょっと興味はあるけど………ゲームかぁ。そう言うのって大体、ちょっとしたお使いから敵を倒すような物とかが多いイメージだな………


「ご想像の通りよ。ちょっとしたお使いや採取の依頼だったり、危険なモンスターを倒してほしいって言う依頼もあるの。寧ろ、後者の方が専門とも言えるけど」

「そっか………」


 それを聞いて、私は一気にやる気が無くなってしまった。部屋にあるベッドに倒れこみ、私は大きくため息を付く。仕事は大切だけど、モンスターと戦うのは怖いし………でも、私に何が出来るんだろう?雇ってくれるところを探すべきなんだろうけど………素性も明かせない旅人と言う設定の私を雇ってくれるところなんてあるのだろうか?少なくとも、今日の女将さんの私の話を聞いた時の反応を見ると、凄く厳しい気がする。

 まぁ、そうなったら冒険者登録も出来るのかって言う事だけど。


「………ルナ、私でも出来そうな仕事知らない?」

「私は冒険者しかお勧めは出来ないわね」

「でも、冒険者は………」

「甘えるのもいい加減になさい。貴女が選んだんでしょう?ならあれは嫌、これは無理なんて言われても困るわ」


 窓際に座るルナから遮るように掛けられた言葉は今までと違い、とても厳しいものだった。けれど、その言葉は正しくて。最初にルナに働かなくてもって言われた時に、それを断ったのは私だ。それを後悔はしていないけれど。

 なら、自分で生きるためにあれこれと贅沢を言うのは間違っているんだろう。それに………そんな状況でも、私はあの世界に帰りたいとは思えなかった。


「………そう、だよね」

「ここに貴女を連れて来たのは私だから、その責任は持って願いを叶える事はしてあげる。後は貴女が勇気を持つだけなの」

「………うん」

「冒険者は素性や経験を問わない団体よ。それこそ、悪人であろうと登録が出来るの。あなたみたいな素性が分からない少女が生きるために登録するなんて日常茶飯事でしょうね」


 今まで優しかったルナがはっきりと叱るような声色で私に語る。けれど、怖いとか悲しいって言うのは無くて。彼女は、私が自分の力で生きていきたいって願いを叶えようとしてくれているんだって分かったから。

 甘えっぱなしで生きるのなら、最初からルナの言葉に頷けばよかったんだ。だから私は………


「………明日、冒険者ギルドに行くよ」

「そう。貴女がそう決めたのなら私は異を唱えないし、サポートはしてあげる。後、登録をする時に戦闘技術を問われると思うから、魔法使いだと名乗りなさい。貴女の願いを私が叶える事で戦うなんて、間違っても言っちゃだめよ?」

「わ、分かってるよ………!そんなこと言ったら、ルナが危ないし………」

「………自分より私の心配をするのね」

「だ、だってルナは今の唯一の家族だし………」


 私は小さな声で呟く。向こうにいた頃から、ルナは私の家族だった。両親が嫌いだった訳ではないけれど、それでも二人と一緒にいる時は少しだけ息が詰まった。そんな私の傍にずっといてくれたのがルナで、私は幼い頃からずっと一緒にいたから、種族も違う彼女を姉のように思っていた。

 喋るようになったのは驚いたし、最初は怖かったけれど。私を助けるためにやったのだと思えば、やっぱり彼女は私の唯一の支えで。


「そう………やっぱり、貴女は優しいわね。アリス、ちょっとこっちにいらっしゃい?」

「?うん、分かった」


 ルナに呼ばれ、ベッドから立ち上がった私はルナの方に近付く。雲一つない夜空と、美しい満月に照らされるルナはとても優雅に見えた。ルナは金の瞳で私を見つめ、傍に来た私に話し始めた。


「あなた、あの頃とは変わりたいのよね」

「え?う、うん………私も………その、悪い所は沢山あるし。口下手な所とか………」

「ふふ、具体例は出さなくていいの。なら、まずは見た目から変わって見ないかしら」

「………見た目から?」

「そう。街を歩いていて感じたでしょう?この世界の人たちは外見から色々と特徴的なのよ。特に髪色だったりね」


 そう言われれば、街にいた人たちは目立つ色をしていた人もいた気がする。ただ、そんなに違和感を感じた訳じゃないから、あんまり気にしていなかったけれど。


「この世界じゃあれが普通なの。寧ろ、貴女のような平凡な少女の見た目をしている子の方が少し珍しいわ。全くいない訳じゃないけど」

「そうなんだ………」

「貴女はこの世界で生きるために、私から名前を与えたわ。今度は私が与える新しい姿になって見ない?どの道、その服じゃ浮くと思うしね」


 ルナの言葉に、私は少しの間考える。確かに、ライルさんにも服は変えた方がいいと言われていた。髪色は………多分、不自然ってほどではないんだろうけど。


「えっと………あんまり派手過ぎたり、変なのにするのはやめてね………?」

「当たり前でしょう?貴女は私のお姫様なんだから………なら、同意って事でいいのね?」

「………うん。イメチェンとか、ちょっと憧れてたし」


 昼間にも話したけど、私は自分の髪色が好きじゃなかった。高校を卒業したら、絶対に染めようと思っていたくらいには。勿論、奇抜な色だとまた周囲から浮いてしまうから、無難な黒くらいで留めておくつもりだったけれど。

 ルナなら、きっと酷いようにはしないだろう。そう思って、私は頷いた。


「なら、少し目を閉じていて?大丈夫、全く痛いことは無いから」

「うん、分かった」


 私は言われた通りに目を閉じる。私がどんな風に変わるのか、少しの不安と、それ以上の期待があった。なんだか、身体が少しだけ温かい。夜の部屋は少し肌寒かったはずなのに、今は間違いなくそう感じている。





「もう良いわ。目を開けなさい、アリス」


 ルナの言葉を聞いて、私はゆっくりと目を開ける。特に何か変わった感じはしないけど………そう思った私が視線を下に向けると、私が着ていた服は黒いローブと、白いシャツとスカートになっていた。それに少し驚いていると、ルナが言葉を続ける。


「体系まで変えたら流石に戸惑ってしまうでしょう?でも………今のあなたもとても綺麗よ」

「ん………」


 私は自分の長い髪を手に取り、目の前に伸ばす。月明かりに照らされたのは私のコンプレックスであった茶髪ではなく、月明かりを反射する美しい白だった。


「えっと………凄く変わったね」

「でしょう?そこにある鏡で自分をよく見てみなさい」


 ルナに言われた通り、私は近くに会った姿見で自分の姿を確かめる。そこには美羽ではなく、「アリス」の姿があった。

 長い光を反射する美しい白髪と輝く黄金の瞳に陶器のようなきめ細かな白い肌。服装も魔法使いと言われて納得する物になっていた。身長とか体型とかは全く変わっていないけれど、それでも間違いなく別人と言える美しい少女がそこには立っていた。


「………顔の輪郭も変わっていないのだけど」

「………ご、ごめんなさい」

「良いのよ。綺麗なのは本当なんだから。ほら、貴女の姿をもう一度よく見せて?」


 若干自惚れてしまったことに羞恥心を抱きながら、私はルナの傍にもう一度立つ。


「どう?気に入ったかしら?」

「うん。その………ありがと」

「どういたしまして。それじゃあ、今日はもう寝なさい。明日は冒険者ギルドに行くんでしょう?」

「そうするね。じゃあ、おやすみなさい」

「えぇ、おやすみ」


 ルナの返事を聞いて、私はベッドに潜る。ここでふと、姿がこんなに変わってしまったら女将さんとか、ライルさんを驚かせてしまうんじゃないかと思ったけれど。


「………あの女性には変装をしていたとでも言いなさい。体格や声に顔そのものは変えていないから、信じてもらえるはずよ」

「ん………ありがと」

「気にしないで」


 少しホッとしながら目を閉じると、すぐに睡魔がやって来る。色々あって疲れていたのかもしれない。いや、間違いなく疲れていた。今日一日が凄く長く感じたのだし。

 明日からはまた濃ゆい日々が始まるんだろうなぁ………そんな風に考えながら、私の意識は徐々に薄れて行った。


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