口下手でぼっちだった私が異世界でネコと和解して賢者と呼ばれるようになる話

白亜皐月

序章・新たな私

第1話

「あんたこの痣………前に言ったわよね!?また何かされたら相談しなさいって!!」

「ご、ごめん………」


 学校の屋上で私に怒鳴る少女。中学の頃からいじめられ続けている私、岸波美羽を唯一庇ってくれるたった一人のお友達。けれど、高校に上がってからは彼女を怒らせてばかりだ。中高一貫校だから、いじめは中学から変わらず続いている。

 親や先生に相談する勇気もなかった。というより、それがいじめだと分かってもらえるように伝える事が出来なかった。全部私が悪いんだ。思った事を伝えるのが苦手だから、色んな人に勘違いされて。だったら、最初から何も言わない方が良い。そう思うたびに、誰にも相談したくなくて。話すのがおっくうになって行って。

 そして、いつも目の前の子からは怒られる。


「あんたいつも謝ってばかりで本当に悪いと思ってるの!?中学校の頃の方がまだ素直だったわよ!」

「………ごめん」

「だから謝ってほしいんじゃなくて………何度同じこと言わせるのっ!?」


 苛立った様子で私の肩を掴み、より一層声を荒げ始める。そしていつも聞いている言葉を私に投げかけ始める。私自身、何度も同じことを言われる私自身が嫌だった。


「………私だって、何度も同じことを言われるのは嫌だよ………」

「………は?」


 彼女の呆気に取られた声を聞いて、私は思わず目を見開いてしまった。違う、私が言いたいのはそういう事じゃない。咄嗟に否定の言葉を口にしようとする前に、彼女の顔が真っ赤に染まる。


「そう………あんたはそう思ってたのね」

「ち、ちが………!」

「もう良いわよ!!私が何言ったって、心配したって邪魔だったんでしょう!?いつも何も言わないし、心配したって謝るしかしないし………!私だって、あんたのそんなとこが大っ嫌いよ!!」


 彼女はそれだけを言い残して屋上から去って行った。残された私は呆然とその場に立ち尽くしていたけれど、やがて現状を理解していく。取り返しのつかない事をしてしまった。

 これが私の悪い所だって自分でも分かっていたはずなのに、またやってしまった。唯一の友達すら怒らせてしまった。

 どうすればいい?どうしよう?頭の中を焦燥と後悔が埋め尽くすけど、結局なにも思い浮かばなくて。気付けば私は学校を飛び出していた。荷物も持たず、靴も履き替えず。とにかく、今はここに居たくなかった。


「はぁ………はぁ………!」


 運動が苦手だし、体力だってない私じゃ信じられない程走って、止まらないまま家についていた。シャツのポケットから鍵を取り出して、乱暴に開けて家の中に入る。お父さんもお母さんも仕事で家にはいない。あぁ、二人が帰ったらなんて言い訳しようかな。毎日辟易としながら私を叱る、厳しい両親の激怒した姿がはっきりと目に浮かんだ。

 いっその事………なんて今まで何度も思ってきたじゃんか。でも、私は自分を殺す勇気なんて無かった。どうしよう、どうしようって言い続けて答えを先延ばしにして。言いたいことも言わなくて、相手を怒らせて。口を開けば………あぁ、いつも終わった後で色々考えちゃう。

 少しでも学校の事を忘れたくて、着ていた制服を脱いで普段言え出来ているパーカーとスカートに履き替える。そのままソファーに寝転んで天井を見つめていた時、一匹の黒猫が私の下に近付いてきた。


「にゃー」

「………ねぇルナ。私、どうしたらいいんだろう………」

「にゃー」


 私がルナと呼んだ黒猫は、私が生まれるより前からこの家で飼われている猫だった。聞いた話では、既に家に来てから20年ほどが経っているらしい。16歳の私よりお姉ちゃんで、実際に彼女は小さなころから私に構ってくれていた。普通の猫にしては長生きな方だけど、この子は私が覚えている範囲では全く昔と変わった様子はない。

 私が落ち込んでいる時、決まって傍にいてくれるのもこの子だった。ルナはソファーに寝転がる私のお腹にひょいと跳び乗り、そのまま座り込む。私はそんなルナの頭を撫でる。

 ルナは特に反応はせず、じっと私の顔を見つめていた。


「私、駄目だな………分かってるのに、何にもできてないや………どうせなら、みんな私の事を忘れて、誰も知らない所に消えちゃえればいいのにね」


 今の日本で、自分から失踪するなんて難しい話だ。数日帰らなければ失踪届けが出されるし、死ぬ勇気だってないのだから、誰も入らない森やら山の中に入るなんて出来っこない。そもそも失踪や自殺なんてして、人に迷惑なんてかけたくもないし。

 死にたくない。でも、もう誰とも関わらずにいられたら。なんて叶いもしない願いをぼそっと呟いてみる。


「その願い、叶えてあげましょうか」

「………ぇ?」


 聞いた事のない女性の声が私の耳に入った。それも、聞き間違う事が無い程私の近くで。正確に言えば私の目の前。恐る恐ると視線を落とし、私のお腹に乗るルナに目線を向ける。ルナは私をじっと見つめて動かないままだったが、ゆっくりと口を開いた。


「誰もがあなたを忘れ、誰もあなたを追いかけれない………そんな場所が良いのね?」

「ル、ナ………?」

「なぁに?」


 私が名前を呼ぶと、首を傾げながら返事をする。ついに私の頭がおかしくなってしまったのだろうか。いや、そうじゃないと説明が付かない。猫が人の言葉を話すはずが無いのだから。猫又なんて話も聞いた事があるけれど、ルナはまだ常識外れなほどの年齢じゃないと思うし、尻尾だって一本しかない。ううん、そもそも妖怪なんて………


「ふふ。相変わらずお口は駄目駄目なのに、頭では色々と考えすぎているわね」

「どういう、こと………?」

「だから言ったでしょう?あなたの願いを叶えてあげる」


 ルナはそういって私のお腹から立ち上がり、そのまま私の顔に近付いてくる。その姿は今までと変わらない黒猫なのに、その姿に言いようのない恐怖を覚えてしまって目を逸らす。すると、私の頬に柔らかくて小さな手が添えられた。


「目を逸らしたら駄目。ちゃんと私の目を見て。大丈夫。起きた時には………」


 とても優しい声が私の思考を鈍らせた。傷心したばかりだからだろうか。私を助けようとしているかのようなその声に抗えず、逸らした目を再び合わせてしまう。そして


「貴女の願いは叶っているから」


 先ほどよりも慈愛に満ちた声と言葉と共に、私の視界は黒に染まった。














「ん、んん………」


 堅い。冷たい。暗い。目覚めた私が最初に感じた情報はそれらだった。目を開くと、そこは洞窟だった。深いわけではなく、体を起こして首を回せばすぐに出口が見える。けれど、そもそもここはどこ?私は部屋で………ルナ?


「やっとお目覚めね。お姫様」

「っ………ルナ!ここはどこなの!?」


 私の隣から声が掛けられ、振り返るとそこには見慣れた黒猫の姿。何が何だか分からず、彼女に問いかけていた。


「あなたが望んだ場所よ?」

「望んだ場所………?で、でも………急にいなくなったりしたらまた迷惑かけちゃう………!」

「大丈夫。誰も………だーれも、あなたの事を覚えていないから」


 彼女は平然と答えた言葉に、私は一瞬だけ思考が止まる。今まで生きていた私の足跡が、全部なかったことになっている。嫌な事も多かったし、辛いことも多かった。けれど、楽しい事だって………

 そこまで考えて、私は思い浮かぶ楽しかった記憶がない事に言葉を失った。最後に嬉しいって思ったのはいつだっけ。最後に笑ったのはいつだっけ。


「貴女が笑ったのは、中学に上がる前日が最後だったわね。入学式の前日、明かりが消えた寝室で私に中学校でやりたいことを楽しそうに話して………今じゃこんなに酷い顔をするようになっちゃって」

「………」

「でももう良いのよ。貴女は自由になっても………私が手伝って上げるから」


 優しい声で囁いたルナはそういって私の肩に跳び乗る。いくら猫とは言え、大人の猫が肩に跳び乗ったら貧弱な私じゃ………そう思った時、肩に跳び乗ったルナが異常なほどに軽い事に気付いた。それこそ、乗っていないと言われても納得する程度には。


「軽、い………?」

「重量を変える魔法なんて初歩中の初歩よ?」

「魔法………?」


 聞き慣れない………いや、信じられない言葉がルナから発せられて、私はその言葉をオウム返しする事しか出来なかった。喋る猫と言うだけでも信じられないのに、魔法。いや、寧ろ喋る猫なんだから魔法くらい使えてもおかしくないのでは………そんなことあるかな。

 色々と考えていた時、私の頬を小さな手が突く。柔らかくて、モフっとしたルナの手だ。


「ほら、難しく悩まないの。ここはあなたが知らない世界。自分の力で生きていける………あなたが願った通りの世界よ。折角私の力の大半を使ってここまで連れてきてあげたのに、そんなに考え込んでいたら損でしょう?もっと気楽に考えなさい」

「き、気楽にって………私、一人じゃ生きられないよ………」

「そんなことないわ。だって私がいるもの。大丈夫。これからも貴女の願いは私が叶えてあげるから」


 またあの時と同じような、慈愛に満ちた声色で私に語り掛けるルナ。その声を聞いていると、何故だか妙に落ち着いた。

 私が肩に乗っているルナの顔を見ると、彼女は笑った。


「この世界では魔法が当たり前にあるの。力さえあれば何だって許される。あなたが強くなれば誰も貴女に逆らえないし、逆らう奴は………ぶっ飛ばしたっていいのよ?」

「そ、そんなことしたくないよ………!」

「勿論、それはあなたが決める事よ。あなたは自由を手に入れたのだから………でもそうね。どちらにせよお金はあった方が良いかしら?」


 ルナはまるで人間のように口元に手を当てて考えるような仕草をする。私の小さな肩の上で器用な事だと思ったけど、財布なんて持っていない。どうしようかと悩んだけれど、解決策は思い浮かばず、困ったような声を出してしまう。


「お金なんて持ってきてないよ………」

「ここじゃ向こうの硬貨なんて使えないわよ。ほら、望んでみて?」

「な、なにを………?」

「お金が欲しいんでしょう?」

「そ、そうだけど………」

「大丈夫。そう願うだけで良いから」


 私は彼女に促されるまま、心の中で呟こうとした時。私の目の前で硬貨が落ちる独特な音が無数に響いた。私の足元に散らばる金色の硬貨。私はそれを唖然と見つめる。


「………え?」

「ここで使える硬貨よ。そのくらいあれば、宿代には当分困らないでしょう」

「こ、これどこから………?」

「あなたの願いが形になっただけ。誰にも迷惑はかけていないわ」

「………そう、なんだ」


 私は硬貨を拾う。明らかに私が知っている硬貨じゃない。けれど、私はどうしてもこれが良い事には思えなくて、喜べなかった。


「………こういうことは、良くないと思う」

「どうして?誰も損はしてないし、ただお願いを叶えただけよ?」

「でも………こういうのって、人としてダメだと思うから………」

「そう。なら、自分で稼がなきゃいけないわね。と言っても、無一文と言うのは流石に厳しいでしょうから、さっき出て来た分はしっかり拾っておくのよ?」

「………うん」


 私はルナの言う通り、全ての金貨を拾った。実際、何も分からない世界でゼロからお金を稼げと言われても自信はないし。けど、これは最初で最後にしよう。


「えっと………どこに行けばいいの?」

「そうねぇ………取り敢えず、洞窟から出て見なさい?きっと驚くはずよ」

「分かった」

「あ、あとそこに手頃な靴を一つあっちから取ってきているわ。流石に靴下のままじゃ辛いでしょう」

「うん、ありがと………」


 彼女の言う通り、私が寝ていた傍には靴が一つ置かれていた。持っている中でも一番歩きやすいスニーカーだった。私はそれを履いて立ち上がると洞窟の出口に向かった。逆光で洞窟の中からでは外が見えなかったけれど、外に出て広がる雄大な森を見た時、私は言葉を失った。


「綺麗でしょう?この世界は多くの自然が手付かずのまま………都会に住んでたあなたには、より一層新鮮に見えると思うわ」


 その景色に目を奪われる私に、ルナは楽し気に話す。しかし、次の瞬間には少し真剣な声で言葉を続けた。


「けれど、ここは綺麗なだけではないわ。普通の人間なんて一瞬で命を奪いかねない危険がこの世界には溢れているの」

「そう、なの?」

「えぇ、けど安心して?あなたは私が守るから」

「………えっと、本当に大丈夫なんだよね?」

「えぇ、勿論。貴女が望めばなんだって叶えてあげる………なんだって、ね?」


 自信に満ちた声と、まるで何かを誘うような言葉。私はそれに引っ掛かりを覚えながらも頷く。すると、ルナはそれに満足げに笑みを浮かべて森を見渡した。そして、ある一方向を指差す。


「あっちの方向に街があるみたいね。行ってみましょう?」

「うん、分かった」


 とにかく、今は人がいる場所に行こう。それに、ルナに見捨てられちゃったら本当に私は独りぼっちになってしまう。少し冷静になってみてから考えると、彼女は私の事を思ってくれているのだと分かった。それがどんなに信じられない出来事でも………もう、私の味方は彼女しかいないのだから。

 不安は沢山ある。知らない世界で、知り合いもいないまま生きていくんだから当然だ。けれど………私の中には、不思議と悲しみは存在していなかった。ここで、私はやっと気付けたんだ。

 本当に、これは私が望んだことだったんだと。


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