第2話

「ねぇルナ。この森、本当に抜けれるの?」

「勿論。広いのはあの洞窟から見て分かっていたでしょ?」

「疲れたよ………」


 あの洞窟出て歩き続け、大体一時間は経ったと思う。元々運動が苦手で体力もない私には、歩き慣れてない森を歩くのはとてもしんどかった。なんでこんなに地面が凸凹なの。


「まだ歩き出してから三十分くらいしか経っていないわよ?」

「そんなぁ………」


 私の肩にいるルナは淡々と非情な事実を告げる。というか、私の肩にずっといる癖に悠々とされるのはちょっと癪だ。


「別に歩いてもいいわよ?………バテたら置いていくけど、いい?」

「お、降りろとは言ってないよ………というか、私の考えてること分かるの………?」

「えぇ。勿論」


 そんな当然だと言うように答えられても、何と言えばいいのか分からない。けれど、どこかで安心している私もいた。考えていることを分かってくれるのなら、口下手な私でも勘違いされることは無いはず。ここに来る前のあの事を思い出して、つい唇を噛んでしまった。


「少し休憩しましょう?今無理をする必要はないもの」

「うん………」


 ルナの提案に頷く。疲れていたし、気分的にもあまり動きたくなくなってしまった。木陰はいくらでもあるし、一番近くの木の陰に座り込んで大きく息をする。


「本当に体力が無いわね。少しずつでも歩く事には慣れないと、この先厳しいわよ」

「そんなぁ………もう喉が渇いちゃったよ………」

「そう………じゃあ、水を用意しないとね」


 ルナがそういうと、私の前の景色が揺らぐ。正確に言えば、私の目の前に現れた水球が向こうの景色を揺らがせていた。けれど、早くも私は普通ならあり得ないこの出来事に驚かなくなっていた。ルナが何なのかは分からないけれど、神様だって言われても信じる自信がある。

 私が手で皿を作ると、水球から蛇口のように水が流れ落ちて手の中に貯まる。私はそれを口に運んだ。冷やされていたのかと思う程冷たい水を飲みながら、ちらりとルナを見ると、彼女はゆっくりと私の後ろに回る。

 何をしているんだろうと思ったら、突然私の長い髪を梳き始めた。


「ルナ?何してるの?」

「いいえ。綺麗な髪だと思っただけよ」


 ルナはそういいながら手を止めた。母の家系は昔から茶髪だったらしく、私にもそれが受け継がれていた。珍しいと言われるくらいはっきりとした茶髪だったせいで、何度も髪染めを疑われたことがあったし、周りと違う髪色もいじめのネタになったこともあって自分ではあまり好きじゃなかった。

 それはともかくとして、こうして一緒に居ればいる程ルナに対する疑問は多くなっていくばかりだ。喋るし、魔法を使うし、私を全く知らない場所に連れてくるし。慣れたのと納得するのは全く別の問題だった。


「ルナって本当にネコ?」

「ネコよ?」

「………ネコは喋らないよ?」

「私は喋るネコなの」

「………」


 絶妙に聞きたい答えとは違う答えが返って来るけれど、多分詳しく語るつもりが無いって事だけは分かった。ただ、何故か私はルナを怖いと思う感情は全く消えていた。というより、彼女を信じる以外に道が残されていないと言うのが大きいのかもしれない。

 ここで置いていかれたりしたら生き残れるはずが無いのだから。でも、ルナが言っていたような危険が常にあるような世界だと言うことに関してはあまり実感が湧かなかった。ここまで歩いていたけど、鳥のさえずりや涼しい風が森の木々の葉を揺らす音が辺りを包むだけで、身の危険なんて一切感じなかった。


「そうやって油断している時こそ、狩人が狙っている絶好の隙なのよ?」

「え?」


 その瞬間だった。穏やかな自然の音に紛れて聞こえてくる風切り音。音のする方向を慌ててみた瞬間、迫る鋭い鉄が見えて………私の目の前で壁に当たったかのように弾かれた。

 私の前に転がるのは数本の矢。状況が呑み込めず、その場を立ち上がることすら出来なかった。


「ふぅん………不躾な奴らね」

「………」

「しっかりしなさい。逃げるか戦うかしなきゃ………死ぬわよ?」


 死ぬ。その言葉に、一瞬で呆けていた思考が現実に引き戻された。すぐに立ち上がるとルナが私の肩に跳び乗り、私は矢が跳んできたのとは逆の方向に駆け出した。進んでいた方向とは全く違う方向だけど、矢を撃ってきた相手がいる方向に逃げるなんてあり得ない話だ。


「相手の姿はちゃんと見た?この先に何があるかは考えてる?」

「そ、そんなの………!分かんないよ………!」


 走り始めて間もなく、早くも息が切れながらも慣れない森の中を駆ける。正直、ルナの言葉もそこまで深く考えられるほど余裕が無かった。動くのは苦手だし、そもそも死ぬなんて聞いて私は必死だし。


「ちゃんと考えなきゃ駄目でしょう?あなたは考えることは得意なんだから」

「そんなこと………言われたって………!」

「………これも経験かしら」


 肩にいるルナが小さく何を呟いたけど、それを詳しく聞き取る余裕なんてなかった。そのまま森の中を走り続けていた時だ。突然私の足を何かが引っ掛け、盛大に身体が浮く勢いで転ぶ。そのまま私は開けた場所に出た。地面に激突し、その衝撃で顔を歪める。ルナは私が転ぶ瞬間に肩から飛び降りたらしく、私の隣に座っていた。薄情な。


「いっ………」


 今まで経験したことない程盛大に転んだため、思わず声も上げられなかった。大きな怪我はないけれど、膝を擦りむいたみたいだ。

 体を起こして周りを見ようと思った時、私は一瞬だけ息をするのも忘れてしまった。


「………え?」


 私の前には多数の見たこともない人型の生物達が立っていた。トカゲのような鱗と顔を持っているけれど、二本足で立っている不気味な爬虫類。その身長は間違いなく私より高い。

 そして周囲には木で出来た建築物だと思われる物も多く存在しており、トカゲ人間たちは私を待ち構えていたかのようにこちらを見ていた。


「な………なんで………」

「だから言ったでしょう?ちゃんと相手を見ておきなさいって」


 私の隣に座っていたルナが、腰を抜かしてへたり込んでいる私の肩に跳び乗る。そして、トカゲ人間たちがそれぞれ武器や防具を着ているのを見て初めて気づいた。

 最初から、ここへ誘導するための罠だったのだと。どうしよう。そう思いはするものの、解決策何て思い浮かばなかった。この人数から逃げ切れる自信はないし、そもそもどこへ逃げればいいのだろう。

 ここまで周到な作戦を立てている生物の事だし、ここから逃げても無駄な気がしていた。戦う?私は武器もないし、運動も出来ないのに?


「どうしようかを考えるより、どうしたいかを考えてみて?」

「ど、どうしたいか………?」

「そう。何度も言ったでしょう?私があなたの願いを全部叶えてあげるって」


 私に徐々に近付いてくるトカゲ人間たち。手に持っている鋭い鎌のような物が光を反射する。逃げたいと思っているのに、恐怖によって私の体は思うように動いてくれなかった。

 死にたくない。


「じゃあ、どうする?口に出す必要はないわ。あの時と同じように、貴女はただ願うだけで良いの」


 私の肩でルナが問いかけて来た。どうしたっていい。何だって良い。この状況から抜けられるなら、方法なんてどうでも良かった。ただ、『目の前から彼らが消える』のなら。

 私の願いはそれだけだった。その瞬間、私の下に赤い光を放つ魔法陣が広がり、強風が吹き始める。それを見た時、ルナは私の耳元でニヤリと笑みを浮かべた気がした。


「そう。『それ』が貴女の願いなのね?」


 慈愛に満ちた声で。けどとても楽しそうな声で。私の耳元でルナが囁いた。その言葉に、私は安心と不安の相反する感情を同時に覚える。私がルナを見ると彼女は私の肩から降りて、突然起こった変化にたじろぐトカゲ人間たちの方を見ていた。その身体に、薄い光を纏って。


「お姫様はあなた達をお呼びじゃないの。すぐに彼女の視界から」


 ルナは一度言葉を切る。その瞬間、周囲が恐ろしいほどの熱気と明かりに包まれる。私はその原因を見上げた。空に浮かぶ、太陽と紛うほどの巨大な火球。私達の上にはそれが浮かんでいた。空に突然分厚い雲がかかり、暗くなった森が火球の光で照らされる。

 あまりの光景に私は言葉を失って空をただ見上げる。ただ、これがルナの仕業だと言うことは何となく分かっていた。


「消えなさい」


 ルナが今までとは打って変わり、これ以上ない程冷めた声で言葉を続けた。その瞬間、空に浮かぶ火球が脈打つように鼓動し、火球から無数の炎の雨が降り注いだ。

 炎の雨は無差別に、私の目の前に広がる全てを焼き払い始める。逃げようとするトカゲ人間。彼らが建てたらしい建造物。大地すらも黒い焦土へと変わっていく。

 一体のトカゲ人間が逃げようと私の方に向かってきたが、その途中で炎の雨に打たれて一瞬で全身が炎に包まれる。炎の影の中で彼の肉体が一瞬で焼失していき、私の目の前で骨となった状態で倒れる。その身に着けていた鉄の鎧や剣が融解し、鉄の液体が大地を伝う。


「気を付けなさい。炎は貴女を害さないけれど、溶けた鉄に触れたら大やけどを負うから」

「っ………な、なんで………」


 なんでこんなことをしたのか。そう言いたかったけれど、上手く口が回ってくれない。けれど、ルナは私を見て首を傾げる。


「貴女が願ったからよ?」

「ちがっ………私はこんな事………」

「願ったじゃない。どんな方法でも良いから、彼らに目の前からいなくなってほしいって」


 ルナの言葉に、私は目を見開いた。確かに、私はそう願った。生き残りたい。目の前の危険を消してほしいと。どんな方法でなんて、全く考えなかった。

 そして、今私の目の前から脅威は全て火の海に包まれていた。これは、私が願った事なんだ。それを自覚した時、私に浮かんだのは願いが叶ったという喜びや優越感ではなく。

 どうしようもない後悔と、こんなことを引き起こした自分の願いへの恐怖だった。


「………」


 目の前に広がる火炎の海。火球は空から消えており、雲がかかって暗くなった森は燃え盛る炎が主な光源となっている。私はその炎から目が離せなかった。

 何も出来ずに座り込んでいたその時だ。


「隊長、これは………!?」

「いったい何が………」


 男性の会話が聞こえてくる。私がはっきりと認識できる言語。その声で我に返った私は慌てて声のした方を見る。そこには分厚い鎧をまとい、腰に剣を携えた騎士のような人たちが沢山立っていた。それを見て、真っ先に浮かんだのは逃げないといけないと言う事だった。

 そう思った時、運が悪いのか一人の男性が私を見る。慌てて立ち上がろうと思ったが、右ひざに一瞬だけ痛みが走って動きが止まる。転んだ時の怪我が痛んだらしい。それでも逃げなきゃ、また同じことをしてしまったら。そんな時、肩に跳び乗ったルナが私の頬を小さな手で突く。

 何故かはわからないけれど、その瞬間に妙に冷静になれた。


「落ち着きなさい。彼らは大丈夫よ」

「そ………っか」


 ルナの言葉に安心してしまって、私は立ち上がろうとしたのを止める。ルナの言葉一つでどうしてここまで落ち着けるのかは分からなかった。本当なら、彼女を怖がっていても仕方ないと頭では思っているはずなのに。

 そして、さっきの騎士達が私の下へ慌てたように走って来た。


「君!大丈夫か!?」

「は、はい………大丈夫です………」


 あぁ、本当に大丈夫なんだ。掛けられた声に、私は心底安堵していた。けれど、勿論心配されるだけではなくて。


「その………これは君が?」

「え、っと………」


 どう答えればいいのか分からなかった。こうしたのは私の『願い』だけど、実際に行ったのはルナだ。答えに迷って肩にいる彼女を見た時、ルナは何も言わずにただ私を見つめていた。

 その目が、まるで責任を追及する親の用で。これが誰のせいなのか、問い詰めているようで。


「………はい。私が、やりました」


 その視線に負けた私はそう答えるしかなかった。私が願ったからこうなった。その過程は重要じゃない。この炎の海は、それが全ての原因だ。

 過程を考えなかったから。ただ、結果だけを求めしまったから。ルナは私の願いを叶えただけだった。


「君は魔法使い………なのか?見たことのない服をしているが………」

「えっと………」

「そう、と答えればいいわ」


 答えに悩んでいると、ルナが私にそういってくる。あなたがそんなことを言ったら意味が無い気がするんだけど。と思いつつ、私に問いかけて来た男性に頷く。


「そうか。しかしどこから………」

「隊長。ここで尋問のような事をしなくても良いじゃないんですか?この子、怪我をしているみたいですよ」


 先ほどから私に色々と質問をしていた男性を、その背後にいた男性が制止する。隊長と呼ばれた男性はその言葉で初めて私の足に負っていた傷に気づいたらしく、申し訳なさそうな顔をする。


「いや、すまんな………こんな物を見て、少し興奮していたようだ」

「い、いえ………大丈夫です」

「彼女を一度街に案内しませんか?行く当てが無いのであれば、ですが………私達の仕事も、無くなってしまいましたし」


 男性は炎に包まれた元集落を見る。そこで初めて、私はこの人たちがここに来た理由を悟った。多分、ここにあったトカゲ人間達と敵対していて、彼らを倒しに来たのだと。


「ご、ごめんなさい!皆さんの仕事を奪っちゃって………!」

「いや、それは構わない。寧ろ君に感謝したいくらいだが………どこか行く当てはあるのか?」


 少なくとも私は無かった。というよりも、ルナの指示に従って進んでいただけだったから、堪えられるはずが無い。すると、ルナが私に声を掛ける。


「渡りに船じゃない。折角だし、一緒に行ったらいいんじゃない?」

「………分かった」

「ん?………誰と話しているんだ?」

「………え?」


 もしかして、彼らにルナの声は聞こえていないのだろうか。とにかく、それなら人前では気を付けないと。


「えっと………行く当てはないです」

「そうか。なら私達と共に街に来ないか?怪我をしているようだし、見た所荷物などもなさそうだが」

「………良ければご一緒させてください」

「おぉ、そう言ってくれてよかった。私はライル。この部隊の隊長を務めている」

「美羽です。よろしくお願いします」


 私はそう言って頭を下げる。とにかく、ここでやっと私は本当の意味で安心できたと同時に、ここが私の知っている世界でない事の実感を得たのだった。


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